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青い春夜風 29

Before…

【二十九】

 待ちに待った体育祭は、恩師の暴力によってあっけなく中止となった。翌朝、浅い眠りから覚めたのは朝の五時頃だった。雅はきっと起きているが、昨晩ビールを一杯一気に飲んでから、ずっと布団に籠って出てこない。
 昨日の暴力事件を、煙草を咥えて振り返る。いや、あれを果たして「暴力」という言葉で片付けてしまっていいのだろうか。

 登校した俺たちを待っていたのは二年前、結果的に延期になった体育祭の朝と全く同じと言っていい光景だった。
 しかし、二年前と違ったところがいくつもあった。諸々の話をすり合わせると、まず登校したのは平野と篠。他に自転車が無かったことから三組の鍵を借りに職員室へ行くと、「さっき別の生徒が借りに来たから渡したよ」と事務の先生に言われ、教室に行くと既に落書きが出来上がっていたらしい。
 平野は泣きながら教室を出て、篠は怒りに震えていたそうだ。ちょうどその時に俺たちが登校した。
 俺は完全にキレていた。頭の中が真っ白になった。一度は。だがそれを制し、俺に色を返してくれたのは雅だった。
「落ち着けって、お前が暴れたら二の舞だろ。」
 その一言で瞬時に冷静さを取り戻した。
「お前、ムカつかねぇのかよ!?一昨年もこんなことあったんだろ!またあいつらに好き放題させんのかよ!?」
 怒りを抑えられない篠に、笑って雅はこう言った。
「そうはいかないだろ、今年はお前らがいんだからさ。」
 悪夢の再来にはならなかった。当事者が笑ってんだから。
 そして木ノ原と小関が登校し、その光景を見てやはり激怒した。教室を飛び出した時、晴野先生が来てくれた。二人が教室に引き戻され、その机を見た時の晴野先生の表情は複雑に見えた。悲しそうな、怒ってそうな、上手く表現するのは難しい。
 森田が教室で威張り散らかしていたらしく、それを聞いた晴野先生が森田と林を呼びつけた。だがへらへらと態度の悪い二人の行動と言動に、先に動いたのは雅だった。微笑みが憤怒に変わり、机を蹴っ飛ばして駆け出した。咄嗟に俺も花瓶に手をぶつけながら追いかけた。雅を止めようと手を伸ばした時、晴野先生に殴られた。そして直後、森田もぶっ飛ばされた。

 別室で事情聴取を受け、主任のプレッシャーに負けたバカ二人は全てを吐いた。二年前の真相は、夏休みの間に小関と木ノ原が先生方に説明してくれていたらしい。結果として悪は裁かれたが、膝を抱えて涙する担任の姿がずっと忘れられない。あの人は、晴野先生は、俺たちを庇ってくれた。二年前に痛感した、「手を出したら負け」。俺らに代わって負けてくれたんだ。

 回想しながら何本目か分からない煙草を点け、度数九パーセントの缶チューハイを開けた。ぼーっと考え事をしていたら、いつの間にか二時間も経っている。幼馴染は依然として出てこない。
「おい、そろそろ七時だぞ。メシ食うか?」
 返事が無いので、布団の中に無理矢理入ってみた。直後、物凄い力で抱き締められた。
「ちょ、おい、どうしたよ!?」
 彼はずっと泣いていたのだろう。布団がかなり湿っている。
「また俺、迷惑掛けちったのかな…!あん時森田にキレて飛び出さなかったら、晴野っち暴力なんてしなかったんじゃないかって。昨夜からずっと誰かがお前のせいだ、お前のせいだって言うんだよ頭ン中で!俺が悪いの、俺のせいなの…?」
 早朝から度数の高い酒を飲むものではないな、と思った。力任せに抱き抱えられたまま布団から立ち上がった。そして、めそめそとうるさい雅に勢いよく至近距離の頭突きを見舞ってやった。
「そんでまた引き籠ってお仕置きすれば満足か?それで晴野先生は喜ぶのかよ、あ゛?」
 ほぼゼロ距離から繰り出した頭突きが直撃し、俺にしがみつく形だった雅はお布団に帰ってしまった。「馬鹿!」と一言投げ捨て、火を点けてふた口ほどしか吸わず火が消えた煙草にもう一度火を点けた。煙を吐いた瞬間。

