宝物を失った日
私が初めて人生に失望したのは小学2年生の時だ。
私は漫画が大好きな子供だった。
特にいがらしゆみこ先生の「キャンディ・キャンディ」が大好きだったので、漫画が掲載されている月刊誌「なかよし」の発売日をとても楽しみにしていた。
さらにコミックスまで欲しくなり、コツコツと善行を積み上げたり、誕生日に3冊買ってもらったりして、手元に漫画本を手に入れて、毎日何度も読み返してニヤニヤしていた。
今思うと私のキャンディ・キャンディへの想いは狂信的だったのかもしれない。
学校から帰るとまずキャンディ・キャンディを読んでから遊びに行き、夜寝る前にはまた布団の中で読んでから寝る。そんな生活が半年程続いた頃、わたしの視力が急激に低下したのだ。
授業中、黒板の字もボワーっとしか見えない為、成績もそれなりである。だが私は普段から注意力散漫な子だったので、親も成績不振が視力低下によるものだとはなかなか気づかなかったらしい。
だが小学2年生になった時、視力検査という余計なシステムのせいで、私の視力が低下していたことが露見してしまった。
勉強もロクにしてないのに視力が悪くなるのは漫画のせいだと言うことになり、親は私の手元からキャンディ・キャンディの漫画本を取り上げ、家の中に隠した。
だが、それ位で諦められる程の想いではない。
所詮、小さな家なので隠す場所など限られている。家の中のどこかの押入れ若しくは天袋(押入れの上にある物置)しかない。
私は毎回隠し場所から易々と漫画本を入れた段ボール箱を探し当て、椅子を使って下におろし、いつものように読みふけった。
それを見た母は激怒し、次に勝手に読んだら漫画本を捨てるからと言い放った。
ある日、学校から帰ると漫画本が無くなっていた。雑誌「なかよし」とキャンディ・キャンディの漫画本全てが入っていたダンボールがない。家中探したが何処にも無いのだ。
母にどこに隠したのか聞いたが、私が言うことを聞かないから捨てたという。
その言葉を信じられなかった私は祖父の家まで行き、漫画本のありかを尋ねたが、祖父母共知らないと言う。祖父は絶対に嘘はつかない。もう絶望的だ。
本当に捨てられたんだ。私はショックを受けておいおいと泣いた。だがどんなに泣いてもキャンディ・キャンディが手元に戻ってくる事はなかった。
この日から私が漫画を読むことはなくなった。漫画を読むことは悪いことなんだ。生き甲斐を無くした私に母は近隣のテニスクラブに所属する事を勧めた。母はスポーツ好きの健康な女の子に育って欲しいと思っていたのだろう。
そうして母の思惑どおりに事は運んだ。私は小中高とテニス三昧の日々を送り、漫画の事を考える事のない日々を送ったのである。
私がまた本格的に漫画を読み始めるのは就職してからである。財力を手に入れた私は当時流行っていた漫画喫茶にどっぷりとハマり、友達と遊びに行くと言っては6時間パックなどを利用して好きな漫画を読み尽くした。ガラスの仮面や有閑倶楽部、デーモスの花嫁、もうこれで私の漫画への想いは成仏した‥そう思っていた。
それから約20年が経過し、40代半ばを迎えた頃、実家で飲んでいた時になぜかキャンディ・キャンディの話になった。私が漫画本を捨てられた事を愚痴っていると、母が意外な事を言い出した。
キャンディ・キャンディの漫画本は捨てたのではなく、近所の私の幼馴染にあげたのだと。
私は激昂した。私の宝物を勝手に私の友達にあげるなんて許せない。捨てているならまだ諦められるが、こんなに近くにあったなんて。私の目から涙がボロボロ溢れた。夫はドン引きである。
母はびっくりしたようにそんなに辛かったんならもっと主張したら良かったのに‥というような事を言った。そして幼馴染から返してもらおうか?と言い出した。
は?40年も前にあげた漫画本を返せってアンタ言えるんか?私は更に激昂した。もう修羅場である。
暫くして私は飲み過ぎの為、爆睡してしまった。夫よ、申し訳ない。この日の記憶を消去してもらえるとありがたい。
朝起きて私は我に返った。記憶を失っていたら良かったのだが、酒に強いためか、しっかりと一字一句覚えている。
母が起きて朝食を作っている。
私はそーっと起きて母の元に近寄り「昨日は大変申し訳ありませんでした」と謝った。我に返り、すごく恥ずかしくなったのだ。
母は私に向き直り「あんたをそんなに傷つけたとは思わんかった。悪かったね。キャンディ・キャンディの本、お母さん買ってあげようか?」と言い出した。
私は「いいよ。どうしても欲しかったら自分のお金で買えるから」と言った。恥ずかしくてたまらなかったので、もうこの話題を終わらせたかったのだ。
自宅に帰ってネットでキャンディ・キャンディの漫画本セットの価格を調べてみたら、なんと4万円だった。
私は固まった。今の自分にサクッと買えるほどの財力はない。お母さんに買って貰えば良かった。カッコつけて絶好の機会を失ってしまった‥。私は舌打ちをして唇を噛んだ。
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