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ほろ酔いゲシュタルト 10

Before…

【十】

 日中こそ猛暑日は続いているが、日が落ちてからは徐々に涼しさを取り戻しつつある。早朝は肌寒いくらいで、その証拠として日が落ちて昇るまでの蜷局は元気そうでテンションが高い。陽が昇り切ると不機嫌そうに日陰へ潜ってしまうが。

 今晩も涼しげな夜だった。開け放たれた窓から夜風が吹き抜け、日中散々に火照った身体を冷やしてくれる。
「かかかッ、やっとこの時間がやッてきたわィ。夏ももう終わりかのゥ。」
「やっとだよー。もふもふが暑くてね。昔のにっぽんよりずっとむしむしするよーになったね、ほんと。」
 古来より生き続けている妖コンビがまだ生きていた頃は地球温暖化がそこまで進んでいなかったのだろうか…?だが確かに、ここ数年で日本、ひいては世界が一気に暑くなった気はする。

 夜風が来客を知らせる風鈴を鳴らした。アヤが扉を開くと、そこには物凄く派手な衣装に髪型・化粧を施した中性的な人物が立っていた。
「い、いらっしゃい…。俺はここの事務室の主であるアマタです。どうぞ中へ。食べたいものとか飲みたいものとかあります?」
 その人物の瞳には何も映っていないようで、虚無感に溢れた表情で水を一杯望んだ。声で男性だと漸く判明した。アヤが冷やした水を注ぎ、俺はとりあえず煎餅と饅頭を菓子皿に盛り付けてテーブルへ運ぶ。
「お兄さん、で合ってますか…?冷えたお水です。どうぞ。」
「お姉さんありがとう。この見た目じゃ分からないのも無理ないよね。男だよ。ヴィジュアル系やってたんだ。ほら。」
 彼はポケットからスマホを取り出し、動画を再生し始めた。彼と同じような派手な格好のメンバーと共に、音に合わせて時にしっとりと、時には絶叫を繰り広げる男こそが彼であった。再生数は七桁に迫ろうとしている。
「え、凄いじゃないですか…。何か悩み事でも?」
 俺の問いかけに、彼は左腕の袖を捲った。腕に巻き付くような蛇のタトゥーが入っていて、手首には真新しく塞がり切っていない、深く紅い線が一本刻まれていた。
「俺、ついさっき風呂場で手首切って死んだんです。このバンド昨日で解散宣言したんですよ。俺にはこのバンドしか無かったからさ。」

 彼は動画を止めて別のネットニュースを見せた。その記事には、彼らのバンドのギタリストが麻薬所持で逮捕されたという記事が書かれている。
「コイツさ、バンド結成した最初期のメンバーで昔っからのダチなんです。メンバー何度も入れ替わっても、バンド名変わっても、コイツとだけはずっとやってきた。んでこのバンドがやっと軌道に乗って知名度も上がってきてさ、さぁこっからどこまで行けるかって時にこれが見つかって。俺も知らなかった。実際何度も追い込まれたし、いっそ辞めちまうかっていう場面も何十回とあったけど、俺達諦めなかったのにさ。何せ知名度が上がったところだったのもあってすっげぇ叩かれて、事務所入ってすぐだったから契約も切られちまって解散。俺の全てが一瞬で無くなっちまった。」

 煎餅を嚙み砕く彼の姿からは、怒りという感情は見えない。きっと悔しくて悲しいのだろう。
「厳しい言い方をするがのォ。貴様はその仲間に裏切りとも言えるような事をされたが、憎んではおらぬのじャな?」
 蜷局の一言でそれは確信に変わった。
「お、蛇が喋った。めっちゃ真っ黒だ。あんたかっこいいね。」
 普段、きつい口調やその漆黒の外見からあまり褒められない蜷局は、彼のタトゥーと褒め言葉に相当機嫌を良くしたようだ。
「かかかかッ、我輩を褒めるとはのゥ。あのアマタに劣らぬ感性を持ッちョるのォ。光栄じャよ。貴様の望みを聞こうではないか。だがその前に、もう一人客人じャ。すまんがアヤ、迎えてやッとくれ。」

 一晩に二人の来客は珍しい。アヤが開いた扉の先には、やつれて無精髭だらけの男が立っていた。誰よりも先に声を上げたのは何と最初の客である彼だった。
「てめぇ何でここいるんだよ!死んだのか!?」
「お前、なんでお前とこんなところで…?死んだってお前まさか…その手!お前やりやがったな。いよいよ天罰受けなきゃいけねぇな。」
 二人目の来客の首筋にも、紅一閃の痕がある。
「悪かった、頭下げてもどうしようもないって事は分かってる。それでも、本当に悪かった。俺達には音楽しか無ぇ。なのにあんなモンに手出して現実から逃げてたんだ。やっと現実に夢が追い付いたと思ったけど、神様は見てるんだな。」
 互いに死後の再会は切ないだろう。すると、どろんっと煙が昇り、その中には蜷局とはまた違う少し絢爛なスーツ姿の男に化けたコン介がいた。
「わぁ、久々に見るなぁ!やっぱりかっこいい!」
 アヤが思わずはしゃいでしまったお陰で、じめじめした空気が幾分か乾いたような気がした。
「僕もこんな感じになれるんだ。僕はコン介。ここの女の子、アヤが名前をくれた。それよりさ、二人ともあっちの世界に行く前にやりたいことあるでしょ?あの部屋の奥に箱があるから、それ開けてみてよ。」

