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ほろ酔いゲシュタルト 02

Before…

【二】

 一行で明けない夜を歩き続け、辿り着いたのは広大な墓地だった。小喧しい都心から少しだけ離れた場所にある無数の墓。
「かかッ、未だに名を残す文豪の墓じャ。何故こんな所へ来た?」
 蜷局はご機嫌そうだ。不思議と活力が湧いてくる気がする。死んだ身なのにどうしてだろう。
「この場所はね、私とコン介の素敵な思い出がある場所なの。生きてる時で一番幸せだったところ。ほら、こっち。」
 アヤに連れられて墓場を出て、塀ひとつ向こうに家があった。庭の雑草は伸び放題で生活感が無い。空き家か。
「なつかしーな、僕ここ来るの三回目。ここで食べた甘いのよーく覚えてるよ。ここには優しい人間が住んでた。僕が縁になって、アヤとその人間を繋いだんだ。その人間は急病で死んじゃったけどね。」
「かッ。何処へ連れて来よるかと思えば貴様等の思い出巡りたァなァ。そんでこれからどうしよる気じャァ?」
「まぁまぁ蜷局、どうせ行くあても無いんだ。時間はたっぷりある。二人の話を聞くのも悪くないさ。俺はまだこっちの世界に慣れちゃいない。少しずつ馴染んでいくから、焦らず行こうよ。」

 蜷局は細長い舌をチッと鳴らし、ぎらりとこちらを睨んだ。
「アマタ、五十年ッていう年月を甘く見ちョらァせんか?五十年なぞ、妖の間では獲物を喰らッて丸呑みして消化している間に終わッちまう。時を甘くみるでない。」
 人間として生きたのはたった二十八年で、五十年なんて途方も無く長い時だと感じるが、住んでいる世界が違うと諸々の感覚が全くと言っていい程異なるのだろう。
「コン介なんて江戸時代より前から生きてるからね。私もこの世界に入ってまだ数年だけど、すっごく時間経つの早いもん。アマタさんもそのうち慣れるよ。で、きっと時間の流れる早さにびっくりするよ。」
「蜷局くんはその辺分かってるよね、元神様だし。んじゃがしゃくん呼ぶから。おーい、ここ!」
 コン介のしっぽから青白い炎がひとつ、暗闇へと飛んで行った。すると炎を掴むように、先程会った巨大な骸骨が空に現れた。
「ほほう、貴様等が以前話していた優しい老人の住処か。良いだろう、我々が拠点とするに相応しい。おい、行ってこい。」
 ガバッと口を開くと、口の中から俺とそう変わらないサイズの骸骨が数体向かってきた。不気味な提灯を持って。
「おぉ、元人間様ぁ!ご無沙汰でやんす!また役に立てる日が来るたぁ嬉しいことで!」
「あ、いつかの提灯さんだ!相変わらず可愛いね。よろしく!」
 一つ目の提灯がべろりと舌をだして、アヤと微笑ましく喋っている。やはり慣れないと思うのは、その光景が未だ不気味に見えるところだろう。
「アヤと顔見知りか。俺はアマタ、この蛇・蜷局から名を頂いた。世話になるな、よろしく。」
 大きな一つ目がぎょろりとこちらを見る。背中に冷たい汗が流れた。
「おぉ、お話には聞いてやしたぜ。アマタの旦那、覚えときやすよ。大蛇に拾われてきたそうで。あっしゃあ人間様が好きだからいっくらでも力貸しまっせ!」
 古い家の四方を骸骨が囲み、提灯がひと際大きく燃えると、驚くことに照らされた古い廃屋が様変わりしていく。雑草は消え、ところどころに伸びて這い回る蔦もどんどん短くなり、やがて消えた。
「終わったか?」
 空から餓者髑髏の低い声が響く。
「旦那ぁ、終わりやしたぜ。あっしここ残ってもええですかい?」
 提灯が陽気に揺れる。大仕事を終えて楽しそうだ。
「そのつもりだ、提灯。貴様には門番を任せる。迷える魂を迎え、逆に不用意に近づく悪しき者は追い払え。」
 しゃ!と喜び勇んで入口の引き戸の脇にするすると持ち手を溶け込ませ、提灯は玄関灯へとランクアップした。
「餓者の旦那ァ、ここが我輩の住処かえ?」
「そうだ、この場所は無念の情が渦巻いている。この童を世話した老爺の後悔じゃ。あの老爺は童の手掛かりを掴んだその日に病で旅立った。黄泉で安らかに暮らしてはいるが、童を置き去りにしたことだけは悔いている。ここで貴様等が功績を挙げれば、老爺も救われよう。」

