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将来イギリスに住みたい!と願ってから実際住むようになるまでを振り返ってみた。

イギリスに移住してから、今年の10月で18年目になる。

「18年近くイギリスに住んでる」なんて言葉にすると、「イギリスに絶対に住みたい!」と切に願っていたあの頃の私からすれば、信じられない気持ちにもなる。

よかったね。You made it! 

それでは、イギリスに住みたいと思ったきっかけから、住むようになるまでを振り返ります。


クイーン、フレディ・マーキュリー、ブラーとの出逢い

高1のとき、洋楽好きなクラスメイトの紹介でクイーンと出逢った。このことについては、別の機会に書くとして、簡単に言うと衝撃を受けた。たちまちクイーンファンになり、フレディの虜になった。そしていつしか、クイーン発祥の地、イギリスに住みたいと思うようになった。

洋楽好きな母に育てられたこともあり、もともと英語が好きで海外に興味があったこと、小学生のときから、将来は英語を話せるようになりたいと思っていたこと、そんなバックグラウンドがあって、クイーンと出逢い、私の興味はイギリスに定まった。

高2になって、MTVでブリットポップのPVがよく流れるようになり、その中でも私はブラーにハマった。もちろん一番好きなバンドはクイーンだったんだけど、健在のバンドの中ではブラーが一番好きになった。

私の頭の中はイギリス一色に染まっていた。

MTVでブラーのインタビュー映像を見たり、クイーンのビデオ(当時まだDVDはなかった)でメンバーが話しているのを見たりして、イギリス英語の魅力にもハマっていった。日本の英語教育はアメリカ英語が主流なこと、小学生のときに大好きだったマイコーがアメリカ人でアメリカ英語を話していたこともあって、これまで英語だと思っていたのがアメリカ英語で、イギリス英語というものが存在するということも、この頃初めて認識したと思う。

私も将来イギリス英語を話せるようになりたい!

と思って、イギリス英語を勉強しようと思っても、まずイギリス英語の教材も見かけないし(もしかしたら存在はしていたのかもしれないけど)、イギリス英語を勉強するには厳しい環境にいた。アメリカ人はたくさんいたんだけれど。。。


高校卒業後の進路

高校卒業後の進路を、クラスメイトが地元の大学や専門学校などに決めている中で、私は

イギリス語学留学

と決めて、担任の先生に何を言われても、日本の大学に行くことに全く興味が持てず、それで1年通した。

ラッキーなことに、高2の後半に交換留学生に選ばれて、ハワイの高校に2週間通うことになり(このこともまた別の機会に書くとして)とても貴重な経験をした。学校には個性的な先生が多く、クラスみんなが楽しく参加する授業スタイルに圧倒された。そしてアメリカの学校にも興味を持つようになった。

イギリスには将来的に住むつもりではいたけれど、イギリスの大学に留学することは頭になかった。というのも、学費はもちろん、イギリスの生活費が高かったから。当時インターネットもない時代だったので、情報を入手するには留学関連の書籍のみで、よく本屋に入り浸ってた。

そしてイギリスの語学留学に賛成してくれていたはずの母が、いつの間にかイギリスの語学留学に協力的ではなくなってしまい、イギリスの語学留学の予定も消えてしまった。

高1か高2からだったか、記憶が定かではないが、英語がどうしても話せるようになりたかった私は、近所の英会話学校に週1で通った。英語のリスニング力が少しずつ着実についてきていて、簡単な受け答えができるようにはなっていたものの、私の英語力はまだまだだった。

どうしたら、この状態からイギリスに住めるようになるんだろう。。。

と考えても考えてもわからず、それと同時に、自分の部屋の壁に貼っていたロンドンの風景が載ったポストカード(ロンドン・ブリッジやセント・ポール寺院、ロンドン塔、ダブルデッカー(赤い2階建てバス)など)を見ながら、自分がすでにロンドンにいる気持ちになって、よく空想していた。

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想像力が豊かな私は、自分がすでにロンドンにいる姿がはっきりイメージで見えて、将来はロンドンに住めると確信してはいたけれど、どうやったら住めるようになるのか、その途中段階の道が全く見えずにいた。

悶々としてはいたけれど、英語や英会話の勉強は地道にずっと続けていた。

ある日、よく入り浸っていた近所の本屋にいつものように行くと、あるポスターが目に入った。アメリカの大学の日本校からアメリカ本土の大学に編入できるシステムがあって、その生徒募集の広告だった。

その頃には高3になっていた私は、母にその学校のことを話して了解をもらって、アメリカの大学の日本校に入学する前に必要なTOEFLという英語の試験の勉強ができるクラスに通うようになった。

半年ほど通ったあと、結局、いろいろ理由があってこのシステムでアメリカの大学に行くことはやめることになったけれど(金銭的な理由が第一)、将来はアメリカかカナダの大学に行きたいと真剣に思うようになっていた。

