90歳の青春

実家から、田舎の祖父母の写真が送られてきた。地元で大規模な夏祭りがあって、その日の夜店に繰り出すために浴衣を着たのだそうだ。90歳になる祖母の、憮然とした表情が妙に味わい深い。

聞くと、どうしてもヨーヨーが欲しかったのだそうだ。昔、屋台で食べ物を買うと怒られるし、そんなに高いものは買えないので、ヨーヨーを買うくらいしかできなかったのが、今でも懐かしいらしい。屋台で売られるものの内容も、昔と今とで大きく変わっているけど、あのカラフルな水風船は、確かにまだ売られている。

写真を見て思ったのは、こんな風に人生を楽しむことができるんだなあ、ということだった。おじいちゃん、おばあちゃんになることは、全然楽しいことじゃないように言われているけど、こうやって浴衣を着て、昔を懐かしみながら祭りに参加するのは、今の私が同じことをするより、ずっと感慨深いだろう。私が懐かしめる祭りの記憶は、せいぜい小学生か幼稚園の頃の金魚すくいで、それはまだ「今」と地続きであるような気がする。これが遠い記憶になるのは、まだまだ先のことだ。

うちわを持ち、浴衣を着て、二人で夜の屋台に繰り出す祖父母の姿は、なんだかとても若々しい。若々しいというか、二人とも90を過ぎているのに、全然年寄りくさい感じがしないというか。年齢を理由を何かを諦めたり、悲観したりしている気配がどこにもないのだ。むしろ周囲の目を気にする気持ちが薄れ、「着たいものは着る。欲しいものは欲しい」と欲求に忠実になっているようにも見える。まだ働いている時だったら、ヨーヨーが欲しいとか浴衣が着たいとか、思ったところで実行まで移さなかったんじゃないだろうか。

二人が着ていた浴衣の色が、青だったせいもあるかもしれない。写真を見て「青春」という言葉が浮かんだ。ここで「年取った人間がいまさら青春なんて」と鼻で笑う人は、私と仲良くしてくれなくていい。そういう人は、年寄りになったら何も楽しみのない人生を送ったらいいのだ。少なくとも、私はそんな祖父母がロールモデルとしていてくれることを、すごく幸運なことだと思っている。好きなことをしている人は、見ているだけで幸せになれる。

何歳になっても、青春的なものっていうのはあるんだろう。それがどんなものか、言語化しろと言われても困るのだけれど、それは子どもの頃のように純粋に楽しいことであり、他人に評価されるためにやるようなことではなく、ひょっとしたら、他人からは笑われるかもしれないこと。それでも自分に素直であることが、いま自分の思う「青春」の定義かなあ、と思うのです。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。