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高度1億メートル 07

Before…

【十】

 寮内に戻り、すぐさま少し冷たい水温にしてシャワーを頭から勢いよく被った。全身は冷えたが、頭の中は依然として火照っている感覚。それは髪を乾かして部屋に戻っても残っている。
 キスをした。いや、してくれたと言うべきか。凄まじい熱量で恋心が燃えているのを確かに感じながら、脈打つ心臓を両手で抑えた。部屋の鍵を閉め、布団に潜る。

 もう、いっそ夢の中で暮らしたい。
 生きていようが死んでいようがどうでもいい。あの心優しいセイラと永遠の時を過ごしたい。
 現実は過酷だ。ならばいっそこの九階の部屋から網戸を切り裂いて飛んでみようか。

 悶々としたまま、早朝の意識は昇る朝日のもとに蕩けた。

【十一】

「あら、また来たの。嬉しいねぇ。」
 照れる様子も無く、俺の姉貴みたいに二つ下の少女が笑う。対照的に、俺は心底照れている。眠る前の脈動はますます激しさを増し、その勢いに身を任せてセイラをハグした。愛おしい。いて欲しい。ここに居たい。
「ちょ、ちょっと苦しい。すこーしだけ弱めて。」
「あ、ご、ごめん…。」
 力任せの抱擁を緩めると、セイラの両手が腰回りに絡みついた。そして、今度は俺からくちづけを交わした。熱情が全身を、全心を支配する。迎えてくれる柔らかく暖かいセイラのくちびる。時が止まったような感覚だ。心臓の鼓動が更に激しく早く打つ。
「心臓の音、すごいよ。なに年下の女の子に緊張してるのさ。」
 返す言葉は思い浮かばなかった。めらめらと全身全霊を燃やす恋愛感情に言葉を委ねた。
「好きだ、セイラ。大好きだ、愛してる。できることなら一緒にずっといたいよ。腹の奥底から好きだ。」
 ちょっぴり頬を桃色に染めるセイラ。その姿がまた、堪らなく愛しい。
「良かったらさ、極星銀行の仕事、手伝ってよ。」
 耳を疑った。それは、とどのつまり…。
「それって、ここで一緒に過ごそうって認識で合ってる?」
 彼女は両の親指と人差し指を突き合わせ、「まる。」と微笑んだ。願いが叶う。ここにずっといられる。
「考えといてよ。でも、仲良しのお友達には言っちゃぁだめよ。この場所はわたしとイロドリ、そしてヒイラギの秘密の場所。ほら、友達からのお呼びだよ。またね。」

 遠くから、ナオトとユースケの声がする。二度寝から目覚めると、鍵のかかったドアがガチャガチャと鳴り、ノックが聞こえた。
「おーい、飯行こうぜ。時間無くなっちまうぞ。」
 寝癖全開の髪にぼんやりした意識で二人と合流し、食堂へ向かった。

【十二】

「んで、進路はどうよ?順調?」
 盛り付けたサラダにドレッシングをかけながらユースケが問う。
「気づけばもう残り五日だぜ。片手で数えられるくらいになっちまったよ。なんやかんや四年ってあっという間だったな。最初は刑務所かよって思ったけど、すっげぇ充実した四年だったな。」
 ナオトが続く。俺はコンビニで少し食べていたのでそこまで腹は減っておらず、シリアルフレークに牛乳を注いで朝食にした。
「順調、と言っていいのかな。一つ、うちでやらないかって声掛かったんだ。ありがてぇけど、正直悩む。」
 二人は心の底から祝福してくれた。まだ確定ではなくとも、同志の悩みの種が解決に向かったことは喜ばしいのだと分かる。いい友達だ。
「やったじゃん!仕事どんなんなの?」
 一瞬躊躇ったが、とりあえず話を繋ごうと試みる。
「金融系、って言うのかな。正直俺もよく分かってないんだ。」
「まさか闇金だったりしてな。そんなこと無いよな?」
 ナオトが笑いながら茶化す。俺も笑って誤魔化すことしかできない。
「ともあれ先が見えてよかったじゃんか。飯食ったらコンビニ行こうぜ。お祝いにしちゃあちゃっちぃけど、一箱奢るぜ。」

 食事を終えてユースケとコンビニへ行き、言葉通り一箱買ってもらった。袋にはいつも飲んでいるエナジードリンクと長いストローも入っている。
「ガチおめでとう!最近お前いっつも眠そうにしてるから、これサービスね。」
「ありがてぇ、卒業したらなかなか会えなくなるかもしれねぇけど、また飲みとか行きてぇなぁ。」
「そうだな。社会人ってどんなもんだかは分かんねぇけど、卒業してからもお互い頑張ろうぜ。」
 煙草をふかしながら約束した。店横のベンチに腰掛けながら、ここで過ごした日々を思い返す。煙草を始めた連中は皆ここで煙草吸ってたな。店長にも世話になったし、時々後輩連れてお悩み相談もしたっけか。
 哀愁に耽っていると、意外な顔が現れた。イロドリだ。
「ヒイラギさん、ちっす。あ、お友達さんも。」
 ユースケは首を傾げる。初対面だから無理もない。
「初めまして。ヒイラギの友達?」
「まぁ、そんなもんです。少しヒイラギさん借りてもいいっすか?」
「あぁ、いいよ。んじゃ先戻ってるな。改めておめでとうな!」
 ハイタッチをして、ユースケは原付を寮へ走らせた。そして入れ替わりにイロドリがベンチに座る。
「どうしたよ、何かあったんか?」
 イロドリの表情は暗い。煙草を灯しても、言葉は煙に乗ってどこかへ行ってしまう、そんな風に見える。彼が口を開いたのは、自分の煙草を吸い終え、俺が二本目の煙草を吸い終えた後だった。

「ヒイラギ兄さん、昨日の夜から朝にかけて姉ちゃんのとこいましたよね?」
「あぁ、いた。二回会ったんだ。一度目はデザートを持って、二度目は朝二度寝した時に気づいたらいた。」
 小声で(やっぱりな)とイロドリが呟いたのを確かに聞いた。
「ヒイラギ兄さん、できることならこれ以上僕らの世界に来ない方がいいと思います。純粋に、姉ちゃんをよくしてくれてるからこそ言います。」
 一晩中燃え盛り、やっと鎮火しかけていた恋の焔が再び熱を帯びる。
「何で!?弟のイロドリに言うのも小恥ずかしいけど、俺ほんっとにセイラのこと好きなんだ。離れたくない、あの世界にずっといたいんだよ。」

 イロドリの目元から、雫がひとつ流れ落ちた。
「分かってます。実は今朝、僕もいたんですよ。二人とも気づいてなかったみたいですけど。ヒイラギ兄さんがこっちに戻った後、姉ちゃんから諸々聞きました。だからこそ、踏み止まってほしいんす。」

Next…


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