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ほろ酔いゲシュタルト 04

Before…

【四】

 ケーキを届けたかった男を導いてから、数人の似たような魂を導き、あの世へと送り届けた。「愛した旦那の墓参りに行きたかった」「部下に期待するあまり強く当たってしまった事を詫びたかった」等の無念を抱えたまま現世を去った魂たち。
 この「彷徨える魂の事務所」が開かれてからどれくらい経っただろうか。まだ一週間?それとも一ヶ月?流石に一年は経っていないと思うが、どうも生前以上に時の感覚が曖昧になる。蜷局の「時を甘くみるでない」という言葉が時折脳裏を掠める。

 ある晴れた日、アヤと雑談をしながらお茶を飲んでいた。とはいっても話題は「生と死」という、雑談にしては重たいものだったが。
「なぁアヤ。俺は生きている間、自分が何をしたくて生きているのかすら分からなくなっていた。何のために生きているのか。それを見失ったまま漠然と生きていた。社会の歯車、ってやつかな。人は何のために生きて、何を思って死ぬんだろう?」
 アヤはくすり、と微笑んだ。何を下らないことを、とでも言いたげな顔だったが返答は至極真っ当で、そして更に重いものだった。
「アマタさん、私はその社会の歯車から外れてたんだ。本当の親を知らなかったっていうのは前に話したよね。私、小卒なんだ。中学校にすら行かせてもらえなくて、十六になったその日に家出した。新宿に居場所が無い子が集まってるって噂聞いて行ってみたけど、警察の目が厳しくなったからって誰もいなかった。その時に妖怪の群れからはぐれたコン介と会って、酷い経験もしたけど、それ以上に幸せな時間も過ごせたんだ。それでね、結局私の場所はコン介の隣だって思って死ぬ事を選んだんだ。何のために生きるかは知らないけど、死ぬ時に思う事は絶対何かあると思うんだ。私は、そんな人に救いの手を差し伸べる。そんな妖怪になれたらいいなぁ。」
 アヤは心の底から幸せそうに笑っていた。きっと彼女は今、自分の存在意義というものを見つけて満たされているのだろう。

 そんな話をしていた時、チリリンと呼び鈴が鳴った。すっかり慣れて玄関の扉を開くと、十歳にも満たないような男の子と女の子がすすり泣きながら立っていた。
 アヤがケーキと紅茶を用意してくれた。コン介の和菓子好きのお陰でほぼ毎日が和食だったので、洋菓子を食べるのは御無沙汰である。
「けッ、こんな西洋染みたモン食えるかァ。」
 蜷局は不機嫌そうだが、対照的に二人の子は甘くて美味しいケーキを食べてご満悦のようで、やっと笑顔を見ることができた。コン介が九本のしっぽを器用に振ると、「すごーい!」と言って戯れだした。
「コン介のもふもふ、気持ちいいよね。二人はどうしてここに?」
 アヤが問いかけると、元気爛漫に男の子が答えてくれた。
「ボクたち兄妹なんだ。パパとママにお留守番しててって言われて、なかなか帰ってこなくて寂しくて泣いてたらここにいたんだ。どうやったらパパとママに会えるかな?」
 妹の女の子も続く。
「パパもママも、見た目は派手で時々怖かったけど、もう会えないの…?それはやだ、おにーちゃん、ママに会いたいよ!」
 すると不機嫌だった蜷局が舌をチロチロ覗かせながら、兄妹二人の元へしゅるしゅる這い寄ってきた。
「ッてェことは人間の子よ、主等の願いは両親に会いたいということじャなァ?」
「うわぁ、でっかい蛇!でもそうだよ蛇さん!妹も、ボクもパパとママに会いたいんだ!ずっと一緒にいたいんだ!!」
 蜷局の表情が緩んだ。願いを把握したことで満足したのだろうか。
「では主よ、奥にあるあの箱を開くがいィ。きッと願いは叶うじャろォ。」
 妹の子が「ほんと!?」と言って勢いよく駆け出し、箱を開いた。我々も追って中を見ると、そこには小さな木槌と藁人形、鉛筆と短冊のような紙。そして釘と言うには余りにも大きな、五寸釘と言って差し支えないものが二セット入っていた。この箱には魂が望むものが用意される。中身と兄妹を交互に見る。魂は用意されたものが何を意味するか瞬時に理解する。つまり……。
「これって、まさか…」
 ふと漏れた俺の声を遮り、兄妹は「やったー!これでパパとママと一緒にいられるね!」とテーブルの元へ駆け戻り、小さな手で鉛筆を握って、幼い字で紙に揃って「パパとママと一緒にいられますように」と書いた。
 蜷局を見ると、さっきよりも口角を上げて満足気な笑みを浮かべている。

 提灯の導くまま扉を開くと、深夜の駅前のロータリーに繋がった。ロータリーの真ん中には異様に大きな、多分杉であろう大木が聳え立っている。
「あれだよ、行こう!」
 兄は妹の手を引き、二人はしゃぎながら道路を渡って木の麓に立った。
 そして、藁人形を左手で木に押さえ、願いを記した紙を人形の胸部・丁度中心に当たる位置に当てた。ここから先は余りにも不気味で、零・皆無と断言出来る邪気を存分に発揮しながら、大工さんごっこをする幼子の姿が繰り広げられた。

 丑の刻参り。まさに怪談本で読んだような目を覆いたくなる光景。だがそこに悪意や殺意といったものは全く感じない。左を見ると、絶句するアヤとコン介がいた。そして右隣には、川の畔で見た時以来の、愉悦に浸る蜷局がいる。深夜の無人の駅前で「ママに会えますように!」「パパといられますように!」と大声で嬉しそうに叫ぶ幼い兄妹の姿は、純真なる両親への愛と、人の心に潜む覗いてはいけない何かを感じずにはいられなかった。アヤはひとり、先に事務所へと駆け戻った。

 釘が奥まで完全に押し込まれた時、二人は戻ってきた。アヤが先に帰っている事務所に戻ると、切なげな顔をしたアヤがお茶を用意してくれていた。兄妹はゆっくりと一気に飲み干して、「おにーさんにおねーさん、蛇さん、狐さん!どうもありがとう!パパとママのところに行ってくるね!」といって開かれた扉の向こうへ走って消えていった。

 数日後の新聞に、予想こそしていたが的中してほしくは無かった記事が掲載されていた。

「二十代の母と父、変死体で発見」

 内容は、パチンコ屋の駐車場で開店時からずっと停まっていた車があり、閉店しても移動する気配が無いので中を確認したところ、車内で熱中症により死亡した男性と女性が発見されたというものだった。
 その二人の家を家宅捜索したところ、エアコンの無い灼熱のアパートの一角で、腐敗した子ども二人の死体が発見されたそうだ。死後何日も立っており、浴槽に押し込められて厳重に蓋をして隠されていたらしい。
 その記事を読んだ蜷局は、あの晩のように笑いながら俺に言う。
「アマタよ、分かッたか。これが人の無念さの恐ろしい所よォ。あの幼子は両親をこれッぽッちも怨んどりャァせん。ただ会いたいと願ッたばかりに、親は罰を受けて子の束縛へと堕ちていッたんじャ。これから先、もッと悍ましい魂が来るぞォ、覚悟しておけよォ。」
 俺の心には、虚無感以外何も無かった。アヤも同じく虚しさを感じる表情で縁側に腰掛けている。「生と死」について微笑みながら語り合ったのが、遠く昔のことのようにしか思えない。

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