-カチッ、ゴン。ゴン。

 すっかりご無沙汰だったノックの音に、俺より先に弾け飛んだのは布団にくるまった雅だった。タックル気味にドアにぶつかりながら開けた。何というか、こんな光景を見た記憶がある。案の定、来訪者はドアがぶち当たったおでこをさする晴野先生だった。布団をマントのようにしたまま、雅が泣きじゃくりながら抱きつく。
「ここのドアは相変わらず痛いな。突然朝早くにすまない、時間いいか?」
「今回はドア開けたの俺じゃないんで…。どうぞ。」
 何かを言おうとしているが全く形にならない雅をとりあえず落ち着かせ、担任にお茶を出した。
「朝っぱらからストロングか…。まぁやむなし。」
「珍しいっすね、怒らないんすか?」
「叱る資格は、俺にはもう無いから。お茶は後で頂くよ。今日は先生ではなく、一人の男としてここに来た。乾杯しようか。」
 持っていたビニール袋から缶ビールを取り出した。雅も冷蔵庫からビールを取り出し、三人で乾杯して飲んだ。
「いいんすか…?こんなことして。色々問題になりますよ。先生が未成年の教え子と酒盛りなんて。俺らはチクるようなことはしませんけど。」
 ふっと笑って、加熱式煙草を取り出す先生。電源が入り、水蒸気が昇るスティックを咥えて吸い込み、信じたくない言葉を一緒に吐き出した。
「昨日、校長に辞表を提出した。依願退職ではなく懲戒処分という形で退職する、と。だからもう、俺は先生と呼ばれる資格は無いんだ。」
 僅かに残っていたチューハイの缶を落としてしまった。拾う気も起きない。
「今日ここに来たのは、お前たちと酒を飲みに来たわけでは無い。謝罪しに来たんだ。大人になった教え子に、大人になれなかった大人として。本当に申し訳なかった。」
 こんな晴野先生は、見たくない。三年間ずっと俺たちを見捨てなかった先生。悪さをすれば、きっちり目を見て叱ってくれる先生。頭ごなしにではなく、俺らの抱えるものと向き合った上で「ダメだ」と厳しく言ってくれて、笑ってくれた先生。
「光佑、お前を殴ってしまって本当にすまない。てっきり森田に殴りかかるんじゃないかと思ったのはあるが、それ以上に俺が森田に対して怒りを制御できなかっただけなんだ。別に庇ったとかそんな立派なものじゃない。雅と光佑、二人が堪えられたものを俺が堪えられなかった、それだけだ。」
 ビールを一気に飲み干し、再度「すまなかった」と言う先生。

「晴野っちいないなら、俺はもう学校行かないよ?」
 さっきのボロ雑巾のような姿はどこへやら。雅はにこにこしながらビールをくぴくぴ飲んでいる。
「好きにするといい、元々雅は学校に来なくても成績一位を叩き出すだけの地力がある。正直、学校に行くことが全てではない。こんなことを教育者だった奴が言うのも変な話だがな。大人になって羽ばたけるなら、後悔しないように自分で決めたのなら、止める権利は誰にもない。」
「おっけ、分かったよ晴野っち。今までありがと。お陰で楽しかったし、学校行く目的だった北小と菊宮小のごたごたは昨日のあれでだいぶスッキリしたっしょ。目的が学校に無いなら、俺は行かないよ。晴野っちに会うのも目的のひとつだったけど、会えないなら行ってもしゃーないしね!」

 ふと、我らの担任は笑った。
「実は先に、雅の商店に行ったんだ。俺も育ちは実はこの地域でな、お婆さんには子どもの頃から世話になってる。光佑の家に泊まっている、と聞いて心配だった。仲間割れしてるんじゃないかとか、また自分を痛めつけてるんじゃないかなって。そうでなくて安心した。ありがとうな、光佑。」
「え、俺っすか?」
「そうだ。一年の時に俺が、俺たちが守ってやれなかった雅をお前は身体を張って守ってくれて、元気にしてくれたんじゃないか。」
 言われてみれば、そんな見方もできなくもない。俺としてはただ大切な親友の力になりたかっただけだったが、大人から見て力になれたように見えているのなら、きっと成し遂げたかったことはできていたのだろう。
 先生ではなくなった先生は帰ってしまった。雅は酒の力か、はたまた筋を通した担任と話ができたからか、随分と表情が良くなっている。
「光佑、腹減った!メシ作ってくれよ!」

Next…


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