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どん底の人生を救ったこと(希望編)

昨日に引き続き、続きをどうぞ。

病院では、毎日何らかのレクレーションが用意されていた。軽い運動をすることもあれば、カラオケや簡単なゲームや工作をしたり。それに参加する気には到底なれなかった。皆精神を病んでいるのに何故か明るく会話を楽しんでいる。それはとても表面的でなんだか異様な光景。本当は割れたガラスなのに離れてみると何かキラキラ輝いているようにみえるのと同じ気がしたから。

病室のベットの上に閉じこもりだった。ただ、テレビと食事は、広間に出ないいけなかった。毎食だれかと相席で食事。食事中にあたりを見渡したが、僕に薬を飲んではいけないとアドバイスした男はもういないようだった。

ある日のこと、よく笑うおばちゃんと相席になったのだ。愛着を込めておばちゃんだ。たわいもない話なのに、よくしゃべってはよく笑う。だから、そのおばちゃんのまわりだけ空気が違う。どんよりとした重たい空気を発していた僕自身も、ほんの少しだけ和むことができた。

「そうだ。今日のレクレーションは中庭に出られるみいだから。一緒にいきましょう。」和んだ空気とおばちゃんの強引さに負けて僕は、イヤイヤ参加することになった。

お昼すぎに集合場所にいくと、おばちゃんは大変喜んでくれて、一緒に中庭にでた。何をするレクレーションかと不安に思っていると、「大丈夫。ただ中庭で太陽に浴びるだけだから。」と、言ってくれたので、少し安心できた。

どう見てもおばちゃんは普通にみえるので、どうしてここに入院しているのか疑問に思い聞いてみた。壮絶な過去と僕と年齢が同じくらい息子さんが脳梗塞でなくなったことを教えてくれた。比べる訳ではないけど、僕なんかよりよっぽど辛い思いをされてきた。なのに、懸命に明るくされていただけだった。

更におばちゃんは色々教えてくれた、あの人は夫にDVを受けていた。あの人はイジメにあったから。どの人生も僕に耐えられそうにはない話ばかりだった。

「ここは、つまづいた人生を一度リセットする場所なんだよ。」

この言葉で心が軽くなったのを覚えている。

次の日もおばちゃんと話をした。考えてばかりじゃすぐに日が暮れちゃうからと、あれをしようとこれをしようと次から次に言ってくれた。だけど当時の僕にはどれもしんどそうで出来そうになくてどれも断っていると「じゃあ、何なら出来る?」と聞かれた。

そう言われると僕はずっと出来ないことばかり考えていた。今の僕にできること?なんだろう?いい加減に前を向こうと思っていた僕は「レクレーションに毎日参加します。」と考え答えた。「それは、本当に出来ること?私は本当に約束できることを聞いているのよ。」そう優しく諭してくれた。僕の理想じゃなくて、今の僕が確実に出来ること。あれこれ悩みだした答えが院内の廊下を一周歩くことだった。

「それならできます。」と言った僕に「約束ね。それから歩くときは必ず顔を上げていきましょう。」とさらっと付け足した。

必死だったけどなんとか3日間出来た。また明日もねと約束された時に僕は自分から「明日は2周しましょう。」おばちゃんは笑顔で頷いた。僕は病室に戻り、ふと気が付いた。ネガティブに考える時間が減っていっているのを。顔を上げて歩くだけで、なんだか少し前を向ける気がした。そうやって、僕とおばちゃんは少しずつ出来ることを増やしていった。それが、増えていくたびにネガティブに考える時間がすこしずつ減っていくのが実感できた。

「具体的に何かやってみれば、具体的に解決策が見えてくるものなのよ。」

僕は自分のことをようやく話すことが出来た。これまで何があったのか。そして何が原因だったのか、今でも分からないと。おばちゃんは、ただただ頷いて聴いてくれた。

「人はね。つまづいたり、転んだりするものよ。」
「でもね。そこから起きあがろうと言う気持ちのスイッチを入れられるのはあなた自身しかいないのよ。」

いつしかふたりはここを退院したら、何をしたいのかと言う話ばかりしていた。あれが食べたい、これがしたい。僕の中にしっかりとここを退院したらという思いが芽生えてきた。少しづつ出来ることが増えたことで、生きることに希望が持てたのかもしれない。

ほんの少しずつ僕は変わっていったのだ。思い切ってレクレーションに参加したけど、しんどくなって途中で中断した時も「大丈夫よ。ゆっくりで構わないんのよ。大事なのは、前をむいて自分で決めて自分でやってみること」「だから、上手くいかなくたっていいのよ。」何か失敗して、大丈夫と言われたことが、これまでの記憶になくて、すごく嬉しかったのを憶えている。

おばちゃんは数日後に退院が決まったと教えてくれた。そして、寂しくなるだろうからと、本を沢山くれた。

僕は心から感謝した。家族からも見放された価値のない自分をここまで親切にしてくれたのだから。きっと、入院するくらいだから、自分のことでいっぱいっぱいだったはずなのに。

僕は久しぶりに感謝することができた。

おばちゃんが退院の日、
「生き別れた息子に会えたみたいで楽しかったわ。ありがとうね。あなたは立派になるわ。だって、ここでの苦しみも悲しみも、あなたにとっての支えにきっとなるはずだから。」
そう言って、去っていった。


それから、僕は頂いた本を必死に読み漁った。また、一生懸命になれることが出来た。なにか出来ることをやっていくだけ。出来ないことばかり考えるんじゃない。なんでもいいから出来ることひとつでもやっていくことで心が失われずに前を向けるんだ。

人間は、何かできることがひとつでもあると希望をもてる。だから、今日も一生懸命にやるよ。僕にできることを。

最期まで読んでいただきありがとうございます。
メルシー


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