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【書評】コーヒーはぼくの杖~発達障害の少年が家族と見つけた大切なもの 岩野 響

発達障害に関心を持って、様々な本を読んでいるが、発達障害が「障害」ではなく個性と認められるためには、周りの人たちの支えが必要なのは間違いない。特に子供の頃はそうだ。この本を読むとそのことを実感させられる。

岩野響君は、アスペルガー障害だ。学校では、授業中にゴロゴロと床の上で転がってしまったり、小さなことで癇癪を起したりする。彼の行動は、画一的な学校生活になじむのが難しかったことがうかがえる。

しかし、彼は、今やコーヒーの焙煎士として名をはせている(この本が書かれた時点で、中2~中3)ここには、彼の発達障害を、発達の特性ととらえ、最大限に伸ばしていこうとした親の努力がある。

そのすさまじさに圧倒される。

三者の視点から書かれる発達障害

この本は面白い構成になっている。岩野(母)、岩野(父)、岩野響(本人)がそれぞれ章を書いていくが、時系列に書き綴っても三者から見る発達障害の見え方というのは、異なっているのがわかる。普通、だいたいどの本も発達障害を一面からしかとらえていないので、三者の観点から発達障害を語るのは珍しい。

中でも岩野(父)は「ふつう」にこだわっていたことを正直に明かしている。なんとか学校に行かせてあげて、この世の中で生きていけるだけの力をつけてあげなければと必死だったのだ。

ただ、面白いことに、岩野(父)自体が「ふつう」の人ではない。「100円の買い物をするのに、100円を稼ぎに行くくらいなら、自給自足したほうがいい」と何でも自分で作るような人なのだ。実際に普通のサラリーマンではなく「染色」を独学で仕事にした職人だ。響君の障害を受け止める包容力も、ふつうの父親のキャパではない。

岩野(母)は、さらにぶっ飛びのセンスである。やはり自分で服を作って売っているのだけれど、これも独学だという。二人で色々ものづくりをしているなかで、自営業を成功させちゃうあたりが、いわゆる「ふつう」の夫婦ではない。

母は響君の発達障害への理解が深く、なんでも飲み込める度量の大きさがある。自分自身でも書いているように、母親自身、幼少期から変わった子だったようだが、明るくのびのびと生きている。響君のコーヒー豆を売るショップを作る時には、3日前に、突然ショップオープンを決め、それをインスタで告知する。それに巻き込まれるように父が働き始め、3日でショップをオープンし、店は大成功となる。

その衝動性はADHDを思わせる・・・(笑)ADHDに特有の勢いを感じる岩野(母)の姿だ。

こんな親たちに育てられたからこそ、響君、才能が活かされたんだよ!と思える。発達障害を診続けて30年の本田秀夫氏がいうように、いわゆる普通の人と、発達障害は陸続きだ。それをスペクトラムというのだ。だから、大なり小なり、人は発達障害の傾向を持つ。岩野家の場合は、両親が共に、いわゆる「ふつう」ではない傾向が強く、その分、響君の才能を引き出すキャパシティを持っていたのだと気づく。

「ふつう」にこだわらない

書名になっている「コーヒーが僕のつえ」は、岩野(父)の言葉からとられた。中学校に行かずにコーヒーの焙煎士としてショップを出した響君が、メディアに注目されるにつれて、岩野家では葛藤が生じる。そして、彼が発達障害であることを世間にカミングアウトしたほうがよいのではないかという家族会議が行われる。

響君は、学校でバカにされた思い出や辛い記憶から、発達障害を公にしたくないと粘る。「ぼくは障害者なのか?」と問いかける響君に、岩野(父)が放つ言葉がタイトルになる。

「コーヒーが、ずっと探していた響の「つえ」じゃないのか?それは恥ずかしいことなのか?まだ「ふつう」のふりをし続けるのか?」

結局「つえ」を使うということは、障害があることを認めることだ。つえを使わずにさっそうと歩けるなら格好良いかもしれない。つえのせいで、障害がばれてしまうかもしれない。そんな気分にさせられる。でも、つえがあるので、障害があっても、ふつうの人と同じように歩けるのだ。

障害を受け入れることの大切さが分かる、障害があるからこそ「つえ」を使うのだ。そして「つえ」を使うことは恥ずかしいことじゃない。

「つえ」を見つけよう

響君は、様々なものを収集する癖があって、昔から「ふつう」ではなかった。両親も最初は、コーヒーも一時的な熱中で終わると思ったそうだ。しかし、響君はコーヒーに熱中し始める。岩野(父)は、響君が、いつもとは違う感触を見つけたことに気づき、さっそく焙煎機を手に入れてくる。そして、何度失敗しても、納得のいく焙煎ができるまで豆を買い与える。

才能を見つけたら、それを伸ばそうとする親の決意だ。

響君がコーヒーに出会ったのは偶然だったと思う。実際にはコーヒーではなくても、彼は別の分野でも大成するのかもしれない。でも大事なのは、彼が、この社会でふつうの人と渡り合っていくための「つえ」を見つけようと、両親が頑張ったことだ。アスペルガーには熱中する特性があるので、うまくハマると生産的な仕事をする可能性がある。

誰かが見つけよう、見つけようとするので、才能は見つかるのだ。

大人の発達障害に悩む人の多くは、これほど恵まれた両親のもとに育ってはいない。私も、ADHD傾向が強いが、何とかそれを直そう直そうという教育を受けたから、IBS(過敏性腸症候群)やら不安神経症などの二次障害と長年闘うことになった。しかし、大人には大人で、自分で考えてPDCAを回す能力が備わっているものだ。私もそうしてきた。

自分に合う仕事を探すまでは七転八倒の日々だったといえる。それでも、自分に合う仕事はあるものだし、それなりに生きていくことは十分に可能なのだ。今は、それが分かる。

確かに、自分は「ふつう」ではない。でも「つえ」があれば、社会の中で、ちゃんと歩いて行ける。そんなものを見つけることが可能だ。そんな希望の光がともるような本だった。発達障害(特にASD・アスペルガー)の親御さんにおすすめ。

私はADHD特性なので、ASDとはかなり違っていると思った。ADHDは、そもそも集中力が続かないので、何をやっても大成しなさそう(涙)。

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大人のADHDグレーゾーンの片隅でひっそりと生活しています。メンタルを強くするために、睡眠至上主義・糖質制限プロテイン生活で生きています。プチkindle作家です(出品一覧:https://amzn.to/3oOl8tq