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もっと考えよう

この題名からして、そんなことかと疑問に思うかもしれない。私たちが当たり前のように使っている物だったり社会の仕組みは、昔の人が考えて考え抜いたから生まれたものです。何かを生み出す必要は普段の生活の中ではないのかもしれません。ただ、自分の人生が思うようにいっていないと感じるなら、もう一度考える大切さを見直して欲しいと願います。

仏教に学ぶ考えることの大切さ

お腹が痛くなったとき、僕は梅干しをつぶしておさ湯と混ぜて飲んでいる。これでお腹が痛いのが良くなるという根拠はないのですが、僕にとっては効果がある気がするのです。これはおばあちゃんから教わった知恵だからなのです。
仏教というのは、この知恵を得るための宗教だそうです。そして、この知恵というのは正しいものと間違ったものを見分ける力なんです。その力を得るためには精神集中が欠かせないと言われている。ですので、仏教とは精神集中の修行なんです。精神をどれだけ集中できるかを説いているそうです。集中するためにお経を唱えたり、頭を丸めたり、生活の多くを捨てているのいだということなのです。
これを私たちに当てはめると、アイデアや新しい発想は集中して考えないといけないということが分かります。

考えることが出来ない現代の落とし穴

僕を含めて多くの人は今、集中力がないと悩みを抱えています。僕も、仕事をしているときもあれやこれやと違うことを考えてしまったり、時にはスマホを見てしまったりしてしまいます。もっと、集中出来たらと悩むものです。
これは、現代において集中することが難しいくらい誘惑が多いからなんです。テレビやスマホはこぞって時間を奪ってきます。テレビで言うとお笑い芸人さんや人気のタレントさん、お話しがとても上手い上に気になる企画やドキュメント。どれも気を引くためのプロなのです。スマホはどんどん気を引くような内容がどんどんアップされてきます。過去の観たものや調べたことから、AIが持ち主の好みを特定しその情報がとめどなく流れてきます。
それは、私たちがどんなに集中力を持っていたとしても、反応してしまうものなのです。これは、現代の落とし穴だと思っています。
本来、人は人間であって動物なのです。動物である以上、獲物や食べ物を食べなくては生きてはいけませんでした。その為に狩りをするのですが、その集中力は凄まじいものがあったはずです。
そして、人も歴史を辿ると狩りをして生活していました。そこで生き残るために動物である集中力が備わっているのです。ということは、現代の問題として集中力が落ちているのは間違いないということになります。


自分の為に考えていますか?

確かに便利になって、考える必要はなくなってきているように思えますが、はたしてそうでしょうか?人生でもビジネスでも上手くいかないと悩んで苦しんでいる人が多いのは確かです。その時に真剣に向き合い考えているのでしょうか?そんなの当り前だと思われるかもしれない。
僕自身も赤字のお店を黒字に出来るのかという問題に悩み上手くいかない時期がありました。ただ、当時を振り返ると、必死に考えたつもりだと言わざるを得ません。料理の仕込みをしながら考えたり、通勤しながら考えたり、買い物しながらとか何かをしながら考えていました。はたして、それは、集中できていたでしょうか?
もう一度言います。仏教では正しいか間違いかを見極めるためには、精神集中が必要だとあります。私たちは、このとてつもない強大な誘惑の中にある日常生活の中で、人生にとっての大事な課題やどうすることも出来ないともがき苦しんでいる問題に対する自分の答えを導きだせるでしょうか?
水は低きに流れ、人は易きに流れるという言葉があるように、人生は大学行って、就職し、結婚し親となりといった。これが普通だと言われる流れに身を任せて自分を幸せにできますか?ビジネスにおいては飲食店はこうだよね。副業はこうだよねと言ったセオリーみたいなものが存在しますが、そのセオリーに乗ったところで、みんなと同じ結果かそれ以下にしかならないのです。それは、必死に考え抜いた上の選択とは言えないのではないでしょうか?
先日、僕は自分軸を見つけようと言っていますが、こうも言っています。そう簡単にはみつからないと。自分と向き合うときは、自分ひとりの時間を作り、何もないところで、スマホも電源を切ってノートとペンだけで向き合うべきだと思うのです。それくらいはできるでしょう?だって、一生に一度しかない人生なのですから。失礼な発言がありましたら申し訳ございません。

最期まで読んでいただきありがとうございます。
メルシー

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