9月21日は「国際平和デー」

「国際平和デー」をご存知だろうか。
ちなみに私は、大学の友人主催の「The Day After Peace 映画観賞会」に参加するまでその存在を知らなかった。

このイベントは、YouTubeに合法的に無料公開されている『The Day After Peace』というドキュメンタリー映画を見て、感想を投げ合うという内容であった。
『The Day After Peace』は、長崎で被爆を経験した祖父を持つジェレミー・ギリー氏が、「国際平和デー」――すなわち“世界の停戦と非暴力の日”を実現するべく、多くの人に掛け合いながら奔走するドキュメンタリー映画である。

感想を述べるにあたって、少しネタバレをすることになるがお許しいただきたい。

映画鑑賞後のディスカッションの際、私が真っ先に言及したのが「報道の構造的問題」である。
ジェレミー氏は、「国際平和デー」が国連に採択されたものの、それが世間に浸透しないことに深く悩んだ。
マスコミが報道しなかったからである。
彼は最終的に、アンジェリーナ・ジョリーやジョニー・リー・ミラーといったセレブの協力を得て、なんとかマスコミの注目を得ることに成功した。

本来、社会的意義のある話題は、有名人を使わなくとも積極的に報道されるべきである。
なぜならそれがジャーナリズムの役目であるからだ。
しかしながら、ビジネスが絡むと、世間がぱっと見で「面白い」と思うものしか報道されないというのが現実である。
お金なしにメディア企業は成り立たない。
昼間のワイドショーで、政治問題や社会問題に並んで、あるいは先立って芸能人のプライベートなニュースが報道されるのがわかりやすい例であろう。
“面白いかどうか“だけに重点を置いた報道が続けられると、いずれ「戦争」や「震災」といった、未来に生かさなければならない悲惨な過去が風化されてしまう。

そんな時に、上手に利用すべきなのが「エンタメ」だ。この映画もその一つと言える。

思い返せば、私が初めて戦争に興味を抱いたきっかけも、岡田准一主演の映画『永遠の0』であった。
いわゆる「真面目」なだけのニュースには注目してくれない層も、“泣ける”映画となればこぞって見ようとする。
悲劇を風化させないためにはやはり「エンタメ消化」という手段を使うのが効率的なのではないかと思う反面、やはりジャーナリズムの役割を今一度考えなおす必要があるのではないかとも思う。

ディスカッションの中で、主催者が「意味があるかはわからないけど、広めることしか自分にはできないからこの会を開いた」というような発言をした。
たしかに一人の意識が変わったところで戦争が終わるわけではない。
しかしながら、「一人の集合体が社会であり、一人変わらずして社会も変わらない」と私は考える。「一人一人の意識」が「風潮」をつくり、「風潮」が「社会」をつくるのである。
それゆえ、一人一人が平和活動を肯定したり、戦争に対して日頃から意識を向けたりすることが、微力であれ間接的に誰かの命を救うと思う。
映画の最後の、「(活動に対して)『無意味だ』と言うことは、命を救えない状況に加担するのと同じである」という言葉がそれを示している。

社会問題は、個人個人の当事者意識なしに解決できない。
映画内でも、ノーベル平和賞受賞者であるダライ・ラマ法王14世が「人間としての責任」と表現した。

それぞれがいま簡単にできる「平和活動」として、これを読んでいるあなたには、
「9月12日は『国際平和デー』」と、それだけ心に留めて頂きたい。


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