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こころをダイジェスト 5話 幻覚剤

LSDの助けによって、ポリメラーゼ連鎖反応法(PCR法)を開発できた。
 -キャリー・マリス(化学者 ノーベル化学賞受賞)

冒頭の一文は、アルバート・ホフマン(LSDの発見者)の100歳の誕生日に、PCR法の発明者でノーベル賞受賞者であるキャリー・マリスがホフマンに語った言葉だ。もちろんリップサービスの可能性もあるが、彼はLSD愛好家であることを公表しており、彼の研究に影響を与えたことは間違い無いだろう。(もちろん彼の住むアメリカでもLSDは違法である。)

コロナ禍の今、PCR検査の名前を聞かない日はないが、PCR法はそもそもDNAを増幅させる手法であり、検査のみに使われているわけではない。遺伝子分野の様々なものに利用されており、遺伝子科学の基礎とも言える重要な技術である。

ワクチンの投与も始まったことで、ようやくこの状況を脱しようとしているが、彼の功績がなければ、人類はもっと長い間苦しむことになったであろうことは想像に難しくない。

(これは余談だが、DNAの二重螺旋構造の発見で、ノーベル賞を受賞したフランシス・クリックもLSDの愛好家で、LSDが研究に役立ったと友人に語ったそうだ。)

重要な注意!:本 noteはNetflixオリジナル作品「こころをダイジェスト」の解説であり、違法薬物の使用を推奨するものではありません。

導入

オクタビアン・ミハイは21歳の時、ホジキンリンパ腫(血液のがん)のステージ3と診断された。
医者の説明によると10人に2人は死亡する病気で、彼は自分はその2人ではないのかと心配してばかりいた。
幸いがんの手術はうまくいったが、再発する可能性が残っており、そのことを非常に恐れていた。

ある時医者から、がん患者を対象にしたある実験への参加を持ちかけられた。
それは幻覚剤を用いて死への不安を無くすという臨床実験だ。
幻覚剤への好奇心があったのと同時に、今よりさらに悪くなることはないだろうと考え実験に参加することにした。

数回のセラピーで準備した後、マジックマッシュルームの成分であるシロシビンを投与。彼はその時の気持ちをこう語っている。

人生の全てがガラッと変わった瞬間だ。
黒い煙が体内から放たれ、穏やかな気分を感じ、未来に希望が持てた。

彼に付き纏っていた不安は消えた。
数ヶ月後の再発検査を受けた時も、彼は緊張せず穏やかな気持ちを保っていた。
数分後に生きるか死ぬかの「死の宣告」の直前、普通に考えると気が気でならない状況においても、彼の心は平穏で落ち着いていた。

この実験ではがんを患う他の患者たちの不安も和らいだ。
高かった不安レベルもシロシビンの投与で半年経った後でも低位で安定していた。

たった一度の一錠の薬で。

研究はまだ少なく、対象人数も少ないが、従来の薬物治療に比べ驚くべき効果だ。

また幻覚剤は禁煙治療にも期待できる。
数回の幻覚剤の服用で、70%の被験者が1年以上の禁煙に成功した。
ニコチンガムやパッチでは20%以下の禁煙成功率であることを考えると突出した効果だ

また、一般的な治療が効かないうつ病(難治療性うつ病)にも有効であることが確認され始めている。
たった数回の幻覚剤の使用で、なぜここまで劇的で多様な効果があるのだろうか?


LSDの発見

LSD(リゼルグ酸ジエチルアミド)を合成したのは化学者のアルバート・ホフマン
1943年4月19日 ホフマンはLSDを人類で初めて服用した。
その時に摂取した量はたったの 0.00025 g(250μg)。
彼は極めて微量だと思っていたが、実はこれでも現在使用される量の2倍量であった。

彼は化学者らしく、その時感じた効果を書き残している。

めまい、不安感、視界の歪み、麻痺症状、思わず笑ってしまう、自転車で帰宅、極めて不安定に。

:この実験の数日前、LSDがホフマンの指から経皮吸収され、たまたま効果が発見されている。19日の実験はその効果を確かめるために行われた。
ちなみに完全な余談だが、4月19日はLSDの発見を記念してBicycle day(自転車の日)という記念日になっている。
これも余談だが、その次の日の4月20日大麻の記念日である。全く関係ない話だけどね。

ホフマンはこの強力な薬を有効利用できると考え、希望する研究者に使い道を探ってもらうべく無料で配布した。
60年代には政府の支援精神障害の治療に役立つかの実験が行われた。
その結果は有効アルコール依存症や、不安障害の治療で効果を示した。

