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衝動を言葉にする(noteを書く感覚)

「言葉衝動」

そういったものが
溢れて、
止まらなくなる
タイミングがある。

(今がまさにそれ。
 そして、
 こうして書き始めた文章は、
 ある程度のところで
 未来の投稿用の
 ストックにされる。
 5/27, 深夜 記)

「言葉衝動」が
モヤモヤとしたものなら、
「言葉そのもの」は当然、
ある程度はっきりとしたものだ。

ここに大きなギャップがある。

そのギャップを
埋めるのがだ。


……と、今、

あたかも
私というものは
衝動とその結果との間で

仲介を務めていくにすぎない

言葉を書いているのは
私ではない。

そんな感じの物言いに
聞こえるかもしれない。


いや、実際にそうなのだ。


にとって衝動は、
突然訪れたものだから
自分から距離がある。

そしてあまりに
その衝動がせっつくから、
私は形にまで
持っていくだけのことで、

たとえ言葉の中に
私自身の個性が
入っていることは
否めないとしても、

できあがったものも
自分から距離がある。

なので、
衝動できあがりから
距離があり、
それでも
その間で動いている私
あくまで仲介者なのだ。


自分が言葉にしたものと
自分の内にある衝動、
が常にその両方に
目を向けながら、

「ちゃんとこの言葉は
 衝動をあらわしているか」

と確認し続けることで、
文章はできあがっていく。


ところで……

今、この衝動を
一人感じ続けている内に、

これは
誰かとコミュニケーションを
取りたい気持ちと
非常に似通っている

そう気付かされた。

この「誰か」は、
今現在、特定の顔を
持っていないので、
まさに

「不特定の誰か」

と位置づけた方が
よさそうだ。

実際にしゃべる相手がいたら、
私は何か言葉にしたい気持ちを
意識することなく、
その相手と
自然に話し始めただろう。

しかし、
たまたま今は、
誰ともコミュニケーションを
取る状況にないため、
「何かただ言葉にしたい」
 =「言葉衝動」
が自分に意識されるほどに
生じたのだと思われる。

こんな、
たった一人の時の言葉こそ
あなたにとって大事なものだ。

よく衝動に耳をすませて、
言葉にしてほしい。


特定の誰かでもない、
不特定の誰かに向けた
文章は、
こうやってできあがる。

もし皆さんも、
自分の中にある
言葉衝動に気付いた時は、
力強く文章を
書き上げてはどうだろうか。


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