アメリカかカナダの大学に行って、イギリスに将来住めるようになるという保証はなかったけれど、とりあえず1歩進めた感じがした。

目指す目標もできたしね。

アメリカかカナダの大学に入学するために必要な条件のひとつ、それぞれの大学が求めるTOEFLのスコアを取ること。

それが真っ先に達成すべき目標になった。

そのためにはどうしようって考えたときに、とりあえず通っていた高校の進路室に行ってはみたものの、私が欲しい情報を置いてなかったので、自分で全て調べた。

TOEFLに向けた勉強ができるコースを提供している学校。

当時はインターネットがなかった時代なので、電話帳をペラペラめくって、電話で確認して、実際足を運んで相談しに行ったりしたあと、地元に語学センターという場所があることを知った。そこの英語集中コースが条件にぴったりだと思った。

そして、高校を卒業したあと、語学センターの英語集中コースに半年通った。


語学センターに通ったのち、アメリカへ語学留学するまで

語学センターでクラス分けテストがあり、3クラスあるうちの真ん中のクラスに入れた。クラスには専門学校を出たばかりで英語をもっと深く勉強したい人から、短期語学留学から帰ってきたばかりの人、会社から派遣された社会人など、いろんな年齢層の人たちがいた。日本人の先生の日本語での授業が1,2クラスあったものの、それ以外は全てネイティブの先生による英語での授業だった。

英語で英語を勉強するのはとても楽しかった。

その学校の先生のひとりがオックスフォード大学卒のイギリス人で、生まれて初めて憧れのイギリス出身の人と出逢えたことが、何よりもうれしかった。アメリカの大学を卒業してから、将来はイギリスに住みたいと話すと、イギリスに行くことになったら連絡してねと連絡先を教えてもらった。

毎日そのクラスで英語の勉強はしていたものの、私の英語力はアメリカの大学に入るためにはまだまだ不十分だった。TOEFLの決められたスコアを取れるようになるまで、あと何年かかるんだろうと思った。

そんなある日、子供をアメリカの語学留学に行かせた人から、

「まだアメリカに行って数か月なのに、英語が話せるようになってる。毎日英語の環境にいるから上達が早い。」

という話を聞いたと、母が興奮気味に話していた。

「だから、アメリカの語学学校に通ったらいいよ。」

とすすめてくれた。

!!!!!!!!!!!!!!!

留学資金を抑えるためにも、TOEFLのスコアを取ってからアメリカの大学に行こうと考えていたので、母からTOEFLのスコアを取る前にアメリカに行っていいというOKサインをもらえたことは本当にうれしかった。ありがたかった。

留学をするには、留学斡旋会社を通してからと思っていた私は、語学センターの授業の帰りに、クラスメイトといくつかの留学センターに話を聞きに行った。

なるべく学費や生活費が安めの州に的を絞って探していた。

でも、留学エージェントを通すと、その斡旋料がとてつもなく高額で、どうにかその費用を抑えられないかと思っていた矢先、いい情報が入ってきた。

語学センターのクラスメイトで語学留学を考えている人がいて、その人のアメリカに留学中の彼女からの情報で、語学学校へ申し込み書を送ることは簡単にできるとのこと。

特にどの州に行きたいというのはなかったので、そのクラスメイトに便乗して語学学校への申し込み手続きを無事すませ、翌年の3月シアトルへ旅立った。


シアトルでの語学留学

シアトルでの留学生活は、毎日が新鮮で、当時19歳の私には刺激的なものだった。

語学学校の生徒たちは世界中あちこちから集まってきていて、正にインターナショナルな雰囲気。そんなみんなと一緒に授業を受けて、英語習得という同じ目標に向かって勉強できたのはとても刺激的だった。学校で出逢ったいろんな国の人たちと友達になれて、いろんな話で盛り上がったり語り合ったり、その心と心の交流が楽しかった。

シアトルでの留学生活のことは、また別の機会に書くとして、、、

シアトルに着いて1か月半ほどはアメリカ人家庭でホームステイをしていたけれど、そのあとに移り住んだシェアハウスでの生活が楽しくてしかたなかった。

その家に住んでいたハウスメイトは全員大学院生で、ハウスメイトが連れてくる友達も、全員が院生/院卒。私が将来イギリスに住むつもりでいることを話すと、そのうちの一人(フィリピン人)がとても親身になっていろいろアドバイスをくれた。

その友達によると、イギリスに住むには、まず大学を出たほうがいいこと。奨学金制度も探してみること。あとまずはイギリスに一度は行ってみたほうがいいとのことだった。

やっぱり、イギリスに一度は行ってみて、イギリスがどういうところなのか、どういう会社が日本人を受け入れてくれるのか。それには何が必要なのか。何を大学で専攻すればいいかなど、調べたほうがいいと思った。

