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知ってる言葉でひきずりおろす

 肉食系男子とは、随分と下劣な言葉だ。
 
 というこの一文は、私が書いたものではなくて又吉直樹『月と散文』に出てくる。引用したならちゃんと出典を示しなさいね、と学生時代にさんざん言われているから、教えは守る。
 
 又吉直樹『月と散文』KADOKAWA、2023年、286頁。

  電車で読んでいて、降りる駅をあやうく通り過ぎるところだった。それくらいおもしろいエッセイ集。よろしければ是非。


 「肉食系男子とは、随分と下劣な言葉だ」。そうだろうか。自分はなんとなく「ああ、ガツガツしてる人っているよね」くらいの認識で、そういうときに思い浮かべるのは、金髪か茶髪のホストのような外見の男性だったりする。解像度が雑い。
 
 実際には、見た目はおとなしそうでも積極的な人はいるし、そもそも「肉食」とか「草食」なんてはっきり分けられるものではない。それは知っているのだけど、これらの単語は主に男性に向けられるから、自分は関係ないと思ってた。
 
 自分に向けられることのない言葉は、つまり優先順位の低い言葉。どうでもいいと言っても差し支えない。だから「下劣」とまで思う人がいるんだなあと、最初はその強めの表現に立ちどまった。
 
 又吉さん(と呼ばせてもらう)は、ゴシップ記事に「肉食系」と書かれたことがある。そのときの話をエッセイに書いていて、とても嫌だったと綴っていた。
 

友達から「彼女できたん?良かったな!」とメールが届いた。「なんで?」と返信すると、「ニュースになってた」と教えてくれた。そんなことがニュースになるなんてなんか格好良いなと思い、風呂に入りながらその記事を読んだ。(中略)

 それはいいとして、その記事に下に添付されていた、過去の私に関する記事のタイトルが気になった。「本当は肉食系だった」とか、「彼女との出会いはナンパだった」などという文言があり、とても読む気になれなかった。

 誰かから見ると、そのような捉え方ができてしまうこともあるのだろうけど、大切な想い出をわざと軽んじて、ナンパと表現されるのは苦しい。言葉を尽くしても描き切れないような大切な記憶を、暴力的な言葉で片付けられてしまう無念。

同上、289頁。


 ここは読んでいて、ちょっと思うところがあった。
 この「苦しい」とか「無念」という気持ちは想像してみることができる。でも一方で、暴力的に片付ける人の気持ちもわかる。
 
 「それって○○じゃん」「要は××だよね」と雑にくくりたがるひとびとが世の中にはいる。
 あなたがした「大事な特別な経験」って、べつに特別でもなんでもないからね?みんなが知ってるあの言葉で済むでしょ?よくある話の一個でしょ?
 そういう態度。
 
 誰かが自分より豊かな、あるいは美しい経験をしているのが許せなくて、「私もそれ知ってる」と言いたがり、既にある言葉で片付けようとする。まるで世界に、自分に知らないことがあるのが許せないみたいに。
 
 そこには、他人のした豊穣な体験へのやっかみも含まれているだろう。雑で俗っぽい単語をあてがってしまえば、その人を俗世にひきずりおろせる。俗世とは、醜い自分がいるのと同じ地平のことで、相手にそこまでおりてきてほしいのだ。自分には、その豊穣な体験がなかったから。その美しさも複雑さもわからない自分が惨めだから。

なんてことが書けるのは、自分にも同じような醜さが内包されているからに他ならない。

 こんなのは「気にしない」以外の選択肢がほぼなくて、ゴシップ記事を書く側も商売でやってることなんだろうけど、品がないことに変わりはない。芸能人の話するフリして、書き手の醜さをぶつけられてもね。自分がその当事者として巻き込まれたら、別に単語が「肉食系」でなくたって不快だろう。
 
 言葉にさして罪はなくて、下品なのはその文脈に見える。にしても芸能人って大変だなと、呑気なことを一般人は思う。

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本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。