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青い春夜風 27

Before…

【二十七】

「今日は早いじゃねぇか、下手すりゃ学校開いてねぇんじゃね?」
「大将は皆の気持ちを盛り上げないと!鼓舞、ってやつよ!」
「大将、なぁ。にしても騎馬戦大丈夫かよ?」
「ど真ん中に光佑いるんだから大丈夫だよ。信頼してるぜ?」
「あいよ、その信頼には応えねぇとな。」
 いつもより三十分以上も早く、俺たちは家を出た。まぁいつもがギリギリ過ぎるので何とも言えないところはあるが、この幼馴染が「初めての」体育祭に対して強い想いを持っていることはずっと伝わってきた。

 合唱祭を見事グランプリで終えた三組はとにかく勢いに乗っていた。邪魔な壁が跡形も無く消え失せたお陰だろう。同級生から「ブレイン」の異名を持つ雅は、目玉の騎馬戦で大将を背負うことに決まった。
「えぇ、俺でいいの!?運動神経は自信ねぇぞ!?」
「だからだよ。光佑を真ん中に、両脇をキノと俺で固める。雑魚全員獲っても大将が獲られたら負けだからな。ここをひと際強くしとかなきゃ。後の作戦は任せたぜ、大将!」
 拍手の渦が起きた。男子も、女子も、晴野先生も、様子を見に来た主任も笑っている。雅が本気で照れる姿は中々にレアだ。そして作戦を練り合い、個人競技をも団体競技として捉え、優勝が限りなく近く見えた。きっと教師には分からないであろうこの一体感。感じ取ることはできても、味わうことができるのは俺たちの特権だ。何より、俺も雅も体育祭に参加するのは初めてである。だからこそ新鮮さも重なって、ただのいち行事でしかないはずなのにモチベーションが異常なほど高い。

 駐輪場に着くと、既に自転車が何台も停まっている。三組エリアに二台、一組と二組はそれぞれ五台前後といったところだろうか。合唱祭のリベンジのつもりか、流石だな。気が抜けねぇ。
 上履きに履き替えて教室へ向かうと、平野がいた。棒立ちで突っ立っている。遠目で見ても様子が変だ。一組、二組は先に来た連中が賑やかに騒いでいる。
「おい平野、どうした?」
 嫌な予感がした。こちらを向いた平野の目は潤んでいる。二年前の記憶が徐々に形を帯びる。慌てて駆け寄り、教室の中を見ると、二度と見たくない忌まわしき光景が再現されていた。

-泥河童。
-調子乗んなチンピラ。
-アル中ヤニカス死ね。
-受験に響くぞバーカ。
-いい子ちゃんしてんじゃねぇよ。
-腐れ外道。

 記憶の中で見たものより言葉が増えてはいるが、汚い罵詈雑言が様々な色の油性ペンで彩られた幼馴染の机。そして俺の机の上には菊の花。机の真ん中に黒く太く書かれた「泥河童」の文字が、完璧に二年前を思い出させた。