その時点で、正直自分の将来性が見えなくなっていた。イギリスに住みたい。将来は必ず住む!と固く決めてはいたものの、具体的にどうやって住めるようになるのかと考えると、全然わからなかった。それと周囲のインテリで素敵な人たちと話していると、自分のあまりの教養のなさが浮き彫りにされて、がっかりしていた。

中、高と英語が得意で、それが自分の自信にもつながっていたけれど、アメリカでは英語を話せるのは当たり前で、自分の英語力にもがっかりしていたし、大学で何を勉強すればいいのかもわからなかった。

頭の中を整理したかった。

その上、金銭的な面で親に負担をかけているのも、悪いなーと思うようにもなっていて、一度日本に帰ろうと決めた。

働いてお金を稼ぎながら英語の勉強を続けて、大学で専攻したい教科も決めて、TOEFLのスコアを取れたら、またアメリカに戻ってこようと思った。


イギリスに住むための目標が定まる

日本に帰国する1か月ほど前だったか、日本人のクラスメイトと話していて、

「将来は絶対にイギリスに住みたいんだけど、どうやったら住めるようになるのかわからないんだよねー。」

という風に言うと、とんでもないいい情報を教えてくれた。

ヴァージンアトランティック航空の客室乗務員になったら、ロンドンベースで3年ロンドンに住める。

と。

これだーーーーーーー!!!!

とすぐに思った。

調べると、短大卒以上の学歴が必要とあったので、目指すべき目標が頭の中で設定された。

アメリカの短大で、旅行学を勉強すること。

アメリカの短大を卒業したら、日本に帰ってきて航空関係の会社に務め、仕事をしながら客室乗務員の募集が出たら応募する。ヴァージンが本命だけど、ヨーロッパ系の航空会社も候補に考えていた。

いま、当時書いたダイアリーを見ながら振り返っているが、シアトルから日本に帰る6日前に迎えた20歳の誕生日に書いた日記に、

私の夢はやっと明確になった!

とそのときの気持ちがうれしそうに書かれてある。

帰国してからやるべきことも明確になって、精神的にすがすがしい気持ちで日本に帰った。

もちろん、シアトルで出逢った素敵な友達、家族同然のように仲良くさせてもらったハウスメイトのみんなとの別れは名残惜しかったけれど。。。


帰国後からアメリカのカレッジに行くまで

日本に帰国して、英語の勉強をしながら、留学関連の本でカレッジ探しをはじめた。

アメリカの西海岸に半年住んだので(シアトルのあるワシントン州はアメリカの西海岸にある)今度は東海岸に住んでみたいと思った。イギリスにも近いしね。カレッジの夏休みなどを利用して、イギリスへ旅行したいと思った。

大都会は生活費が高いし、治安も悪そうだしと思い、東海岸の田舎を探していた。

・旅行学が専攻できる短大。
・学費と生活費が安めの田舎。
・東海岸(ニューヨーク州、メイン州など)。

メイン州を考慮に入れたのは、私が大好きな女優、リヴ・タイラーがメイン州で育ったからという単純でミーハーな理由(笑)でも、ニューヨーク州の田舎にとても惹かれていた。

そんなある日、シアトルから日本に戻ってきて1か月ちょっと経ったころ。ある出逢いがあってアメリカ人のボーイフレンドができて(予定外)、その彼に候補のカレッジの情報を見せると、

ニューヨークの冬は厳しいよ。ただでさえも大学の勉強は課題が多くて大変なのに。ニューヨークの冬の厳しさに慣れていないMelinaは、カリフォルニアがいいと思う。

と言った。

「南カリフォルニアにあるサンディエゴに詳しいから、案内してあげるよ。」

と言ってくれて、確かに毎日の勉強でも大変なのに、寒さが厳しいと余計大変かも。と思うようになって、南カリフォルニアに的を絞ってカレッジを探すことにした。

それから数か月たって、近所の本屋でふと目に留まった情報から、いろんな国で働けるプログラムがあって、その中にイギリスで働けるプログラムがあるのを知った。

目の前がぱーっと明るくなり、開かれた感じがした。

イギリスに住めるようになるために、アメリカの短大出ようとしたり、イギリスのビジネス・スクールへ行くことも考えたりしたけど、こんなプログラムがあったなんて。。。こういうプログラムにどんどん参加して、イギリスだけではなくていろんな国に住んでみたいと思った。ワーキングホリデーもよさそうだし(当時はカナダ、オーストラリア、ニュージーランドにしか行けなかったけど)、いろんな国で働いて経験を積んだあとで、最終的にはイギリスに永住したい。

