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ボンタンアメ

私が小学生の低学年の頃、父親に連れられて数回パチンコ屋さんに行ったことがある。

今では親が子供を連れてパチンコ屋に行くなど炎上ものかもしれないが、昭和50年代はその辺も大変緩く、珍しい事でもなかったようだ。

その頃のパチンコは、一回一回玉を手元の金属のバーではじく、大変レトロな遊び方だった。その分玉の減りも緩やかで、父の少ない小遣いでも数十分間は遊べたようである。

私は父がパチンコを打っている姿を後ろから眺めるのが好きだった。玉がチューリップのような羽根に吸い込まれると、チリンと鳴る。そしてその後、玉がジャラジャラ出てくるのも面白かった。だが、球がなかなか入らないと途端に退屈になる。

そんな時私は床に四つん這いになり、ほかの人の落としたこぼれ球を拾いに回った。今なら信じられない光景だが、昭和の時代の子供のする事なので許されたのである。多分‥。

羞恥心とか生まれる前

全館回って掌いっぱいに球を集めた私は、素知らぬ顔で父の座っている台の玉受けに玉をさっと入れた。父も子供が勝手にした事なので、素知らぬ顔をしている。店員さんには絶対バレていたと思うけど、きっと彼等も気づかぬフリをしてくれていたのだろう。

父は深追いはしなかった。いつも負けないうちに切り上げ、景品交換所に足を運び、私に一つお菓子をくれた。

それはいつもボンタンアメだった。オブラートに包まれたそれは、噛んだ時の食感がとても不思議だった。お餅のように柔らかで、でも噛みごたえもあって、ほのかな柑橘の香りがした。

私の目的はコレ


私はいつも帰りの車の中でそれを頬張った。車で20分程の帰り道、それを食べ尽くさなければ兄に見つかって半分取られてしまう。父も母に内緒でパチンコに来ているため、この事は2人の秘密である。

それから数年後、パチンコはデジタル式の時代を迎えた。父は「あっという間にお金が無くなるからもう遊べんわ〜」と言い、スパッとパチンコを辞めた。私はもうボンタンアメを食べられないんだとがっかりした。近所の駄菓子屋では売っていなかったのだ。

ボンタンアメはそれから私の世界から去り、40年以上が経過した。私も今や人生の折り返し地点を越えた。父が亡くなりはや10年が経過している。

この間スーパーでボンタンアメを見つけ、久しぶりに購入した。口に入れるとあの懐かしい味とほのかな柑橘の香りがした。昔と全く変わらない味。ボンタンアメを味わいながら、父との思い出を新しく作る事はもうできないんだなぁとぼんやりと思った。ささやかな思い出でも、忘れないようにちゃんと書き留めておこうと思う今日この頃である。




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