 玄関を開くと、そこはまるで和室を事務室に仕立て上げたような大広間だった。木製の事務机が二つ、真ん中にこれまた木で出来た長机。部屋の隅には座布団が積まれていて、調理場もある。そして奥の掛け軸の下には大きな箱がある。
「がしゃくんからの言いつけね。これ守らないとすぐ煉獄にぶっ飛ばすって言ってたから、絶っ対に守ってよ。僕も早くこの仕事終わらせて、アヤとのんびりしたいんだから。」
 テーブルに置いてある巻物をころころと広げながら、ぶつくさとコン介が説明の支度をする。蜷局は部屋の中を這い回って隅々を観察している。俺はアヤの隣に座って巻物を見た。しかしその巻物には、卒塔婆に書かれているような難解な文字列が並んでいて、解読は到底できなかった。
「アヤにはこれが読めるのか?」
 アヤは照れ笑いのような表情でこちらを見て、首を横に振った。
「私、実は小学校出てから学校行ってなくて。こっちの世界の言葉もほとんど読めないんだ。生きてる時の友達から漢字とか英語のあれ、なんとか字っての教わったけど、字の読み書きは苦手。」
 んじゃ行くよ、と準備を完了させたコン介が読む。いつの間にやら蜷局はコン介の隣に鎮座して身構えている。

「その壱。この場所は生者・死者問わず迷える魂がやってくる。来訪者は必ず丁重にもてなし、導くこと。」

「その弐。奥の箱には必要なものが入っている。望む力と妖力によって相応のものを取り出すことができる。ただし悪用すること勿れ。悪用の基準は餓者髑髏の定めるものとする。」

「その参。邪気・怨念その他負の瘴気に中てられること勿れ。邪念に支配された暁には、未来永劫煉獄へと堕とす。」

「他にもあるけどとりあえずこの三つでいいかな。僕は狐火の罰でここにいるし、アヤはこーゆーの当たり前って思ってくれてるからいーけどさ、特に蜷局くん、気を付けてよね。」
 アヤの膝枕でもふもふされながら、厳しい目でコン介が蜷局を睨む。対抗するように蜷局は俺の首元にぶら下がり、コン介の間近へ顔を近づけ、とても静かに怒鳴った。
「貴様の様に情で妖力を無駄遣いする気なぞ毛頭無いわァ!三途の川の畔で何人見送ってきたと思ッておる!いいかアマタ、死んだ魂は基本己の運命を受け入れて川を渡り、黄泉へと旅立つのじャ。だが稀にその運命を拒み、川の前で引き返し、現世に残した残滓を探しに行く。或いは、自分の運命を自覚せず彷徨う者もおる。我輩はその迷える魂を諭し、幽世へと送ッてきた。貴様は特別不思議な奴じャッた。割れた頭から浴びた血液と、落とした脳が我輩の妖力を取り戻させた。その礼をしておるに過ぎぬ、覚えておけェ!」
 至近距離で蛇睨みを食らうコン介ははぁと溜息を吐き、もふもふの九尾をひとつ蜷局に向けて伸ばした。瞬間、蒼い炎が蜷局の額を焼いた。
「勘違いするなよ、怨嗟の蛇。僕はお前なんかより遥かに色んなものを見てきた。たかが蛇神になったくらいで調子に乗るな。所詮殺されて憎しみに染まった愚かな蛇と同列に語るな、たまたま血を浴びて得た程度の妖力とは桁が違うんだ。それが分からないなら、規則参に則り煉獄行きだ。」
 蜷局は首から離れてのたうち回り、何とか額の消火に成功した。アヤがコン介をぺちんと叩いた。
「コン介、約束したでしょ。いっくら偉くても、私を守るために狐火使ったのは本当なんだから怒らない。私が申し訳なくなるじゃん。」
 数秒前まで威厳たっぷりだった狐は、すっかりしゅんとしてしまった。
「すまないコン介、アヤ。だが蜷局は俺の恩人、いや恩蛇か。そんな存在なんだ。アヤにとってコン介が大切なように、憎悪で真っ黒になってしまった蜷局のことが俺は大切だ。こいつの中にも微かにだが情がある。直接脳で感じたから分かるんだ。コン介、今回の事は俺が代わりに頭を下げるから大目に見てくれ。」
「けッ、アマタ。我輩の代わりに首を垂れるなぞ百年早か。詫びるべきは我輩じャ。若輩者が九尾に逆らう様な真似をした事、寛大に見ては貰えぬか。貴様等の力を借りられなければ永遠の怨恨に苛まれていた。ここへ来る来訪者、我輩とアマタで救済する事を誓おう。」
「分かれば、よし。」

 押し入れから三枚布団を敷き、長い長い夜を終えて眠りに就いた。アヤはコン介を抱き締めて眠っている。蜷局は俺の頭から目元まで巻き付いてしゃあしゃあと寝ている。蜷局はとても冷たかった。その冷たさが灼けた頭によく染み渡る。眠りの中で蜷局の情念が伝わってきた。きっと人に祀られ、人を大切にしていた頃があったのだろう。

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