 今日の箱はいつもよりだいぶ大きい。中にはマイクとアコースティックギター、衣装一人分、シェービングクリームと髭剃りに化粧道具が入っている。
「てめぇとりあえずその汚ぇ顔面何とかしてこい。あとは、俺達の最後の生き様見せてやろうぜ。」
 洗面所に向かった彼らが戻ってきたのはかなり時間が経った後だった。二人とも服装を綺麗に整え、メイクも更に派手にキメている。箱がある部屋の襖が勝手に閉まった。そして勝手に開いた。そこは見慣れた和室ではなく、ライブハウスのようなギラギラした一室へと変貌していた。
「この箱、気が利くとは思ってたけどこんなことまでやってくれるんだな…すっげぇ…。」
 主である俺ですら、この箱の不思議な力には毎度驚かされてばかりだ。

 小さな椅子に二人は腰掛け、ヴォーカルの彼はマイクを、ギタリストの彼はギターを、それぞれ天井へ掲げてライブを始めた。
 決して広くないステージでしっとりと、だがしっかりと音に声を乗せて届ける二人。アコースティック・ライブを見守るは事務所の住人。たった四人のオーディエンスなのが少々申し訳ない気持ちになるが、彼らが一筋の傷と共に、去った世界へ届けようとせんばかりの演奏はしっかりと俺達の心に残った。

「ありがとう、最期に演れてよかった。やっぱり俺の音楽はお前のギターが無ぇとしっくり来ねえや。」
 ヴォーカルの彼は晴れ渡った顔で拳を差し出す。ギタリストの彼は、手首に痛々しい傷を残す拳に対して拳を返した。
「俺の方こそ礼を言わなきゃならねぇよ。罰を受けなきゃいけねぇってたのに、こんな贅沢なライブやらせてもらってさ。ありがとな。」

 開かれた扉の先は、てっきり例の川の畔かと思ったがそうではなかった。小さな部屋だった。そこには彼ら二人と同じくらい派手な化粧をした男が三人腰掛けていた。その面々は、ヴォーカルの男が見せてくれた映像に映っていたメンバー達だ。

「「本当に、すまなかった。」」

 手首と首に赤線を引いた男が二人、深々とメンバーに頭を下げた。三人の内二人は驚きながらも納得してくれたが、一人は不承のようである。
「んだよ、俺のこと誘っといてよ!加入してこれからだって時にバカやりながって!お前もヴォーカルだろ、自分の誇りってもんは無ぇのか!」
「返す言葉も言い訳も何も無い。悪かった。」
「悪いで済むかよ!俺の食い扶持どうしてくれんだ、どうやって食ってきゃいいんだよ!他全部蹴ったのにどの面下げて他のバンドの連中んとこ顔出せってんだ!」

 落ち着けよ、と残された二人に宥められても彼は一向に落ち着く様子が無い。死後残される者には、死者には無い責任というものがあるのだと思わされる。
「じれッたいわァ!!彼奴等は阿呆をしでかしたやもしれぬ。じャがのォ、命を叩き斬る選択をせねばならん心境も汲んでやらんかァ、えェ?」
 蜷局のしっぽから胴の半ばほどが眩しい銀色を帯び、彼らの間に割り込んで文句を言い続ける一人の首筋に噛み付いた。
「痛ぇ、なんだこいつ!化物!!」
 彼の道具であろうベースを叩きつけられ、蜷局は牙を離した。牙が離れたその時、ベーシストの男は気絶してしまった。立ち竦む死者二名と生者二名。
「ッてェな。すまぬ、奴の心持ちも十分分かるが、追い詰められて死んだ馬鹿者二人の事も分かってやってくれねェか。我輩が奴の憎悪は食らッてやッた。起きる頃には怒り狂ッた事すら覚えちャおらんよ。三人よ、希望を捨てるでない。恨むなら世界ではなく死んだ二人を恨め。そして二人を恨む前に、恨む間も無い程全身全霊を捧げてみよ。必ずや光は差す。この蜷局が約束しよォ。」
 俺も衝動に駆られ、死を選んだメンバー二名と名付け親と共に頭を下げた。
「俺は生死の間を彷徨う魂を導く案内人を務めるアマタと言う。この二人が置き去りにするような真似をした事、俺からも詫びさせてくれ。この大蛇の言う事を信じて頑張って欲しい。境界線から応援する。」

 気を失った男を肩で抱え、置き去りにされたメンバーは笑って手を振って送ってくれた。事務所へ戻り、再び扉を開くと川の畔であった。舟が二艘浮かんでいる。
「お前のヴォーカルにまた合わせられるように、きっちり償ってくる。お前は喉のケアちゃんとしとけよ。」
 ギタリストの彼は酷く古ぼけた方の舟に乗った。ヴォーカルの彼はなんと、相方の顔面を殴った。
「この馬鹿、今の一発は先払いで貰っとけ。お前こそ腱鞘炎とか言い出すんじゃねえぞ、腕鈍らせんなよ。」

 二艘の舟は違う方へと進んでいった。見送って事務所に戻ると、蜷局の黒は今までより一層深くなっている。
「ちィと食い過ぎたか。まぁ良い演奏の謝礼かのォ。アマタ、九尾、アヤよ。少しえェか?」
 こちらを凛と見つめ、蜷局は宣言した。
「これ以上我輩の黒が深みを増し、我輩が我を失うその時が来てしまッた時は、躊躇無く我輩を捨てよ。煉獄でこの身を走る憎悪ごと身を灼く覚悟は出来ておる。」

「そんな事はさせないさ、蜷局。元々お前に拾われた命だ。お前が堕ちる時は、どこまでだってついてってやるよ。」

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