見出し画像

『人を賢くする道具』、人間中心のデザイン

 地味に使いにくいにもかかわらず、なぜか世の中に浸透しているテクノロジーやデザインはたくさんある。前にクレジットカードを解約しようとしてかけた、クレカ会社の音声案内もそうだった。
 
 解約手続きはウェブでできず電話のみとなっていて、しかもフリーダイヤルじゃないから電話代がかかる。仕方なくかけたら、自動応答が「○○のお客様は1を、××のお客様は2を……解約その他のお問い合わせは6を押して下さい」と言う。最後まで聞くと長い。
 
 声は聞こえた瞬間から消えて行ってしまう。だからあとから「1ってなんだったっけ?」となったり、最初にすべての選択肢が見えないから該当する項目が話されるまで待たないといけなかったり。で、その分の電話代は客側が持つ。
 
 音声案内の多くは、サービスデザインとして失敗している。不親切で時間がかかり人を苛立たせる。だからこそ解約したい客への最後の嫌がらせに使われるのかもしれないが、会社の印象は悪くなった。
 

誰からも好かれないのであれば、どうしてそんなシステムが使われているのか?それらが増え続けているのはなぜか?(…)答えは、企業にとってそうしたシステムが大きな利益を生むように見えるからである。
 
企業は決まりきった質問をしてくる絶え間ない電話の攻勢から従業員を救い出し、電話や情報のオペレータの数を減らすことでコストを削減する。この態度は、もちろん、システムのせいでフラストレーションを感じたり、怒りを覚えたりする電話をかける側のことを無視しているのだ。

D.A.ノーマン『人を賢くする道具 インタフェース・デザインの認知科学』
佐伯胖監訳、筑摩書房、2022年、197頁。

 「テクノロジー」といえば「人間に合わせてくれる夢の技術」のイメージが昔はあったかもしれない。いまではすっかり人間のほうがテクノロジーに合わせている。主従関係が逆転していて、機械に使われる側になってしまった。愚痴ではなく事実として。
 
 ついでにパソコンのキーボードの配列も、地味に使いにくい。直感的に操作できない。よく「ブラインドタッチができる」ことはパソコンスキルのひとつとして挙げられるけど、習得した人が特別扱いされているような道具は、道具として優秀とは言えない。
 
 包丁やハサミだって同じ道具だが、これらは誰もが人生の早い段階で使えるようになる。特別な訓練もいらない。コーヒーカップなんかはもっとわかりやすい。取っ手の部分を見れば「ここに指を入れて持つ」と自然と理解できる。
 
 消しゴムはこすれば文字が消えるし、鉛筆もとりあえず握り込んで紙に押し付ければ線が引ける。道具としてこれほど優れていることもない。優れた道具は、使えるのがあたりまえの物として生活に溶け込む。人間が主で、道具が従となる位置を崩さない。
 
 これからの世界でイノベーションが起きるとしたら「いつまで機械に合わせろって言うんだ」という人間の苛立ちが中心になるんじゃないか。
 習得に時間がかかる道具は、道具のほうがまちがっているんじゃないか。もっと「やさしい」デザインにならないか。そういうところから次世代が生まれていく。ありえない話じゃない。
 
 実際、日本政府は今後目指す社会を「ソサエティ5.0」としている。これは人間中心の社会を指す。発達の不充分な道具に振り回されるのではなくて、人間を真ん中に据えて考える流れはもう来ている。

https://www8.cao.go.jp/cstp/society5_0/

 企業の皆さまは、電話音声案内をウェブサービスに置き換えるところから始めてくれないかな……。わたしは機械の都合に合わせてスマホの数字を押すような、そんな体験は求めてないんだ……。
 
 文中で引用した本は、D.A.ノーマン『人を賢くする道具 インタフェース・デザインの認知科学』で、まだ全部読んでない。ぜんぶ読む前からおもしろい。テクノロジーとデザインに興味がある方に、おすすめの一冊。



この記事が参加している募集

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。