見出し画像

ほろ酔いゲシュタルト 09

Before…

【九】

 陽が沈むまで熱中症の警戒アラートが鳴り響いていた町だったが、夜が訪れて間も無く凄まじい雨が降り出した。屋根の隅から滝のように雨水が流れ落ちている。
「っかあ、勘弁してくれやぁ。あちきの貴重な火が消えちまう!」
 門番の提灯が堪らず部屋の中に避難してきた。
「提灯さん、いつもお疲れ様。何かいる?」
「アヤの嬢さん!こないだは立派でしたぜ、あんな橋から躊躇い無く飛べるなんて。あちきしっかり見てましたぜ。あの夜から立派になられて嬉しいですわい。マッチとお線香、貰えるかい?」
 ご所望の品を差し出された提灯は、相変わらず長い舌をべろんと出して箱と包装袋ごと飲み込んでしまった。直後、ごうっと炎が灯る。
「はは、元気になったみたいだね。雨止むまで中にいていいから。止んだらまた門番を頼むよ。」
 俺が励ました直後、扉をカリ・カリと引っ掻く音がした。
「いっけねぇ、お客さんでぃ!アマタの兄貴、お気持ちどうも!」
 開かれた扉の先には誰もいなかった。俺とアヤが顔を見合わせると、コン介が「こっち、こっち」としっぽを向けている。その先には、小さな子犬が震えていた。
「きゃうん、わぉん…。」
 アヤが風呂場へ駆けていき、タオルを持ってきた。ずぶ濡れの身体をふわふわのタオルで包み、蜷局が子犬を乗せてテーブルまで運んできてくれた。震える子犬に、コン介がお菓子を差し出した。
「これ食べて。前にアヤが作ってくれたやつ真似してみたんだ。くっきー、だっけ?甘くて美味しいよ。それにね、僕の妖力込めたから。」
 子犬はくんくんと匂いを嗅いで、おそるおそるひと口食べた。どうやらお気に召したようで、ふた口目から無くなるまではあっという間だった。
「美味しい!狐さん、ありがとう!」
「うわ、いきなり喋った!!」
「へへ、上手くいった。」
 俺は思わず叫んでしまったが、子犬はとても人懐っこく、俺の隣でちょこんと「おすわり」の姿勢をとった。
「ここの主さんでしょ?ぼくは名前も無いんだ。人間は僕らのこといぬ、って呼ぶんでしょ?」
「あぁ、そうだ。俺はアマタ。こちらの女の子はアヤ、狐がコン介、蛇は蜷局。名前が無いのなら、とりあえずわんこと呼んでもいいか?」
「いいよ。ぼくは雨に打たれて死んじゃった。でもね、ぼくと一緒に死んじゃった人がいた。その人のところに行きたいんだ。」

 わんこがクッキーのお替りを欲しがったので、アヤが作ってくれた。俺達もアヤの手伝いをしながら、わんこの経緯を聞いた。
「ぼくね、仲間がたーくさんいたおうちで生まれたの。主さんがえっと、いぬ大好きでね。でも主さんはおじいさんで、寿命が来て亡くなった。仲間はおっきな乗り物で運ばれて、いろんな人の所へ行った。ぼくも新しい主さんに迎えられたけど、そこがなんだっけ、ぺっと?がだめなおうちで、箱に入れて道に置いてかれちゃった。」
 成程。生前に漫画やドラマなんかでよく見たシーンだ。
「ほォ。人間の世界も今や堅苦しくて窮屈じャのゥ。小動物すら許されんとはなァ。」
 溜息を吐く蜷局。彼が祀られていた時代はそんな堅苦しい決まりなんてなかったのだろう。コン介もどこか切なげだ。
「ぼくも悪いんだ。やっと新しい主さんにお迎えしてもらってはしゃいじゃってさ。人間の決まりなんて知らなくてね。それで今日主さんが偉そうな人間に怒られて、ぼくは道端に置いてかれた。寂しかったし、そこに土砂降りの雨だよもう。どうしよって思った時、こっちに走ってきた人がいた。すごく怖い人だった。」
 その時、クッキーが焼き上がった合図の音がした。
「そうだったんだね…。妖力は無いけど、普通のクッキー焼けたからみんなで食べよ。わんこさん、美味しいものは元気をくれるよ。好きなだけ食べてね。」

