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14. 聖を絶ち智を棄つれば(せいをたちちをすつれば)

大人の学びは子供の頃の好奇心のままで


この章で老子は珍しくはっきりとした口調でこう言っています。
「外から学ぶのをきっぱりやめよ」と。

しかしほとんどの人はそれに対しては疑問に思うでしょう。なぜなら勉強しなくては世の中を渡れないからです。

文字一つにしても学校で学んだからこそ、今こうして文章が読めるようになっているわけですから。


また「英知を断ち切れ」とも言っています。

しかしそもそも「英知」とはどういった意味?中々日常で使わない言葉ですし、抽象的ですね。今更ですが私は具体的に意味を知りたくなって、Chat GPT先生に小学生でもわかるように説明してもらいました。(以下、略してあります)


※英知とは、知恵や知識、洞察力と言ったものを指す言葉です。自らの経験を通して得られる深い理解や知恵でもあります。

また自分や他者の考えや感情を理解し、柔軟な思考を持つこと、それによって様々なことに興味をもち探求することで英知を得られることができるでしょう。



というわけで、英知を得るには様々なことに興味を持ち、探求する姿勢が大事だということですが、これをやめよと老子はきっぱりと言っているのです。

しかしそこは老子の真骨頂。

この老子のメッセージは決して勉強しなくても良いとか、サボって楽をしても良いという意味ではなく、執着や見栄などの欲望を捨てよということなのです。


「自らの欲望や執着や小手先の技巧を捨て、自然体の中で子供のような好奇心をフル稼働させよ」


子供の頃、ボールを追いかけて道路に飛び出してしまい、間一髪、車に轢かれそうになった。

そして車から男の人が大きな声で私に向かって怒鳴ってきた。


「あぶねーだろ!このやろう!」

とても怖かった。

家に帰っても震えが止まらなかった。そして自分が物凄く悪いことをしたみたいでお母さんにも言えなかった。


しかし老子の「聖を絶ち智を棄つれば」を学んだことで、好奇心のまま無心でボールを追いかけて走っていた自分を本当に愛おしく思えるようになり、あの時死ななかったから今こうして生きて学ぶことができている喜びを感じられるようになったのです。

そして約半世紀を経て、この出来事の伏線がやっと回収され、意味を見出すことができたのです。

誰にも知られなくとも、お金にならなくとも、ただ自分の中で昇華でき、消化できる。それだけで良いのです。そうやって経験を通して自分を知って自分を愛でることができる、それこそが本当の学びだと思うのです。


だからこそ見返りを求めず自然体で、無心になってただただ今を楽しもう。そしてその心をずっと忘れないでいよう。それが大人の学びの面白さなのです。



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