愛嬌のハッピーセット
息をする。吸う、吐く、吸う、吐く、吸う、吸う、吸う、吸う、
そして、止まる。
人生なんて所詮そんなものだ。
毎日毎日、生きているのではなく、死んでいないだけの日々を消化していく様なもの。
絶望の解像度が上がっていく。
左手首のまだ新しいリストカットの傷痕、半袖のセーラー服、精神科の病院の端に植えられた向日葵。
お手頃なハッピーセットみたいに、愛嬌の安売りをする。 そうやって精神を磨耗して生きてきた。
視界の端に佇んでいる季節外れの雪うさぎは、私をそちらの世界に連れて行ってくれるわけでもなく、ただこちらの廃れた日常を傍観していた。
人は愛し愛されて生きていく、そんな「普通」のこともできないわたしは、とうの昔に「普通」のレールから外れてしまったみたいで。
毎日辛くて仕方がないけれど、どこにどう吐き出せばいいのかわからなくて、結局自分に当たってしまう。それが逆に自分の心身を削ることになることを知っていながら。
ピンクグレープフルーツジュースでコンタックをオーバードーズしていた私は飲んでから数時間後に嘔吐してしまい、そのオレンジ色の吐瀉物を見て、「ああ、あのキャラクターの髪と同じ色だ」なんて最低なことを考えていた。
わたしの脳内を走る絶望の電気信号は、わたしの心を掴んで離さない。
混合性不安抑うつ障害、完治は難しい病気なんだって。こんなに辛いのに、ネットで調べたら、そんなに重篤じゃない症状を指す病名なんだって。わたしはいまも生死を彷徨っているというのに。人が死ぬ病気なのに。
先生は、パニックの症状("不安"の要素)も、憂鬱気分("抑うつ"の要素)も、希死念慮も、衝動行為も、離人感も、その他いろいろも、全部ひっくるめて、複雑な症状があるよって意味でこの病名をつけてるって言ってた。
その背景を知らない、しかも有名じゃないこの病名を聞いた人に、わかってもらえなくても、そりゃ仕方ないか、って思った。けど、わかってほしい、救われたい。
いつか治るのかな、そんな希望も打ち砕かれてしまった。今まで真面目に生きてきたはずなのに。どうしてこうなったのかな、
お金が入ればオーバードーズをして、辛くなったらアームカットをするように、自分を傷つけるようになってしまったのは、いつからだったっけ。
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