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ほろ酔いゲシュタルト 5.5

Before…

【壱】

 光陰、矢の如し。
 生前に自分を見つけてから初めてできた友達がふと教えてくれた言葉のひとつである。時が流れるのは早いから、後悔しないようにね。って。死んでからそれを感じるのはどうにも皮肉である。

 愛を与えてもらえず枯れていた。初めて芽吹いた時、春風に乗ってたんぽぽの綿毛みたいにふわふわと流れてみたら、そこには土なんて無くて、また枯れてしまいそうだった。だけど、綿毛よりふわふわした居場所があって、そこで幸せを感じた。ぱぁっと咲いた花はすっごく綺麗に咲き誇り、やがて散る時にまたこの場所で芽吹きたいなって思って、新しい世界へと旅立ってみた。後悔は無い。心の底からそう言える。

 なんてことを縁側で考えながら、自分で淹れた麦茶をゆっくりと、音を立てずに飲んだ。ここの住人はお昼寝中だ。事務所の掃除を一人でして、ひと息ついたところである。住む世界が変わって多少物事に関する感じ方は変わってきたが、やっぱり夏は暑い。冷房なんて気の利いたものは勿論無い。時折北東から吹く涼しい風が汗を冷やしてくれる。麦茶を注いだコップも汗をかいている。暑いものね。

「よォ、すまなんだ。暑くて暑くてしャァなくてな。蛇というもんは気温に左右されやすくてのゥ。」
「あら蜷局さん。ごめんね、起こしちゃった?」
「いやいや、彼奴等はぐッすり眠ッちョるが我輩はどうにもな。掃除、感謝するぞ。床を這う我輩にとッては有難い限りよ。」

 ご満悦そうにくるくると身体を丸める蜷局さん。この間人間に化けたところを見て、(彼も器用なんだな)って思うことが徐々に増えてきた。例えば今、しっぽの先っちょを上手に動かしてお団子を二本持ってきてくれたところとかね。しかも餡子を全く落とさずに。
「わぁ、お団子!いいの?」
「おォ。我輩は和菓子が好きじャからな。美味しいものは皆で分けて食わんとなァ。我輩の身体みたいにな。かかッ。」
「そ、そう…なのかな?」
 真っ黒な身体で笑えない冗談を言う。もしかして、ブラック・ジョークってやつなのかな?
「この間のケェキというもんはどうにもな、甘ッたるいのは一緒じャが。甘さの種類が違うというか、和菓子の糖の使い方は美しュう思う。」
「それは分かるなぁ。ケーキもシュークリームもすっごく甘くて美味しいけど、甘いもの食べたい時でも和菓子な気分、とかあるよね。」

 蜷局さんと二人きりで話すのは初めてだ。私を優しく迎えてくれた、怖い見た目の餓者髑髏さんからお話があったのがはじまりだったっけ。


「九尾、座敷童。来い。」
「やーっと僕の処罰決まったのー?何すればいーのさがしゃくん。」
「そうだ。貴様は童と組んで、これより冥界より戻る妖しき蛇の面倒を見るのだ。蛇は生かそうと殺そうと九尾に一任する。元来まだ戻ることの許されない哀れな者だからな。そして童。貴様は愛しの九尾と共に、蛇が連れてくる人間の幽霊にこの世界を教えてやって欲しい。初仕事だ。」
「人間さん来るの!?私初めてひとの幽霊に会える!どんな人かなぁ。」
「えーっ、結局僕がまとめて面倒見るんでしょ?蛇ってあいつだよね、めっちゃ人間嫌いの。なんで人間なんかとこっち来るのさ?」
「情でも移したのだろう。あの蛇に劣らぬ哀れな死を迎えた若人だ。蛇の中に眠る情が怨嗟を上回れば、我々と共に百の夜を迎えられぬかもしれぬからな。何も蛇を憎んでなどおらん。寧ろ楽しみにしているのだよ、我々と共に歩むのを。奴の毒気を抜いてやれ。蛇に限っては狐火の使用を許可する。何かあれば遠慮無く煉獄へと帰してやれ。」
「でもコン介、むやみに使っちゃだめだよ!狐火は私を守る時だけにして。私のせいで面倒かけちゃってて言うのもよくないけど、これ以上コン介に辛い思いはしてほしくないから。」
「いーよいーよ、めんどーではないからね。ただ癖が強い奴だからさ。アヤに何かするようなら、その時は容赦しないけど許してね。」