 体育祭の朝、一年一組の教室にある机の一つに酷い落書きがあった。

-泥河童。
-足引っ張るな。
-チンピラのお友達くん。
-邪魔なんだよ。
-早く死ねよカス。

 泥河童とは、腹立たしいことに親友の幼馴染につけられたあだ名だった。合唱祭でグランプリを取り、体育祭へと良いムードで移り始めた一年一組。だが、俺らに練習の時に何かと突っかかってくる奴らがいた。木ノ原、林、森田。
「雅ぃ!またてめぇんとこで遅れてんじゃねーか!」
「えへへ、悪い悪い。」
 林に罵倒されても笑って誤魔化す親友の代わりに、俺が腹を立てていた。
「仕方ねぇだろこいつ運動苦手なんだからよ!俺よか足遅ぇくせにイキってんなよボケが!」
「だったらお前が足引っ張るこいつの分まで走れよ!」
「お前が今の倍足速くなればいいんだよ、なぁ森田!」
 へらへら笑いながら文句を垂れる森田と木ノ原。担任の晴野先生に「やめんか!人には得意不得意があるんだ!」と叱られてもその場だけ謝っては先生の見ていないところで罵倒され続けていた。
「何であいつらに言い返さねぇんだよ!合唱祭一組が獲ったのはお前が中心になって盛り上げたからじゃねーかよ!」
 いつだか、雅に怒鳴ったことがあった。
「へへ、言われても仕方ねぇよ。俺お前と違って運動苦手だしさ。確かに光佑はあの三バカよか速いけど、俺は遅い。しゃーねぇよ。」
 こんな時も笑っている馴染みの顔が切なく、何とかしてやりたかった。だがある日、雅の体操服が乾いていなかった日があった。洗濯機を動かし忘れて干すのが遅くなったらしい。一限目の練習で雅がコケた。生乾きの体操服は砂と泥まみれになり、そこで森田がふざけて放った言葉だった。
「だせぇな、泥河童!本番でそんなことされたらたまんねぇよ!ってか体操服臭ぇんだよ、洗ってんのか?」
 森田に同調して笑う北小出身の連中にブチ切れて殴りかかろうとし、雅と篠に押さえられたが振り払い、近くにいた林の顔面を思いっ切り殴ってやった。晴野先生が駆けつけて事情聴取されたが、やはり暴力は先出しが負ける。翌日林の母親が学校に乗り込んできて、母親と本人に直接頭を下げた。雅は責任を感じて俺に謝ってきたが、悪いのはどう考えても俺だ。言われた本人が耐えているのに、それを無下にしたんだから。

 なんだかんだ言われても雅はずっと笑っていた。同じクラスで唯一の菊宮小出身である篠の励ましもあって、全力を尽くそうと負けずに日々頑張ってきた。感染症に罹った篠が来られなくなっても、何度も「泥河童」と罵られても、負けずに笑って一生懸命種目の練習に取り組んでいた。
 体育祭当日、俺らが登校すると、例の三人を筆頭に元・北小の奴らが全員揃っていた。そして机には酷い落書き。その机の主の笑顔が消えた瞬間、俺の中で何かが切れた。
 無言で教室に入り、落書きだらけの机を持ち上げた。中に入っている教科書やノートは全て落ちた。空になった机を、森田目掛けて全力で投げた。森田が躱したせいで、凄まじい音を立てて窓ガラスが割れた。姿勢を崩した森田の顔面に渾身の蹴りを入れた。机を見ると林と木ノ原が机を拭いている。水性ペンで書かれていたようで、落書きはすぐに消された。卑怯な真似にますます我を失い、二人とも蹴り飛ばして殴り倒した。そして女子に呼ばれた晴野先生がやってきて大騒ぎになった。

 雅の姿はもうなかった。俺は何も言わなかった。他の連中が作り上げたシナリオにまんまとハマり、俺は「口論になり、かっとなって机を投げ、ガラスを割って森田に暴力を振るい、机を慌てて回収しに行った二人にも酷い暴力を浴びせた」ことになった。何も言えなかった。一度林の件で堪える雅を裏切ってしまったのに、同じ過ちを繰り返した自分がただただ情けなかった。体育祭は延期になった。親父は仕事を切り上げて二日後に急遽帰ってきて謝罪すると決まった。
 翌朝謝るために雅の商店に行くと、いつも店番してるばーさんがいなかった。だがシャッターは開いている。店の戸も。しかし店内には誰もいない。家に続く襖も開いたままだったので入ってみた。そして見たのは、台所で死んだ顔をして内腿を包丁で切り刻む幼馴染の姿だった。
「おい、何してんだよ!やめろって!」
「これはお仕置き。お前がキレる前に、当事者の俺が言い返さなきゃいけなかった。林の親が乗り込んできた時にさ、しっかりしなきゃ、って思ったんだ。なのに俺が昨日したことは逃げて家に帰っただけ。これくらいしねぇといけないよ、迷惑掛けたんだから。迷惑掛ける奴はこうやってさ。」
 再び包丁で脚を切り、ひと際多く血が出た。ぶん殴って包丁を取り上げると、ちょうどばーさんが買い物袋を持って帰ってきた。涙ぐむばーさんに事情を説明し、雅を殴ったこと、そして騒ぎのことを謝った。ばーさんは分かってくれて、それから俺たちは学校に行かなくなった。


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