群衆哀歌 22

Before…

【三十三】

 喜一君の意識が戻った。というか私が戻した。看護婦さんたちが駆け付けて様子を見てくれたが、傷口が開いたり骨折が悪化したりといったこともなく、命に別状もなし。数日入院して様子を見れば良くなるだろう、ということだった。「何かあったら私がまた呼びますね」と言って、お互い落ち着けるように二人っきりになった。

 喜一君の、痛みに震える手が珍しく取り乱した私を少し正常に戻してくれたが、正直まだ少しテンパっている私がいる。寝落ちして怪我人に倒れ込むなんて、何してんのさもう。どうにも気まずくていまいち喜一君と目を合わせにくい。めっちゃ痛そうだったし、やっぱり怒ってるかな。そっと喜一君を見た。喜一君、こっち見てた。

「あのさ、さっきおめぇって言って悪かった。」

 喜一君から、責めるでもなく嗜めるでもなく謝罪の言葉が出たのは驚いた。冷静に、話を進めようと試みる。
「そういえばいつぞややめてとかそんなこと言ったけど、何で今更…?」
「いや、気悪くさせたかなって思って。」
「寧ろ私の方こそごめんだよ、痛い思いさせちゃって。」
「お陰で起きたんだ、感謝してるぐれぇだよ。」

 あっさり許してもらえて、心の底から落ち着けた。喜一君が言葉を続ける。
「聞いて欲しい話が幾つかあんだけど、どっから話せばいいかな…。今は山本も春もいねぇのか?」
「うん、三交代で番してて、今日は私の番。喜一君、三日ぐらい目覚まさなかったんだから。」
「うげ、そんなに寝てたか。単位大丈夫かな…。」
「…いや、心配するのそこじゃないでしょ。」
「確かに。んじゃ、さっき見てた夢の話からかな。すっげぇ鮮明に覚えてるから、忘れる前に。」

 喜一君の夢の話を聞いた。ところどころ、私の独り言や仕草と重なる場面がある。生霊的な何かが、夢の世界に入り込んだみたい。
「多分、あの時下流に戻ってたら死んでたかもな。あれは不思議だったなぁ。葉っぱが川登ってんだぜ、凄ぇよ。最後倒れてきたひとは、金銀メッシュの異星人みたいだった。きっと、哀勝だろうなって思った。予知夢だな。」
「誰が異星人よ、毎度毎度ひとを宇宙人扱いして。でも、何で分かったの?」
「物凄い量の落ち葉吹雪の隙間から、金と銀の髪が見えたんだ。間違いねぇ。ぶっ倒れてきたのも哀勝だったし。」
 笑いながら喜一君は言う。なんか、テンパってた私が馬鹿みたい。
「いい目覚ましだったぜ、ありがとな。」
「申し訳ないなって思ってたけど、吹っ切れたよ。こちらこそ。」
「俺起こすにはそんぐらいしてくれないとな。」
「春君は耳元でエッチな動画流してたみたいだけどね。」
 私も、笑いながら話を続ける。
「んだよ、あのアホ。そんなんで俺が起きるか。色んなとこが冷めっ放しだわ。」
「珍しく下ネタ拾うね。いっつもスルーだったのに。」
「まぁ、あいつなりの善意だろ。春らしいよ。」
「結局きちんと番してくれたの、山本君だけだね。」
「まぁ、あいつも俺程じゃないにしても律儀だし、気も利くからな。それぞれ皆らしくていいじゃんか。」