LSDの国際学会が何度も開かれ、年に1000件以上の論文が発表されるようになった。
しかし、その後現在に至るまで研究がぱったりと途絶えてしまう
それは薬物が文化的に恐れられ、人間への利用は非倫理的と思われるようになったからだ

薬物戦争の歴史

まず幻覚剤が世間に知られるようになったきっかけはLIFE誌の特集である。
57年5月13日発行の本誌に「魔法のきのこを求めて」というマジックマッシュルームの体験記が掲載される。

注:ちなみにこれがマジックマッシュルームという言葉の初出である。

1966年サンフランシスコのヒッピーの集会で、ハーバード大学の心理学者ティモシー・リアリーは、若者たちに次のように呼びかけた。

「意識を広げ、波長を合わせ、逸脱せよ」
(Turn on, tune in, drop out)

これがカウンターカルチャー文化のスローガンになり、リアリーはサイケデリクス界の著名人となる。(サイケデリクス=幻覚剤)

幻覚剤はロックンロールとベトナム反戦運動と結びついたことで、政府からは脅威と捉えられることとなった。
文化的な思想が広まると、メディアは薬物を悪と映し出し、幻覚剤を好意的に紹介していたLIFEですら手のひらをひっくり返し批判し出した

反体制派を助長するとして、ニクソン大統領はヒッピーブームの象徴でもあった幻覚剤と大麻を、最も危険な薬物の区分である、スケジュール1に指定した。
スケジュール1は乱用の恐れがもっとも高く、医療目的としても”全く”使い道のないとされるカテゴリーである。(医療用途としての価値がないとされたため研究を行うこともできない)
ニクソンはLSD研究を推奨していた化学者を解雇することで、幻覚剤の研究に圧力をかけた。

(スケジュール1は”別の意味”でも悪名高く、このように政治的な意図によりカテゴライズされた物質が多々ある)

また、麻薬の取り締まりを強化する部門、麻薬取締局(DEA)を設け、ティモシー・リアリーは逮捕された。

教育用や政府の映像では、LSDは染色体の損傷や、先天異常自殺精神病のリスクを警告。挙句の果てに脳障害が起こるとも警告した。

現在の研究では、幻覚剤による脳の損傷は起きないとされ、染色体の損傷や先天異常も実証されていない。

幻覚剤のリスクは明らかに誇張されているが、皆無ではない
現在闇市場に出回っている幻覚剤には、PCPメタンフェタミン(覚醒剤)が混入されているものもあり、これらはそれ単体でも危険な薬物である。
また事例証拠から、過去精神病を患った人は、幻覚剤によりさらに悪化する可能性もある。最悪の場合、幻覚剤で統合失調症が発症するケースもある。

注:余談だがPCPやメタンフェタミン・アンフェタミン(覚醒剤)はスケジュール1よりも”安全”とされるスケジュール2である。

一方で、幻覚剤は精神衛生問題や自殺とは無関係とする研究もある。
その研究によれば、2万人の幻覚剤使用者を調査したが、薬物と精神衛生に関連性は見つからなかった
また幻覚剤の”常習者”精神治療を受ける必要がある割合が低かったという結果もある。

幻覚剤の効果

ヘロイン、コカイン、アルコールといった薬物は意識を自分を枠外に出すものだが、幻覚剤は意識を内に向ける薬物である。
これは瞑想やマインドフルネスにも似ている。瞑想が心のあり方を研究した基本コースなら、幻覚剤は短期集中コースだ。

幻覚剤の効果といえば極彩色で奇抜な幻覚が思い浮かぶだろう。
めちゃくちゃで取り留めのない幻覚がうつ病を癒してくれるのだろうか?

実は、幻覚は数ある効果のうちの一つに過ぎない
もっと重要なのが、ティモシー・リアリーが著書の中で語った、意識を自我の外へと広げる状態、所謂自我が溶ける状態である。

では自我が溶けるという状態ではどうなるのだろうか。
これは幻覚剤体験の典型的な現象で、何か大きなものと融和したように感じ、愛や人とのつながりを実感できた、という報告が多く挙がっている。

研究者らはそのような体験が頑固な心の病気を治せるのか、興味があった。
幻覚剤には、鬱、死への恐怖、禁酒、禁煙など様々な効果があるが、がん患者の死の恐怖アルコール依存症は全く別物であり、同時に効くと言うのは従来の薬では考えられないことだ。