そう思った。

この目標は一時的なもので、結局ヴァージンの客室乗務員を目指すべく、アメリカの短大行きに向けて英語の勉強をしながら、留学資金を貯めた。

県外の工場で住み込みで働いたり、地元のデパートやホテルなどで働いたり。

よくよく考えたら、客室乗務員って、飛行機内で機内食や飲み物を配るときなんか、ホテルやレストランのウェイトレスと同じじゃない?と思って、ホテルで働いていたときは、将来、国際線の機内でお客様にサービスしているかのような気持ちで、未来の自分と重ね合わせて、お客様にサービスしていた。

働きながらも、TOEFLに向けて英語の勉強を地道に頑張っていた。カリフォルニアのカレッジがいいよと勧めてくれた彼とはすでに別れていたけれど、あの彼からの助言が頭の中でずっと残っていた。それで、あのときに探したサンディエゴ周辺にあるカレッジの中から、候補を2つに絞った。旅行学が専攻できて、カレッジの求めるTOEFLのスコアが低めなところ(笑)

シアトルから帰国して2年ちょっと経ったころ。TOEFLのスコアも無事取れて、入学願書を送っていたカレッジから、合格通知が届いた。


アメリカのカレッジ時代の出逢い

そのころ22歳になっていた私は、楽しいカレッジ生活を送っていた。旅行学の勉強も、とても大変だったけど楽しかった。というか、将来イギリスに住むという夢に近づくためだったし。

いろんな国の友達もできて、特に仲良くなった友達2人と3人でアパートを一緒に借りて住むようになった。

そのアパートには同じカレッジの友達も数人住んでいた。しばらくしてイタリア人とポーランド人の友達が同じアパートに引っ越してきた。そしてその2人のアメリカ人のルームメイトを紹介された。話を聞くと、昼間は働いていて、夜は私たちが通っていたカレッジの夜間のクラスを取っているとのこと。同じアパート内に住んでる複数の友達の家を行き来したり、よく交流があって、そのアメリカ人とも仲良くなっていった。

そんなある日、そのアメリカ人とガールズトークをしていて、私のイギリス愛/フレディ愛を熱く語っていると、

「そういえば、私の職場にイギリス人2人いるよ。1人は彼女いるけど、もうひとりは彼女いないよ。今度紹介してあげようか?」

えーーーー?!?!?!イギリス人の知り合いいるの?!?!?すごい!!!

と大興奮。

それまで、イギリス人と直接会ったことは数回しかなくて、カリフォルニアでも見かけたことがなかったし、私にとってイギリス人は稀な存在だった。

でもその話はいつの間にか流れて、数か月が経った。

その間に、私にも好きな人ができたり、そのアメリカ人の友達が職場のイギリス人を紹介してくれるって言っていたことさえ、忘れかけていた。

そんなある夜。アパート内の友達の家で大っきなパーティーがあって、行く予定はなかったけれど(というか呼ばれてなかったし、その日は一日中ルームメイトたちと買い物に行ってて疲れていたし)、ルームメイトのうちのひとりが、パーティー行こっかと言ってきて、2人で行くことにした。

アメリカの大学生がホストのパーティーは、正にアメリカのティーン映画で見るようなアメリカンなパーティー。とにかく人がいっぱいいて、音楽がガンガンかかっていて、お酒もたくさんあって。かなり盛り上がっていた。

確か夜の9時を回ったころ。アパートのドアがばっと開いた。そこには顔の小さい、清潔そうな身なりの人がポツンと立っていた。その横に、数か月前ガールズトークしたアメリカ人の友達がいて、

「Melina、この前話していた会社の同僚のイギリス人。」

と紹介してくれた。

「Hello. Pleased to meet you. 」

とバリバリのイギリス英語がその人の口から出てきた途端、私は大興奮!!

遠い存在だったイギリス人が、私の隣でイギリス英語しゃべってるー。生で聞くイギリス英語の音、マジヤバイ!

とテンションが上がりまくりで、頭がわけわからなくなった(笑)

その夜は、私の知ってる限りのイギリスの知識を披露しながら、フレディ愛、イギリス愛を熱く、熱ーく語った。

それから、その人と縁があってすぐに付き合いはじめて、一緒にアパートを借りて住むようになった。

詳細は省きますが、その彼がいまの夫です(笑)

最終的には、縁あって出逢ったイギリス人と結婚して、イギリスに永住することになったけれど、将来イギリスに住みたい!と16歳のころに強く願って、どうやったら住めるようになるか模索しながら、そのとき自分がこれだ!と思ったものや、周りからのアドバイスでピンときたことなどを、実際に行動に移してきたから、夫との出逢いに繋がったのかなと思う。

客室乗務員への夢は、訳あって断念したけれど、正直イギリスに住むのが夢だったので、後悔はない。

イギリスに移り住んだのは、夫と出逢ってから約3年後の2003年。

将来イギリスに住みたい!

と切に願うようになってから、ちょうど10年後のこと。。。


☆こんな長文を最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

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