「魅力的な生き方」とそれを実行すること

NHKのプロフェッショナルをたまたま観たら、納棺師さんの回だった。

最初はご遺体の映像が流れることに衝撃を受けたし、見ることに結構抵抗があった。けれど、残された人が納得感を持って今後を生きられるように、オーダーメイドの納棺を行なっている姿に心打たれて、徐々にご遺体の映像を見ることの抵抗が薄れていった。

今の自分は「死」を遠ざけすぎていたことに気づいた。

6年前に祖父が亡くなったときも、自分が涙もろいのを知っているので、なるべく泣かないように泣かないようにということばかり考えていた。泣かないことに意識を注ぐことで、祖父や祖父が亡くなった悲しみに向き合うことから逃げていた。だから、私は未だに祖父が亡くなった実感を持てずにいる。幸い祖父は遠方に住んでいてたまに会うのが普通だったので、亡くなる前と似たような感覚を錯覚しながら過ごせている。

でもこれが同居している人や、さらに親しい関係の人だったら、もしかしたら前を向いて生きられないでいたかもしれない。そう思うと、納棺師の方と一緒に納棺をして、「死」と、「故人」と向き合い、ちゃんと悲しむことはとても大事だと思った。

就活をする中で、より良い「生き方」は意識して考えるようになってきた。でも、「生」も「死」も両方バランスよく考えていくのが、今後の人生をより濃いものにするのだろうと番組を観て思った。

相手とじっくり話して、その人に寄り添って、自分で精一杯考えたオーダーメイドのものを作って喜んでもらう。これは私がやりたいと思う仕事の仕方で、今日の番組に出演されていた納棺師の方はまさにこれを実践されていた。そして私も納棺師の仕事を素晴らしいと思った。けれど、なぜだか自分がその職に就くことを考えると違う気がする。納棺師の仕事について世間からは心無い言葉を浴びせられるという話が番組内で出ていたが、番組を観て私が納棺師の仕事をポジティブに見られるようになったつもりになっているだけなのだろうか。

でも、私は「教育」に携わることで、人々の人生を豊かにしたいと思ってきた。それは、学び続けることで人生がおもしろい!と感じる人を増やしたい。そういう人がたくさんいる社会は明るく思いやりがあるのではないか、と思っているから。

前向きに生きる人を増やす仕事という点で、納棺師と似ているのかもしれない。でも過程が、焦点を当てる場所が少し違う。どちらにやりがいを感じるか、ということなのだろうか…。

ただ、仕事の仕方にがとても魅力的に映った分、自分がその納棺師の仕事をするかどうかを考えた時、正直ためらってしまったことに、なんだかモヤモヤしてしまった、そんな夜だった。


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