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誠実に生きたいあなたへのメッセージ【ニーチェ超解説】

今回の記事が、
あなたが誠実さに生きることへの
ヒントになればと思います。

これがニーチェの核心だ

そう私は捉えています。


メンタリスト 彩 -sai-(@psychicsorcerer)です。

【ニーチェ超解説】は、
ニーチェの言葉を私なりの解釈で
「超」解説するシリーズです。

さて今回の言葉です。

〈誠実〉とは何かという問題について、おそらくいまだなんぴとも充分に誠実であったことはない。
(『善悪の彼岸』177)


超解説

誠実であることは、
ニーチェがとても重きを
置いていたことです。

ニーチェの言う
誠実を考えると、
いつも思い出す言葉が
あって。
(余談めきますが……)

それは、
MINT(現Minchanbaby)
という神戸のラッパーの
「あなたが知ってる」
という曲の次のフレーズ、

合同コンパで嘘はついても
自分には正直でいるべきだ

これです(笑)

誠実や正直が大事と
吹聴しながら、

合コンなんかで
嘘をついている内に、

その嘘が自分の
正直な気持ちだ、
と自分自身でも
思い込むようになり、

結果、
普段の振る舞いまで
自分を偽った姿の方に
変わってしまう

そんなことって
結構多いんですよね。

(合コンで嘘をつき、
 かつ自分自身まで
 丸め込んでしまう、
 そんな出来事と同等の
 不誠実なあり方ついて
 こちらでも述べています。)
 ↓ ↓ ↓

もし周りと自分自身を
偽るようになったら、
自らを誠実に見直すことが
必要になります。


ニーチェが
世の中を誠実に見た
結果として行った、
そう自覚していることに
キリスト教批判
あります。

(ニーチェの
 あまりにも有名な言葉
 「神は死んだ」

 はまさにそれを
 象徴しているものです。)

このキリスト教への
批判精神は
どこから来たのか?

実はそれは
キリスト教自身に
由来するものなのです。

ニーチェは、その誠実な道徳がじつはキリスト教道徳に由来するものであることを誠実に認めている。(略)キリスト教道徳は誠実さという自己破壊的な道徳も育て、それは自らが生まれ育った基盤そのものを破壊することになるのだ。
(永井均『これがニーチェだ』)

ニーチェは
牧師の家に生まれ、
キリスト教精神から
誠実さを育み、

その結果として、
キリスト教批判を行い、
さらにまた、
この自己破壊的な
側面についても
誠実に認めたわけです。


ここまで来て、
今回の言葉を解釈する
一つの視点ができました。

〈誠実〉とは何かという問題について、おそらくいまだなんぴとも充分に誠実であったことはない。

この言葉はひとまず、
次のように読めます。

ヨーロッパ社会においてキリスト教が育んだ〈誠実〉について、それに従い切って、さらには自己破壊に至るほどまでに誠実に取り組んだものはまだいない。

これは、
決してキリスト教に
限った話ではないので……

言い換えましょうか?(笑)

合コンなんかで
「自分は誠実だから」
って吹聴することで
モテようとするだけでなく、
ついには自分自身まで
そういう人間なんだと
心底偽るようになった人、

そこまで来たら
吹聴することについて、
そして、
普段のあり方について、
誠実に見直してみたら
どうなるだろう?

あなたの言うその誠実さを
徹底すれば、
あなたはどう変わる?

……という風に、

結構強引ですけど(笑)

今回の言葉は
こういう方向への
投げかけにも
つながるはずです。

これはつまり、
自分自身を偽らない
強いあり方への
投げかけとも
読めるわけですね。

(つまり、ここから
 力や強さに向かうことを
 述べたニーチェの思想、
 すなわち
 「力への意志」
 といわれる思想に
 つながる可能性が
 出てきます。)

あなたの誠実さは、
その誠実さとあなた自身を
どのように見ていきますか?

もしかしたら、
誠実でいるためには、
優しさだけでなく、
強さが必要かもしれません。


今回の超解説は以上です。

ご参考になればと思います!


参考文献

フリードリヒ・ニーチェ『善悪の彼岸 道徳の系譜』信太正三(訳)、筑摩書房、1993年。
永井均『これがニーチェだ』、講談社、1998年。


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