それを説明するには、禁煙への効果は特に注目に値する。
幻覚剤が広く出回っていた60年代、タバコは今より自由に吸うことができて、今ほど社会問題になっていなかった
幻覚剤とタバコをどっちもやる人は多かったが、幻覚剤の体験後も喫煙を続ける人はたくさんいた
この現象から、どうやら幻覚剤が禁煙に役立つのは、本人が禁煙を望む場合のみであるということがわかった。
幻覚剤は暗示的な力が強く、自分が本心から辞めたいと思っている悪い習慣を辞める手伝いをしてくれる。

自分の意図が薬の効果に最大の影響をもたらす。
これが幻覚剤が他のあらゆる薬と大きく違う部分である。

バッドトリップを避けるには?

リアリーは著書の中で、幻覚剤の効果は状況と設定次第(set and setting)と述べている。

その時の状況(思考、気分、先入観や期待)(set)
その時の設定(どんな場所、誰といるか)(setting)

幻覚剤を使うときは正しい状況と設定に身を置くことが重要だ。
不安な考えや劣悪な環境は恐ろしい幻覚(バッドトリップ)を招く。

幻覚剤には気をつけるべき心理的リスクがあるが、古代の使用方法から対策を学ぶことができる。人類と幻覚剤の付き合いは長く、そこには長年培われてきたノウハウがある。

アマゾンの森で生活していたシャーマンはDMTを含むアヤワスカを用いた。
メキシコではペヨーテという幻覚サボテンが、アステカではマジックマッシュルームを蜂蜜と一緒に食べていた。
娯楽として使う現代人とは違い、彼らはスピリチュアルで神秘的な儀式として、幻覚剤を使用する。

彼らの儀式では、熟練で環境を把握したシャーマンが体験を導いてくれる。
現代の臨床試験でも同じ方法が用いられる。ガイドは被験者との面会を重ねてから薬を使用する。

面会の目的は友好な関係を築き信頼してもらうことで、幻覚剤を安心した気持ちで使用してもらうためだ。
幻覚剤を使用している間のガイドの役割は、恐怖感を取り除き意義のある体験となるよう、音楽をかけて落ち着かせたり、逆に外界の刺激を減らし、内に目を向けさせたりする。

ガイドの仕事は使用後も続く。単なる体験で終わらせないよう、経験を統合し取り込ませる手伝いをする。例えば、トリップ中の出来事を書き出すことで体験を強化するなどだ。

ガイドはまるで宇宙旅行をサポートする管制官だ。

幻覚中の脳

2014年に幻覚体験中の脳の様子が分析された。左が通常の脳である。点は脳の異なる領域で、線はその結びつきを表す。

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Homological scaffolds of brain functional networksより

幻覚体験中の脳が右で、通常では起こり得ない活発な通信が行き交う。
この結果から、この激しい脳内通信によって、脳に新しい結びつきが生まれているのではないか、と言うのが幻覚剤の効果が長期的に続く理由を説明する仮説の一つだ。

また、ある研究者は脳を雪山に例えた。
その雪山にソリが走る。雪山を滑るソリは思考である。
最初はまっさらな雪山でも、ソリの走った跡にはができ、走れば走るほど溝は深くなる。次第にソリは決まった溝に沿って進むしかできなくなる。

幻覚剤はそこに雪を降らせる。まっさらにリセットされた雪山で、ソリは今まで通ることのできなかった新しい軌跡を見せてくれるだろう。
アルコールやタバコ中毒など深く刻まれた行動も変わるかもしれない。

鬱や不安も中毒症状と似ていて、思考や自己意識のループといった反復パターンに陥っている。過去や未来に気を取られ、自己を狭めるのは4話でも解説したデフォルトモードネットワーク(DMW)である。
鬱状態ではDMWの活動が増える。シロシビンはこの活動を大幅に減らす。

きちんと制御された研究はまだ少ないが、重要で持続的な効果が観察されている。臨床実験以外の幻覚剤の処方にはほど遠く、まだまだ研究が必要である。

この薬は非常にユニークだ。従来の薬と異なり、効果はどこで服用したか、誰と服用したか、自分がどうなりたいのかに左右される。万人向けではないが、多くの人に新たな可能性希望を与えるのは紛れもない事実だ。

まとめ

・幻覚剤は薬物依存症、鬱、不安障害への効果が期待されている。

・効果は他のあらゆる薬と違い、服用時の状況や設定に左右される。

・幻覚剤は一時期は厳しく規制されていたが、ここ10年で再評価(ルネサンス)が急速に進んでいる。

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