見出し画像

哲学ノート⑳考えるために読む──セネカ

「人間いかに生きるべきか」を真向から説いた、セネカ『生の短さについて』。哲学でよく聞く台詞は、たいてい「人生は短く、芸術は長い」みたいに「生は短い」というのが定番なのだけれど、セネカはそうは言わない。私たちの人生は十分に長い。ただ私たちがそれを浪費するだけだと。

どんな名声を手にしても、いずれその人の墓も朽ちる日が来る。どれだけの財産を手にしても、天国(あるいは地獄)まで持って行くことはできない。異性にモテる楽しみは一瞬のもので、お酒やギャンブルになるとその楽しみはもっと刹那的だ。

それゆえ、誰かがすでに何度も高官用のトガをまとっているのを目にしても、また、誰かが中央広場(フォルム)で名を挙げてもてはやされているのを目にしても、羨望の気持ちを持たないようにしたまえ。そのようなものを手に入れようとあくせくするのは、生の損失となるだけである。わずか一年の年号に自分の名を添えたいがために、彼らは全生涯を台無しにしているのだ。(※1)62-63

誰かを羨んでいるときもまた、自分の時間を生きていることにはならない。そしてその羨んでいるものも、大抵の場合たいしたものじゃない。名声はいつか忘れられる。人は年齢を重ねるし、いつまでも強く美しくいられる人などいない。誰かを妬んでいる間にも、自分の寿命は刻一刻と削られていく。

だから、知恵や英知を学ぶことに時間を使うといい、そうすれば無駄にならないから──とセネカは言う。これに関してもうちょっと解釈を加えたいところなので先に描いておくと、古典を通じて時空を超えた思考を楽しむことは無駄にならない、と言えると思う。時間に耐えて残ってきたものは、セネカのこの作品も含めて、読みでのあるものばかりで、それは変な娯楽に手を出すよりずっと楽しいし、生き方を考えるきっかけになる。

すべての人間の中で唯一、英知(哲学)のために時間を使う人だけが閑暇の人であり、(真に)生きている人なのである。
(…)
(偉大な思想家たちの考えに触れようと思えば)彼らの中には、時間がないからといって会ってくれないような人は一人もいないし、自分のもとを訪れた者をより幸福にし、より自己を愛する人間にして送り出さないような人は一人もいない。
(…)
彼らは皆、君の生涯の歳月をむだに潰させはせず、かえってみずからの歳月を供してくれるであろう。彼らの誰と会話を交わしても身に危険が及ぶことはなく、誰と友情を結んでも生命を脅かされることはなく、誰を敬重しても金がかかることはない。(※2)48-51

産みの親は選ぶことができないが、思想を通じて誰でも好きな人を自分の師とし親とできる。彼らから受け継ぐ財産は、意地汚く守る必要がなく、人と分かち合うほど増えていく。

だから「いかに生きるべきか」のセネカの答えは「哲学と英知を手に生きよ」とまとめることはできる。でも、それはセネカの書いた正解だ。これを読んでいるあなたには、また別の意見があるだろう。酒に溺れるのが人生という人も、趣味に没頭することが生き甲斐という人も。それでいいのだと思う。

大事なのは、いかに生きるべきかを自分でも考えてみることであって「正解を教えてもらうこと」じゃない。自分も影響を受けたセネカの本が、あなたなりの人生論を考えるきっかけになれば、すごく嬉しい。

※1、2:セネカ『生の短さについて』大西英文訳、岩波文庫、2010。ページ数は引用箇所に記載。

同書は楽天で990円。いま手元にあるのを買ったときは、840円(税別)だった。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。