 相変わらず、似た者同士の他愛無い話はとても心地良い。でも、ここからは踏み込んじゃいけない境界線。乗り越えるなら、自分からだよ。私ができるのは、手を差し出すことだけ。
「にしても凄い夢だね、絶対予知夢だよ。」
「多分上流がこっち側で、寒かった下流は多分向こう側だ。この掌が俺を上に連れてってくれたんだぜ。」
 そういって、私の掌に指を絡ませる。握手というより、恋人繋ぎだよこれは。その辺は、怪我人だし大目に見てやろう。
「哀勝、大丈夫か?寝てねぇから熱でもあんのか?」
 言われて携帯のインカメで顔を見ると、意識していなかったが顔が赤い。何でだろ?
「もしかして今の手繋いだので照れた?だとしたらわりぃ。」
「んなわけ。それでさ、他に話したいことあるんじゃなかったの?」
「あぁ、そっか、そんなこと言ったな。これに関してはあの二人いない方が話しやすいからな。俺と哀勝が似てるって直感が確信に変わったのが、こないだ四人で飲み行った時だ。」
「私の話聞いた後、戻してたよね。あれ絶対、お酒の所為じゃないよね。私酔っ払ってるように見えて、泥酔はしてなかったから。」
「酔ってはいたんだな。俺の観察眼は間違ってなかった。あの時酔っ払ってなかったのは、俺と山本だ。」
「やっぱりそう思うよね。お酒の強さで言ったら山本君がトップだった。淡々と強いお酒飲んでたもん。」
「それでいて冷静なんだよな。あいつすげぇわ。」
「それでさ、話したくなかったらいいんだけど、私の昔話の後だったよね、お酒一気飲みしてお手洗い駆け込んだの。あれも言い訳作りでしょ?」
「そこまで見透かされてたか、流石姉御だぜ。」
「お姉さんだからね、一年分。よかったらお姉さんがお話聞いてあげてもいいよ、楽になれるなら。私はあの晩すっきりしたからさ、いろいろケリつけられたから。」

 喜一君の表情が一瞬だけ強張ったのを見逃さなかった。すぐ解れたけれど、やっぱり過去のトラウマと向き合うには勇気要るよね、分かるよ。
「言われんでも話するさ。その前に、一服だけさせてくれ。緊張するんだよ。」
「病室は禁煙。当たり前でしょ。でも仕方ない、姉御肌の見せ所。」
 そう言ってナースコールを鳴らし、訳を正直に話すと、渋々中庭にある喫煙所まで私と看護婦さんが引率することを条件に許可を貰えた。看護婦さんが呆れた顔で声を掛ける。
「命に支障は無いとはいえ、重傷でいつどうなるかも分からないのよ。そこまでして煙草吸いたいの?」
「煙草吸ってたら死ぬよ、って言われたら死んでもいいから煙草吸わせてくれって言うくらいには好きですね、我儘言ってすみません。」
「全く…」
 看護婦さんが完全に呆れ返っている。夜中に叩き起こされて煙草のお供なんて面倒で仕方ないんだろうな。私のポケットから、王冠のロゴが入った煙草を取り出す。
「流石姉御、気が利くね。ありがとう。」
 煙を吸って、吐く。勢いよく噎せてる。
「思いっきし吸い込んだらめっちゃ痛ぇ…」
「言わんこっちゃない。もう。」
 看護婦さんはこれ以上ないくらい呆れた顔をしているが、喜一君にはどこ吹く風。
「あ、こんくらいだとそこまで痛くねぇ。クールスモーキングってやつだ。うめぇな。」
 喜一君は一本をフィルターの根元までじっくり吸い終え、ぷりぷり怒る看護婦さんに連れられて二人病室に戻った。

「さてと、どっから話すかな。俺のことある程度分かってもらわんといけんから、陽が昇るぐらいまでは覚悟しといてくれよ。」
「はいよん、一瞬寝落ちして回復したから大丈夫。」
「アレすっげぇ痛かったけどな…」
「ごめんって。ささ、自分のタイミングでどうぞ。」

 喜一君は大きく深呼吸して、鋭い目をした。そして右手を伸ばし、不安そうにする私の手をまた繋いだ。
「話し始める前に一言、今晩の月ってめっちゃ綺麗だな。」

 そして、喜一君の過去に続く扉がゆっくりと開かれた。

Next…


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