稲泉連『「本をつくる」という仕事』~感想

 本に関連した八種類の職業人へのインタビューから構成された、全七章の本。第一章は活字、第二章は製本、第三章は活版、第四章は校閲、第五章は製紙、第六章は装幀、第七章は海外作品を日本へ持ち込むエージェント、第八章は童話作家の話である。
 第四章は、元新潮社の有名校閲者、矢彦孝彦氏にインタビューした内容から成る。
 校閲といえば新潮社。これは出版業界者なら誰でも知っている。たとえば、作家の石井光太は、Twitterでこう言及していたことが本書で紹介している。


 「月齢」をチェックする話は校閲界ではかなり知られている。こないだもXで、校閲者が小説に描かれていた月齢を調べてコメントしたのが素晴らしいと話題になっていた。
 こういう事実確認はたしかに重要である。言い方を変えれば、校閲は、こういうところがクロースアップされがちである。だが本書ではもちろん、そこで終わりにしていない。
 新潮社校閲部員は、技術の高さでよく話題に上る。だが、同社は部員の教育に熱心なだけではない。

これら個々の技術を前提としながら、新潮社が二重三重に誤りを見つけ出すシステムとして校閲部を機能させている

本書p112

 そう、ミスを見逃さない「システム」があるのだ。同社では、一冊の単行本に対して、三人の専門家が合計四回、内容をチェックしている。以前に同社の校閲講座を受けたとき、「ひとりでは結局同じ箇所にしか目がいかないので、必ず複数人でチェックする」とも聞いた。社内の校正部員と外部校正者の両方が必ず見ているのだと。言い換えれば、同社は校閲に時間もお金もかけて本をつくっているのだ。
 そんな新潮社だからこそ、こんな思いも根底に流れているのだろう。

校正・校閲という作業が誤植や間違いを見つけ出す「技術」であると同時に、ゲラ刷りを通して著者とやり取りするコミュニケーションだという思いがある

「ただ線を引いて簡単に疑問を出すのは、失礼に当たると私は思っているんです。(略)疑問の出し方も一つひとつ、丁寧でなければならない。そして、それは次にその作家がうちの出版社で書いてくれるかどうか、ということにだってつながっているのです」

本書p113, p114より

 編集者と違い、校閲者はふつう、著者と顔を合わせることはない。ゲラを通したコミュニケーションがすべてである。そして、その「疑問出し」は、「次にその作家がうちの出版社で書いてくれるかどうか」につながるという一文には息を飲んだ。
 フリーランスである自分は、そんなことを考えたこともなかった。
 この作家(翻訳者)が「こういうやり方で疑問出しをする出版社(外注者であっても、出版社のその本の『チームの一員』である)と付き合いたい」と思ってくれるように、疑問を出す。
 どうしたらそんな風にコメントできるのだろうか。著訳者には敬意を払って丁寧に書くようには心がけているが、「またここで書き(訳し)たい」と思ってくれるように疑問出しをするとはどういうことだろう。 これにつながる話として、本書でいちばん驚いたくだりについても書いておこう。本書から転記すると長くなるため当該箇所を要約した。

 校正者の矢彦氏はあるとき、ゲラの「萌木色」という語に引っ掛かりを感じて、日本国語大辞典を引く。すると「萌黄色」か「萌葱色」とあった。そのため「木は葱あるいは黄ではないでしょうか」と疑問を出した。
 しかしその後、著者から校正刷りが戻ってくると、「ここは「木」のママにしてほしい。以前に何かの本でこの字が使われているのを見た」とあった。
 ここで矢彦氏は再び調べを開始した。全二〇冊からなる物集高見編『広文庫』(昭和初期の百科事典」と江戸時代の辞書である谷川士清著『和訓栞』を書庫から取り出した。 
 すると、『広文庫』の記述から、「〈もえぎ〉を萌葱、萌黄と書くのは誤りで「萌木」が正しい、色も〈萌木色〉とすべし」という記述をたどることができた。『和訓栞』でも「萌木色」を採っていた。矢彦氏はびっくりして著者に手紙を書いたという。「萌木色が最も正しいと説いた学者が確かにいました」と。

本書pp114-116要約

 新潮社の校閲者というのは、いや矢彦氏が特別なのかもしれないが、ここまでやるのか……。震えが出た。
 そうなのか。ここまで著者とコミュニケーションをとれば、たしかに「またここの校閲に頼みたい」と思ってもらえるだろう。
 もちろん、資料があったとしても、誰にでもできることではない。とくにわたし(たぶん、平均的な校閲者)のギャラでは、ここまでやっていては到底見合わない。
 ではどうしたらいいのか。せめて「時間あってギャラも見合うときには、もう一歩だけ先へ進んで調べてみる」と心に刻んでおくしかないだろう。
 最後にこの言葉を引用しておく。本書の第四章「校閲はゲラで語る」を締めくくる矢彦氏の言である。

 校閲は出版社の価値であり、良心である――。

本書p119より

 価値と良心。外注者であっても、価値と良心を届ける。ここだけは、時間があってもなくても、ギャラがいくらであっても、校閲者として忘れないようにしよう。

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