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#ADHDあるある:発達障害の二次障害は、かくも苦しい。

現在は、心理学の知見を活用して、もっとも悪かった時期は抜け出し、かなりの程度、心のバランスが取れるようになった。しかし、今から2~3年前は不安神経症(心身症)、あちらこちらに表れる体の不調に苦しんでいた。長いトンネルのようなうつ症状を味わっていた時期もある。毎日苦しくて苦しくて仕方がなかった。「もんどりウツ」という感じだった。

学生時代から続くネガティブな感情は、発達障害(ADHD)の二次障害ではないかと考えている。

発達障害→二次障害

うつ病や心身症は基本的に発達障害とイコールではない。しかし、毎日、毎日、できないことで自分をすり減らしていくと、発達障害はうつ病の主な要因となる。私の場合は、合わない仕事をしている時には、いつも憂鬱だった。仕事ができなくて、上司に怒られ、同僚に迷惑をかけ、取引先を失ってしまうのだから、憂鬱になって当たり前だ。

なんとか、認知行動療法・論理療法などで、自分の考え方の歪みを直して、立ち直ろうとしたけれども、悲しい気分や辛い気持ちがなくなることはなかった。まあ、実際に毎日の生活が、針の上を歩いているようなものだったからなんだ。明確なストレス源があったわけだ。

うつ的な気持ちのほかに、不適応・心身症・対人恐怖・自己評価の低下などが代表的な二次障害として知られている。

学生時代のIBS(過敏性腸症候群)

学校生活では小学生からずっと、半端ではないIBS(過敏性腸症候群)で苦しみ続けた。学校自体は楽しく行っていたので、心の病を疑わなかったようだが、いま思えば確実に受診ものだ。実際、IBSが相当に軽減したのは、大学生になって、スケジュールや受講するコマを自分で選べるようになってからだ。

LD(算数障害)やODC(発達性協調運動症)の傾向があった私にとっては、小・中学校は、できないことのオンパレードだった。折り紙も折ることができないし、箸も持てない(今も持てないw)、忘れ物、失くし物、授業についていけないのは当たり前。三重苦、四重苦だ。

友達と遊びたかったので、学校は嫌じゃなかったが、いざ通学しようとすると、何度もトイレに戻らなければいけない羽目になった。体が悲鳴をあげていたのだ。

私の場合、このIBSが大人になるまで大きな問題だった。30歳くらいまでは、トイレを気にせずに外出することはできなかった。着替えをもって歩かなければならないくらいだったから。その症状が強すぎたので、うつ症状は、ほとんど気にならなかった。

しかし、IBSが治まりだしてからはうつ症状や、不安神経症のような症状が交互に表れるようになった。

今考えると、合わない仕事をしている時などの二次障害だったようだ。だんだん、自分の特性を理解してきて、できることとできないことを切り分けるようになってから、メンタルも安定するようになってきた。発達障害とメンタルを切り離して考えると、本質にたどり着かないから注意が必要だ。

助けてもらうのも大切

何よりも大きかったのは、ADHDに理解のある?妻と結婚したことだ。妻は非ADHDなので、私のできないことをほとんどしてくれる。結婚してからは、私の悩みの8割くらいは解消したように思う。今でも一人で出歩いていると以前と同じように不具合多発するのだが、妻が同行していれば大丈夫なのだ(いばっているのが、恥ずかしいじゃないか)

そういえば、小学校時代も、だいたい工作は隣の女子に全部作ってもらっていた。席替えをすると、前後左右には、必ずお世話してくれる女子がいたなぁ。でも、高校になったら、一気に男子と女子との間に壁ができて、女子のお世話を受けられなくて苦しんだっけ。人に甘えるのが処世術だったので、なんだかどうしようもない男子に育った気がする。

発達障害・ADHDは、かくも苦しい病なのだ。だから、女たらしの少年を見かけたら、時にはそんなことも考えてあげてほしい。

大人のADHDグレーゾーンの片隅でひっそりと生活しています。メンタルを強くするために、睡眠至上主義・糖質制限プロテイン生活で生きています。プチkindle作家です(出品一覧:https://amzn.to/3oOl8tq