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下ばかりを見ていた過去と向き合ってみた。

チャップリンの言葉に「下を向いていたら、虹を見つけられないよ」とある。とても貧しい幼少時代を過ごし、生活のために職を転々としたそう。苦しい生活の中にあっても決して希望を捨てなかったチャップリンの言葉。周囲で起きている美しいことにもラッキーなチャンスにも、目を上げていないと気づけないものだから。だけど、僕は下ばかりを見ていた。

当時の僕は飲食店の店長として華々しい人生の一歩を踏み出していた。高校を卒業し専門学校を経て、料理人の見習いとしてレストランで修行した。有名店でも働いたこともあった。キャリアとしては申し分ない。辛い修行で何度も挫折を経験したし、どんなことがあっても耐えていけると自信もあった。だけど、世の中はそんなに甘いものじゃなかった。美味しい料理を作るだけでは経営は出来なかったんだ。お店は閑古鳥が泣いていた。赤字を垂れ流す店長としてお店のオーナーに責められるばかり。どうにかしようと自分なりの必死になってはみるも、自分のやる気と結果が伴うことはなかった。「そもそも君の作る料理が美味しくない」と言われこれまでの全てを否定されてしまった。全ては売り上げが物語っていると。

周囲の人全ての人から責められている気がした。みんな冷たい目で僕をみてくる。街で通り過ぎていく人でさえも。しだいに僕は過剰に反応するようになっていった。関係ない人どうしの会話も悪口を言われている気がしたし、挨拶するにしても顔色や声のトーンをみて嫌われていると感じていた。ある日を境に家族さえも自分を責めてきた。僕に味方になってくれる人、寄り添ってくれる人は誰ひとりもいなくなってしまった。それが本当だったかどうかなんて今更確かめようがないけれど、僕はそう確信していた。こうなったら、この世界に存在する意味はない。自分は生きている価値がないものなんだって。しだいに耐えられなくなっていった。誰かと会話するのが怖かった。友達に相談なんて尚更だ。そもそも友達と思っていたのは僕だけで、向こうは僕のこと友達なんてこれっぽっちも思ってはいないんじゃないのかな。そんなやり取りを自分としながら、心がずっと締め付けられて苦しかった。何度も死のうと思った。もう限界だって。

死ぬことを考えている時はまだましだった。何度も何度も踏みとどまっては仕事を続けていた。こんな状態では仕事の効率も悪くなって明け方まで働いた。気が付いたら一日の売上の計算を間違えてばかり。電卓を何度たたいても計算が合わなかった。単純な足し算が出来ない。売上表を目の前にすると意識が飛んだ。何かがポキッと折れるような音がした。よく気持ちが挫けた時にそう表現されるものだけど、心が折れた時って本当に音がなるもの。もうダメだ死のう。そう決意がかたまり。スピードを出して通る車が通る国道の中を突っ込んでみたり、死のうと夜中埠頭の方までさまようこともあった。全ての人に対して恨み言を思いながら。

周囲の人が言うには失踪だった。その時の記憶はほとんど残っていない。意識朦朧としながらさまよっていたんだと思う。どうやって、家に帰ったとかさえ記憶にはもうない。ただ記憶に残っているのは、会社と家族が話し合っている中で涙が自然と溢れ出しまだ働きますと言ったこと。そして、その数日後に、おかしいと思った家族に連れられていったところが精神病院で診断は「鬱」だった。約半年の入院。その間のなんやかんやで僕は家族も夢も希望も全てを失った。

暗い話ばかりだけど、どうして僕が自分の辛い過去と向き合い書こうと決めたのかと言うと。そこから、僕は多くのことを学んだんだ。本もたくさん読んだ。あの時の僕が下をむいた原因が分かってきたんだ。今の僕は前を向くことも出来るし。自分のこともちょっぴり好き。幸せだって感じている。自分がどうして変われたのかもだんだんと理解出来るようになってきた。こんな思いを僕だからこそ伝えられることがあると思えたんだ。どうすればポジティブに生きることが出来るのかを。下ばかり見ていた自分が上を向いて虹を見つけられた訳を。この思いがどんどん強くなってきた。


最後まで読んで頂きありがとうございます。
メルシー

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