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「ダメだ灰原。その言葉は呪いになる」

タイトルを見て「ピン!」と来た人、いるよね。
そう。呪術廻戦のセリフだね。

ここはネタバレサイトではないので

「どこのシーンで誰が何のために言ったの?」

というところは言及しない。
詳しくはアニメかコミックスを見て下され。
ちなみに「渋谷事変」編だ。
アニメはつい最近の回だったな。

ちなみに私は野薔薇推しだw

言霊 という言葉があるように
人から浴びせられた言葉というのは
ときにその人にとっては救いになるし、
「呪い」にもなることがある。

特に子どものころは顕著である。

「あなたはかわいい」

そう言い続けて育てられた子は
きっと笑顔の多い子になると思うし、
やっぱりかわいくもなってくるだろう。

うちのワンコも「かわいいなあ」を言い続けると
常に口角が上がったような顔になる。
うちの愛琉は3年間ペットショップのケージで飼われていた。
多分売れ残りだったのかな。
そのペットショップが倒産し、レスキューされたのがうちの子だ。
そんな状態だから、あまり可愛がってはもらえてなかったろう。
来たときはこんな顔をしていた。

表情がない。というより眉間にシワが寄っておる。
終始こんな感じだった。

それがだ。「愛ちゃんかわいい」を言い続けた結果、
こうなった。

見て!この満面の笑み!!
ワンコでもこうなのだから人間もきっとそうなのだ。

ちなみにウサギにも実験中。
少し目つきがおだやかになったような・・・

とまあ「かわいい」は効果があることが証明された。

じゃあ「お前はダメだ」と言い続けるとどうなるか?

きっと「私はダメなんだ」そう思う人間に育つと思う。
仕事柄そういう話はたくさん聞いてきた。

子どもは基本的にピュアだ。
そして子どもにとって親は重要な存在だ。
だから親のいうことはしっかりと子どもにインストールされる。
これ、ほんと怖い話だが事実である。

ダメ出しをされ続けるのはほんとよくない。
でもダメ出しじゃなくても、呪いの言葉になることもある。

私がそうだった。
父親から呪いの言葉をかけられていたのだ。

子どものころ、私はとにかく運動神経が鈍かった。
体育の成績もダントツで悪かった。

足は遅い、跳び箱とべない、鉄棒もムリ、泳げない。

運動に関しては壊滅的な状態だった。

それでも勉強はそこそこできたのだが、
うちの親というのが

勉強よりも運動ができた方がいい

そういう感じだったので
運動ができないというのは
親の期待を完全に裏切っているわけだ。

加えて3つ下の弟は運動がよくできたので
うちの親はたいそうそれが自慢だった。
なので私も運動で認められたかったのだ。
でも何をしてもうまくならない。
ソフトボールもサッカーもドッヂボールも
ほんと悲しいくらいできなかったのだ。

そんな私にとしはる(父)はこう言った。

「お前みたいなどんくさいやつは卓球くらいしか出来へんわ」

これが呪いの言葉になった。

(そ、そうか。。俺には卓球しかないんや)
当時10歳。その日を境にいきなり卓球を始めた。

これしかないと思うと、人は必死になるもんだ。
もちろん運動神経は鈍い。
卓球とはいえ、そんな簡単なもんじゃない。

いや、中学で卓球部に入ったときに
「陸上部かここは」というくらい走り込みをした。
今思うととしはるの中の卓球のイメージは
「温泉卓球」レベルだったと思う。
マジ競技としての卓球は相当ハードなのだ。

中学時代は部活をサボりながらも
他の部にいくこともなかった。
高校はもちろん、やらない予定だった。

(でもなんか部活はしたいよな)

そう思い、部活見学をしていたところ、
同じ中学の先輩に声を掛けられる。

「見学だけでええからおいで」

そう。卓球部だ。
躊躇した。でも先輩の顔をつぶすのもあれなので
見学だけ行くことにした。

結局入部していたw

うちの高校、いわゆる県下の名門校である。
全国大会も何回も出ているわけ。
つまり練習はすげーハードなのだ。

今思い出してもよく3年間続けたもんだ。
ちなみにレギュラーにはやっぱりなれなかった。

本来なら高校で卓球は終わる予定だった。
そう。18歳で呪いは解けるはずだったのだ。

でもそうはならなかった。
その後もずっと卓球を続けることになった。

なぜか?
他のスポーツが壊滅的にできないからだ(笑)

唯一卓球だけがそこそこできる。
だからもうここにしがみつくしかない。

まあそれでもこのころには結構好きになっていたので
生涯続くんだろうなあと思っていた。

現役最後のころのラケット

でも実際は違った。
30過ぎに引退することになったのだ。
理由は交通事故の後遺症と椎間板ヘルニア。

復調してから再チャレンジしたが、
昔のようにはいかない。
そして再発も怖い。
いつしかつまらなくなった。
そして完全に辞めることができた。
呪いをかけられたから24年後のことである。

実は呪いにかかっていたとは
最近まで気づいていなかった。

自分が心理の仕事をするようになり、
これまでの自分の人生を振り返ったとき
あれが呪いの言葉になっていたんだなあと
気付くことができた。

そしてこうも気付いた。

確かにその言葉を発したのは父だが
それを受け入れたのは自分だ。

そう。私に呪いをかけたのは自分なのだ。

追伸1
「これしかない」というのは、それ以外の可能性を
全部排除してしまうので、やっぱヤバイと思う。

追伸2
多分父は何も考えずに言ったのだろう。
私がどれだけ卓球を頑張っても興味を示さなかった。
うん。中学2年くらいで気付けよ自分(笑)

追伸3
「もし卓球をしてなかったら?」というのを
今さらながら考えたことがある。
そうだな、ブラスバンド部が良かったな。