一対一で浸ること ― 音楽と読書の話

あなたにとっての、一対一で浸る体験は何ですか?


メンタリスト 彩 -sai-(@psychicsorcerer)です。

今回は、

「何かと相対して、一対一の時間に浸ること」

についてのお話です。

結論めいたものはあまりありませんが、その分、内容全体が伝えたい感覚だと思ってお読みいただけると幸いです。


noteの下書きを見ていたら、ただ一言、

「音楽と一対一の関係になれる。」

とだけ書いたものが残っていた。

この一言で書きたかったことは次のようなことだ。


音楽を聴くシチュエーションの中には、LIVEや店内のBGM等、複数の人と過ごしながら聴くものもある。

それに対して、一人の時間に浸るために音楽と相対するようにして聴くものもある。

私が好きなのは、この、一人で相対して聴くような音楽の体験だ。

私自身は、言葉の入らない曲を聴くことも多い。

もちろん、このように音楽を聴いている時は、私自身も無言だ。

すると、そこは、音はあるものの沈黙に浸れる時間になる。

人以外のものと一対一になって無言でいられる、そんな時間が、自分にとってとても大事なのだと思う。


……ここまで考えてみて、読書もその時間とかなり似ていることに気付かされた。

読書こそ、基本的には本と一対一になり、無言でいる時間だ。

読書を、同時に他の人と共有することは限りなく少ない。

(もちろん、同時にそれぞれが同じ本を読む、といったこともできなくはないが。)

この人以外のものと一対一になる時間を私は求めているのかもしれない。


ただ、読書が私にとっての音楽と違うのは、そこには言葉があることだ。

文字のない画集を見ることが言葉を減らすことに当たるかもしれないが、私自身はなかなか画集を手に取らない。

それでも、言葉を媒介として、語られている何かと一対一で向き合っている感覚になることはある。

それこそ、俳句や詩なんかは、語られた言葉から浮かぶ情景と相対している気持ちになる。

その意味では、俳句や詩などは、私にとっての音楽と似ているかもしれない。


既に、過去にも、一人になれる時間が自分にとっては大事だという旨の記事は書いてきたはずだが……

なかなか、一人でただ沈黙している瞬間というのは実現しづらい。

何かと相対して、それに無言で浸ることで、この瞬間は実現に近づくのではないだろうか。

この時間があるからこそ、私は、自分自身を取り戻せると思っている。

(これまでの記事にも、自分自身を取り戻すことは、多くテーマにしてきているはずだ。)


きっと、これを読んでいるあなたも、別の形でそういう時間を持っていると思う。

例えば温泉、例えば晩酌、等々。

そんな時間に気付いて、あなたが自分自身を取り戻せる時間を有意義に使えればと思う。


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