見出し画像

青い春夜風 24

Before…

【二十四】

 安静という自宅謹慎の日々は、一日は長く感じても一週間だとあっという間に過ぎ去らせる。雅のばーさんが町内旅行から帰ってきた後も、雅はうちに泊まってくれた。寝床は一人よか狭く蒸し暑いが、時々傷が痛む時に氷を袋詰めしてくれたり、鎮痛剤を引っ張り出してくれたりと何度も何度も助けられた。

 晴野先生が来てから一週間が経った頃、親父が帰ってきた。八月になったばかりのクソ暑い日の夕方だった。
「おう雅、世話んなってるな。先に商店寄って婆様に挨拶しに行ったら色々話してくれたぞ。ありがとうな、にしても光佑、ド派手にやられたな!」
 大笑いしながら雅の頭をぐしゃぐしゃ撫でて言う。こういうところが何とも腹立たしいが、去年あたりのぶつかり合って喧嘩ばかりしていた時よりはよっぽど清々しい。
「っせぇよ、まさかこんな早く襲撃されっとは思わねぇじゃん。予想以上に汚ぇ奴らだったって身をもって味わったよ。」
 ひと通り笑って親父は満足したようだ。緩み切った表情を引き締め、今度は俺の頭を掴んだ。
「俺と一緒に親友に頭下げろ。雅は楽しくてやってんだろうけど、一人家に置き去りのお前を親代わりになって面倒見てもらってんだ。」
「わーってるよ、痛ぇから頭押さえんなって。」
 親子二人、立ち上がって腰を九十度曲げて礼を言った。
「いーんだよ、光佑には助けてもらってばっかりだからさ。親父さんも忙しい中やっと帰ってこれたんですし、ゆっくりしましょうよ。」
 頬をちょっぴり染めながら微笑む親友。
「改めて、ありがとうな雅。だけど俺はもう出なくちゃいけねぇんだ。こっち戻ってくる最中にいくつか仕事貰ってな。光佑はくたばってねぇから心配してねぇし、また一ヶ月かそれ以上留守にする。婆様には伝えてあるから、すまんが引き続きよろしく頼む。」

 そして親父はトラックを走らせ、雅のばーさんを迎えて四人で近所の中華料理屋へ行った。チェーン店だが、連日暑くて仕方ないので冷やし中華を食べたいらしかった。四人の注文が出揃って、連休の海以来のこの四人での食事だ。前回と変わらず話の種は無くならない。
「まぁあれからお前らも一歩踏ん切りつけられたみてぇだな。馬鹿息子が怪我しちまって迷惑かけてんのに申し訳ないけど、婆様、またしばらく面倒見てやってくれ。」
「言われんでもそうするさ。この馬鹿タレも楽しいみたいだし、面倒見ることで店の商品持ってかれんからかえって丁度いいわい。」
 大人は大人、俺たちはまだまだ「子ども」だ。お子様ランチを卒業したら大人になるわけではない。誰にも迷惑をかけず自分一人で何でもできるようになったらきっと「大人」になれるんだろう。親父を見ていると、悔しいがそう思わざるを得ない。
「本当だったらビールでも飲みながら餃子も食って、唐揚げ頬張ってぐっすり寝たいもんだがな。ノンアルで我慢するからお前らも今日は禁酒な。」
 「へーい」と二人の返事がハモって、それがなんだか面白くって笑い合って、変な笑い方したもんだから傷が痛んで、それがまた笑えてきて、ほとんどずっと笑っていた。

 親父は家に帰るなりすぐにシャワーを浴びて歯を磨き、布団に入って寝息を立て始めた。疲れているだろうし、起きたらすぐ出なきゃいけないと言ってたっけ。極力音を立てないように親父の後を倣って布団に入った。
 親父の寝息がいびきに変わってしまい中々寝付けない。大いびきのせいで普段考えないようなことを考え出してしまった。
 俺は母親の顔を写真でしか見た記憶が無い。滅多に帰ってこない親父に、色々あれこれ言われたことが無性にムカついていた。売り言葉に買い言葉。中一の体育祭以来、学校に行かない選択を決めた時がピークだったか。親父も仕事に忙殺され、しょっちゅう大喧嘩をしては雅の家に逃げるように行って泊めてもらったこと多々。
 中三になる直前の春休み、帰ってきた親父は珍しく俺に説教しなかった。学校行かねぇで何やってんだとか、酒に煙草なんて未成年には早いと毎度説教されて喧嘩になるのが約一年ちょいのパターンだったのに、だ。
「光佑、今の生活続けて後悔しないか?」
 缶ビールとコンビニの焼き鳥を食べながら、疲れ切った表情だった親父。
「別に。勉強だってできるようになったと思うし、学校行くよりは後悔しねぇと思うけど。」
 酔っ払っているようにしか見えない親父と一緒にビールを飲んだ。親父は俺の飲酒には触れなかった。
「勉強できるようになった、って何でそう言えんだよ?テストも受けてねぇくせに。」
「少なくとも中卒の親父よりはできっと思うけど。」
 はぁ、と煙草を咥えてもう一本を俺に差し出した。親父に酒も煙草も咎められなかったことは初めてで戸惑ったが、「ほら、おい」と急かすので咥えた。ライターを点火し、二人でひとつの火から煙を吹かせた。
「なんだかんだ言っても、頭冷やして考えれば俺も変わらねぇや、光佑。中学には毎日行ってたけどよ、授業フケて煙草吸うわ、ほとんどの授業はそもそも寝てるわ、高校に上がった先輩のバイクに乗せてもらって登校したり。学校行って先公や同級生に迷惑掛けるくらいなら、行かねぇ方がいいのかもな。大したもんだぜ。何で行かなくなったんだよ?」
 俺はあの時、煙草を吹かしながら戸惑っていた。ずっと頭ごなしに怒られていたので、行かない理由を話したことが無かった。俺なりに説明して、理解してもらえた。
「ただ単にサボってんじゃねぇんだな。なら、もうこの話はしねぇ。ほとんど育児放棄のダメ親父よか余程マシだ。」
「んなコトねぇよ!母ちゃん死んでからずっと働いてんだろ!雅のばーさんから聞いて知ってんだよ、俺に金で苦労かけたくねぇんだろ!放棄どころか十分先のこと考えてくれてんじゃんかよ!親父がそんなこと言わねぇでくれよ、喧嘩ばっかで悪かったよ…。」
 最後には泣いちまって、今日親父が雅にやったみたいに頭がしがし撫でられたっけ。夏休み前に一日帰ってきた時に学年二位の結果を見せた時、すっげぇ喜んでくれたな。親孝行できてんのかな…。

 いつの間にか眠ってしまい、物音で意識が少し起きた。親父が出発する頃なのだろう。変に心配させないように寝たふりを決め込み、玄関の鍵が開く音に合わせて寝返りを打ち、親父の方を薄目で見た。

「行ってくるな、後悔しねぇように頑張れや。」
 きっと俺を起こさないように、小声で言ったんだろう。離れていく親父との心の距離が近づいたような気がした。

Next…


この記事が参加している募集

私の作品紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?