ことばを商売とするならば~汚いことば、下品なことばを使わない

 ことばを商売とするならば、そういうことばを売りにしているのでない限り、汚いことばを使わないことにしたい。
 twitterではよく、「アカウント」を「垢」という漢字で代用させている人がいる。だが、この字は汚れや不純物を指す。
 自分のアカウントは自分の分身だ。自分のフォロワーや自分がフォローしている人たちのアカウントも彼らの分身である。分身が生きている空間なのに、どうしてマイナスを連想させる語を使えるのだろう。文字数を3つ少なくしたいなら、他の箇所でいくらでも工夫できるはず。ことばを商売とするならば、こういうところに敏感になるのは当たり前である。それなのに、そうした職業の人の投稿にも散見されるのは悲しい。
 省略語や、妙な隠語を使う人もいる。Facebookを「FB」、twitter界隈を「ツイッタランド」と書く人たちである。
 なぜこれらの語が適切ではないのか。
 まずFBだ。省略語は読み手に負担をかける。なんの脈絡もなく「FB」と書いてあればFeedbackかと思うことも多い。ビジネス文脈なら、まずはこちらを連想する。FeedbackではなくFacebookの略語かとわかるのは、一瞬置いた後である。
 つまり、「FB」などの省略語を使うと、読み手に負担を強いることになる。ことばを商売とする者が、読み手に負担を押し付けることがあっていいわけはない。
 村上春樹でさえ「(小説であっても、エッセイであっても)文章を書く時には、できるだけ読者に対して親切になろうと、ない知恵をしぼり、力を尽くしています。文章にとって親切心はすごく大事な要素だ。少しでも相手が読みやすく、そして理解しやすい文章を書くこと(村上ラヂオ)」と書いている。
 日本の現代文学を代表する作家が「読みやすく、理解しやすい文章」を送り出そうと力を尽くしているのだ。その他大勢の者が、日々精力を傾けて「わかりやすい文章」を書こうと努力するのは当然である。
 いつも「わかりやすい文章を書こう」と心がけている人が、読み手が一瞬でも「なんのことだっけ?」と思うような省略語を書くことはありえないだろう。そういうわけで省略語は使わない。
 次に「ツイッタランド」だ。
 この語を検索窓に入れると、対になる候補語として上位に「闇」が出てくる。「あまり良い意味では使われない」と説明している人もいる。この2つから、マイナスの意味で使われることが多い語ということが言える。自分の分身が身を置く空間をマイナスの語で表現するなど、どうしてできるだろうか。
 これらの語がひとり歩きしており、深い意味を持たずに使っている人たちが多勢を占めていることは知っている。だから、ことばの商売をしているのではない人たちが使っても、何も思わない。そのアカウントにマイナスの思いを抱くことはない。
 けれども、ことばの商売をしている者であれば、自分の使う語ひとつひとつに神経を使い、読み手が誤解しないか、意図せず読み手に不快な思いをさせていないかと考えるのは当然だ。これらの語を平気で使っている人たちは、意図して使っているのだろうか。それとも、ことばに不感症になっているのだろうか。


今日の久松   洋食店「ア・ターブル」でランチ。商品・店・人の魅力がすべてそろった最高のレストランである。

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