今年の登壇終了~翻訳校閲講座講師としての顔

 今年は、翻訳校閲講座での登壇が多かった。1月に翻訳研究會(アイディ)、6月に毎日文化センター、9月にJTF(日本翻訳連盟)とHumanPowered、そして12月というか昨日がJAT(日本翻訳者協会)。すべて異なる団体で5回講師を務めた。
 それだけ声をかけてもらえたのは、わたしというより「翻訳校閲」のテーマが目に留まったのだろう。
 6年前の2017年、新潮社元校閲部長、井上孝夫さんの翻訳校閲講座が開かれた。出版界で校閲といえば新潮社。そこの校閲部を率いていたのが井上さんである。マルチリンギストで、いったい何十か国語読めるのか、ご自身でも数えられないというほどの方だ。
 その方を講師として、翻訳校閲講座をやるので手伝ってほしいということで関与したためよく覚えているが、準備していたセミナールームにあふれんばかりに人が集まった。もちろん当時は対面セミナーである。
 井上さんは講師として申し分ないどころか、それ以上に素晴らしいキャリアと実績をもつ方だったこともあり、受講者はみな必死に話を聞いた。翻訳者というのはそれだけ真面目で勉強熱心な職業人の集まりなのだと、改めて感じ入ったことをよく覚えている。
 ひるがえって我が身を考える。
 校閲者として一人前になるには20年かかるという。わたしは翻訳チェッカーとして25年以上キャリアを積んできた。(翻訳)校閲は7年ほどやっているが、どこにも所属せず専属として仕事をもらう得意先もない、いわば「完全フリーランス」としては2年目にすぎない。今後必死で精進しても、井上さんの足元にも及ばないどころか、見上げることすらできないだろう。
 けれども、「翻訳校閲」というテーマを掲げて自分の考えや毎日やっていることを言語化し、セミナーという枠内に整理してそれを伝えてきた。この点だけは、井上さんはもちろん、他のセミナー講師の誰と比較しても、恥じないことをやってきたと胸を張っていえる。
 ところで、率直にいってセミナー講師はお金にならない。とくに翻訳関連団体における講師料というのは、受講者が何百人集まろうとも一定の料金しか支払われない。それも「お気持ち」というほどの額であり、昔で言う「お車代(交通費)」でしかない。資料作成等の準備を含めると、時給にして数百円、いや数十円にしかならないのだ。
 それでも登壇してきたのは、「これほど良いアウトプットの機会はない」からである。
 受講者はみな、受講料に見合う内容を得ようと必死で食いついてくる。そのエネルギーに応える以上のことを提供しなければならない。自分のしてきたこと、考えていることを言語化し、分類し、整理し、わかりやすく伝える。そのためにはセミナーというのは絶好のチャンスである。
 典型的な内向型の自分がプレッシャーと戦いながらセミナー資料をつくり、当日に備えて毎日発声練習と「話す練習」を続ける。これがどれほどプラスになったかは、講師をしてみて始めて実感した。
 さて、というところで来年の話だ。
 来年も1回はセミナーをやることが決まっている。最初のアイディア出しに詰まって何か月間も一歩も進めずに来たが、アイディアは天から振ってくるものでもなければ、黙っていても自分の奥底から湧き出てくるものでもないことは、もう知っている。まずは行動し、手を動かすこと。それに伴ってだんだん「核」ができていくのである。
 年末まであと少し。毎日少しずつ、次に向かって自分を追い込んでいかなければ。

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