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見えないものを描く【阪本トクロウ】

阪本トクロウという画家を知った。その絵を見てからだと、電車の窓から見える景色も見上げる青空も、まるで違って見えた。

彼は「何もない」空間を意識的に描く。画面の大部分に「何もない」絵が多い。駐車場の空いたスペースだったり、建物の上にポカンと広がる空だったり。

そういう絵を一度じっくり見てしまうと、何もない空間をもはや意識しないでいることができない。そこは「何もない」のではなく「空(くう)」というひとつの空間なんだと思うようになってしまう。いままでは建物の背景に退いていただけの空が、空として見えるようになってくる。絵に物の見方をこんなに変えられたのは初めてだ。

生で見て一番好きだったのは、誰もいない放課後の教室を思い出す作品。絵の前に立つだけでひとりぼっちになれる。それは寂しい感じのするものじゃなく、人の目に晒されずに済むという孤独がくれる、一種の安らぎ。

空白はただの空白じゃなくて、「何もない」がちゃんとそこにある。彼の絵の数々を見ているとそんな風に、ものの見方が変わってしまう。

当然だけど、たいてい人は「ある」物に気を取られている。茶碗が目の前に置かれているときに、その背景のテーブルを意識している人は少ないし、街を歩いているとき、建物や人の存在は意識しても、背景の青空をわざわざ気に留める人は少ない。その「いつもは忘れられているもの」が、絵の中で全面に──と言っても激しい主張ではなく自然に──押し出される。

展覧会のリーフレットに使われていたのは絵は、見た時に「日常系の写真展かな。行ってみるか」と思った。それくらいのリアリティがある。

「何もない」を意識させることは空気を描くことと同じだ。そこにある物は描いてみせればいいかもしれないけど、見えないものを描くのは難しい。それを「余白を意識させる」という手法で実現できるんだなあ……と感動した。(日頃、気安く使わない「感動」という言葉も、いまなら使っていいだろう)

見えないものを見えるようにすること。すべての芸術の根本だ。人の頭の中にしかないストーリーを書き下ろすことも、どこにも存在しなかった風景を描いてみせることも。その新しい形を見たような気がして、絵の力というものを改めて知らされる。

※阪本トクロウのHPはこちら。全作品が見られるようです。  
 https://www.sakamoto-tokuro.com/works

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本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。