パソコン使いにくい問題

パソコンって、本当は使いづらいんじゃないか……。うすうす感じていたことを、きっちり言語化して指摘する人がいたので読んでいる。『スマホに満足してますか?ユーザインターフェースの心理学』。

「パソコンを使えて当たり前」の風潮は、たぶん自分たちの世代(もしくはもう少し上)で一番強い。ローマ字入力はできて当然、マウスを使うにも説明は要らない世代。ずっと上の世代になると「ひらがなでしか入力できない」「そもそもパソコン使えない」人が一定数いる。年下の世代になると、スマホしか持っていない人も珍しくない。だから、パソコンの画面上にあるアイコンを指でタップする子も出てくる。

本の著者は、スマホもパソコンも、どちらも今は使いにくいのだと言う。スマホは何をするにも画面が小さくて不便だし、時間潰しの側面が強いアイテムだ。パソコンも、やりたいことがすぐにできるわけではなく、起動したりアプリを選んだり面倒な手間がかかる。言われてみればそうだ。

自分にとってはほとんど当たり前になっている「ローマ字入力」も、馴染みのない人にとってはハードルが高い。特に年配の人は使いこなせない。だから、公共の場(図書館など)に行くと、本を検索するパソコンのキーボードの設定が、ひらがな入力に変えられていることがある。「い」と打とうとして「I」を押すと「に」が出力されるアレだ。そういう人たちがいるのは知っていたから、初めてスマホを触ったときは「!」と思った。

スマートフォンのフリック入力は、最初から日本語で入力することを可能にしていた。時代の進化をそこで感じた記憶がある。

この本の著者は、まさにその「フリック入力」システムを作った人だ。この人も「ローマ字入力いちいち覚えるのなんて面倒に決まってるだろ」と思っていたのだろうか。思っていたのだろう、だからこそ出てきた日本語入力システムだったのだ。

PCが使える人たちは、使えない人々を下に見る傾向がある。「それくらいできなくてどうすんだよ」「この時代にパソコンくらい使えなきゃ駄目だよ」と。なるほど、日常生活では使えたほうがいいし、使い方を覚えないと仕事ができないのであれば覚えるべきだろう。「使いこなせない俺は悪くない、パソコンが悪いんだ」と言っても、誰も聞いてくれないから。

だけど、一歩下がった視点から見た時、それはやっぱり変な機械なのだ。起動するのに時間がかかるし、文章を打つためにキーボードの入力方法を覚えなければならない。日本語話者だというのに、逐一それを頭の中でアルファベットに変換しながら文章を書くことを強いられる。それを「当たり前さ、そういうものだ」と片付けてよかったんだろうか。

著者は「駄目なシステムを見たとき、その悪さに気づいて文句を言うのも才能」と言う。「機械が使いにくいのは人間のせいじゃない、使いにくいと思ったときは正直にそう言っていい」と。

世の中には、デジタルデバイスの操作が苦手な人がたくさんいる。彼らに向かって「時代遅れだ」と言うのは勝手だけれど、人間が機械にほうに合わせなければならないという、そのシステムにそもそも欠点はないのだろうか。私たちは、人間にとって不自然で使いづらい物を「便利で格好いい」と「思わされて」いるのかもしれない。

新時代のパソコンを進化させていくのは、そういう操作を覚えるのが当たり前と思わず「面倒だ、苦手だ」と感じている人たちだろう。だから「使いにくい」と思ったら、自分の能力不足かも、なんて思わずに「もっといいシステムを!」と叫んでいいのだ。

問題は、それをSNSで叫ぼうと思ったら、やっぱりスマホかPCを使えなきゃならないってとこだけど……。


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