 ぽけーっとあの日の夜を思い出す。確かにクセは強くて独特だけど、どこかに優しさを持ってて、それが憎しみで隠れちゃってるだけだって私は思う。
「おゥ娘。少し頭を借りても良ィか?」
「え、あたま…?」
 ちろちろ舌を出したりしまったりしながら、目を閉じてにっこり笑って真っ黒な彼は話を続ける。
「そうじャ、頭。我輩はどうにもアマタの脳髄を浴びてから何となくじャがな、人の思考に敏感になり始めているようでな。娘、貴様の思考を覗き見するつもりは無いのじャが、勝手に見えてしまッたのじャ。この場所で過ごしている間に、生前の事を時折思い浮かべておるなァ?」
 言葉を返せなかった。本当の事だったから。
 ここを事務所として構えたあの晩は、またここでコン介と暮らせることが楽しみだった。実際、アマタさんと蜷局さんの独特なコンビがまた日々を楽しく、時には切なくしてくれる。だけどここに、一人だけ足りないんだよ。
「申し訳なか。娘にとッてこの思い出は余りにも幸福で、故に余りにも辛いものであろう。どうせ見つかるが、餓者の旦那にャ内緒にして我輩の細い舌車に乗ッてはみぬか?」
「…うん、わかった。何すればいいの?」
「アマタの時のように、頭に巻き付かせてくれれば良い。後は我輩の本能に任せる。善行には善行を以て返せねばならぬ。暑さにやられたかのゥ。これが何だか最善の行いのような気がするのじャ。」

 しゅるしゅると頭に蜷局さんが巻き付いてきた。仄かにひんやりしていて気持ちいい。そして頭を覆った後、彼は残った身体で目元を巻いて囁いた。

「娘、今最も望むものを考えよ。」

 蜷局さんが離れた時、私は川沿いに立っていた。初めて来る場所だ。
「我輩はあの九尾ほど優れた力は持ッとらんが、この分野に関しては我輩の方が尖ッておる。暫く弱るじャろうが堪えよう。ほれ、来たぞ。我輩も身形を整えんとなァ。」
 いつの間にか私は綺麗な和服を着ていた。こんなの持ってない。おめかし用みたいだ。蜷局さんもこの間みたいに背丈の大きい、真っ黒な服を着た人間の姿になっていた。そして川の向こうから、提灯を垂らした小さな木の舟がこちらへ向かってくる。そこには、足りないひとかけらが乗っていた。

「清さん!!!」
「アヤ、久し振りじゃのう。がっはっは、立派な服じゃないか。たかーい所から時々見ておるぞ。一緒にいられんのが残念なくらい成長したもんじゃ。あの家、ぴかぴかにしてくれてありがとな。」
 たまらず抱きついてしまった。ずっと心の端っこにあった空白は、たった今埋まった。小さな子を愛でるように頭を撫でてくれた。お墓で会って一緒にお団子を食べて、一緒に過ごして、一緒に片付けをして…。思い出は涙となって流れ落ち、清さんの白装束が全部受け止めてくれる。
「アヤ、わしはずっと心配じゃった。あの晩にはしゃぎすぎたあまり死んでしまってすまんかったな。向こうで過ごしていた時にな、傘のお化けが来て教えてくれた。アヤはこっちに来てしまったが頑張っておると。わしはもう少し高い所から応援しておる。アヤが来る時を迎えたら、カレーを作ってあげよう。いつでも会えるとは言えぬが、いつか会えるとは言える。」
「はい…!私、頑張ります!清さんのカレー美味しいから楽しみにしてますね。会えてよかったです!」
 蜷局さんが深々とお辞儀をした。
「我輩、蜷局と申す。貴殿の居所を拝借し、迷える魂の案内人をしておる。この度は御足労を掛けて申し訳なかッた。娘の頭がちらッと見えてしまッたものでな。我輩は今も人が憎くて憎くて仕方が無いが、何故かこうせねばならない気がしたのじャ。お時間を頂いた事、心より感謝する。我輩は今この娘のお陰でこの畔の束縛から解かれてしャあしャあと息をしておる。この娘の時が来たら、必ず其方へ送ると約束致そう。」

 清さんは一言「頼むぞ」と言って、もう一度私の頭をわしゃわしゃと撫でて舟に乗り、川の遠くへ帰ってしまった。灯りが見えなくなるまで手を振って見送った。真っ暗になった時、いつの間にか私と蜷局さんは元の縁側に立っていた。

「いけないんだー、勝手に妖力使った!がしゃくんに怒られるよ!」
「お帰り、蜷局。何してたんだ?」

 お昼寝コンビが起きた。私はいつの間にか元の白くて地味な和服に戻ってた。
「喧しャ。掃除の礼をしたまでよ。アマタよ、ちョッと良いか?」
「あぁ、どうした?」
「我輩は未だに人が憎い。じャが時折、我輩を崇めてくれた連中が夢枕に立つのじャよ。感謝の言葉を言いながらな。あの川ではひとえに、人への怨念しか生まれなんだ。不思議だのォ。善行とは心地の良いものじャ。涼しくなッてきたので我輩は眠る。夕餉の時に起こしておくれやァ。」

 蜷局さんはどろんと人から蛇の姿に戻って、綺麗な床を這って奥の部屋へと消えていった。お団子がついちゃったのかな。しっぽが最後に部屋に這入った時、先っぽが白っぽく見えた気がしたな。

Next…

Prequel.


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