 花や星など、可愛らしい形をしたクッキーがどっさりとお皿に盛られた。俺も一枚頂いた。これは美味しい。紅茶がまた素晴らしく合う。
「わんこさんは、ミルクに少しだけ紅茶混ぜたやつね。」
「アヤさん、クッキーもミルクも美味しい!」
 ちぎれんばかりにしっぽを振りながらおやつを楽しむわんこ。十分満足したようで、ミルクティーの入ったお皿を綺麗に舐めてから話を続けた。
「その怖い人は誰かに追われてたんだ、きっと。逃げてたように見えた。ぼくと目が合ってね、その人が一瞬止まったんだ。そしたらすっごい音がしてその人死んじゃった。その後、ぼくも黒いおもちゃみたいなのを向けられた。なんだろって思ったらまたおっきい音がして、すっごく痛かった。あ、ぼく死ぬんだなって思った時にこの扉があって、立ち上がったら痛かったとこがなんともなくて、死んだってわかった。せっかくだから寄ってみただけなんだ。あの人はぼくと目が合わなかったらきっと生きてた。あの人にごめんなさいって言いたい。」

「今なら間に合うでぇ!」
 提灯の叫ぶ声が聞こえ、扉が開かれた。そこは俺と蜷局が初めて会った、あの川の畔だった。そこに胸を押さえて歩く男がいる。アヤと俺で走って引き留めようとした時、俺の脚に蜷局が絡みついて転んだ。「ビターン」という音がよく似合う転び方だった。
「ほれ、忘れもんじャ。持っていけェ。」
 蜷局がしっぽで巻き取っていたものは首輪とリードだった。奥の箱が空いている。扉の向こうではアヤが男を引き留めたところだった。
「痛って…。お姉さん誰だい?俺は死んだ。これは三途の川、ってやつだろう?本当にあるとはね。俺は天国に行けるのかな。」
「私、アヤって言います。お兄さんに会いたがってる子がいます。その子と会うまでは、向こうへ行かないで下さい。お願いします。」
 わんこが男に駆け寄った。そして二本足で立ち上がり、男の足元で飛び跳ねている。
「お前、あん時の捨てられてた子犬じゃんか!」
 蜷局が足から離れ、やっと俺も追いつくことができた。
「初めまして、俺アマタって言います。生死の境を彷徨う魂の案内人です。今日のお客さんは、このわんこです。お兄さんに会って話したい事があるって言うんで。」
 血が止まらない胸を押さえ続けながら男はしゃがんだ。わんこも「おすわり」の姿勢をとる。
「人間さん、追われてたんでしょ?ぼくがあんなとこにいなければきっと死ななかった。邪魔しちゃってごめんなさい。」
「はは、お前喋れるんだな。そんな事は無いよ。早いか遅いかの違いでね、寧ろ早く終われて良かったよ。アマタさん、俺さ、闇バイト引っ掛かっちゃったんだよね。金欲しさに応募してみたらすぐやばいやつだって分かってバックレたんだ。でも筋モンの連中にバレて追っかけられてて、この子犬を見た時に何だか愛おしくなって足を止めた。その瞬間に撃ち殺された。」
 わんこが「くぅん」と鳴く。目元は潤んでいる。
「ぼくもそのおもちゃでバーンってされたんだ。痛かった。」
 男も嗚咽を漏らして泣いた。
「そうだったのか…。謝らなきゃいけないのは俺の方だ。あんなのに引っ掛からなかったらお前は死なずに済んだ。ごめんな、ごめんなぁ…。」
「双方、啼くでない。この犬ッころが望んだものじャ。アマタ、渡したれ。」
 言われるがままにリードを渡した。男は涙ながらに微笑んだ。
「わんこ、良かったら川の向こうで一緒に過ごさないか?不甲斐無い俺とで良ければさ。」
 わんこは再び立ち上がって男の目元を舐めた。凄く嬉しそうだ。
「アマタさん、みんな、ありがとう!ぼくこの人と一緒に行くね!新しい主さんと楽しく過ごせる!楽しみだなぁ!」
 畔に小さな木舟が到着した。その時、アヤが小さな籠を持ってきた。男が蓋を開くとそこには、さっき作ったクッキーが入っている。
「旅のお供にどうぞ。わんこさん気に入ってくれてるし、美味しいですから一緒に食べて下さい。良い旅を!」
 男が一枚食べると、たちまち胸の傷が癒えた。わんこも籠に顔を突っ込んで一枚を口に咥えた。

 俺達は舟が見えなくなるまで手を振って見送った。事務所に戻り、二人と二匹で縁側に佇んだ。雨はすっかり上がって星空が綺麗だ。
「あれが夏の大三角だよ、昔友達に教わった。素敵だね。」
「それよりアヤさ、いつの間にくっきーに妖力込めたの?あのおにーさんの傷が治ったのは間違いなく妖力だよ。」
「え、そうなの?私そんなつもりなかったんだけどなぁ…。」
「かかッ、アヤも立派な妖の仲間入りじャのォ。アマタもそうなる時が来るかもしれぬ。素質はあるぞォ、我輩のお墨付きじャからな。」
「そうか、その日が来るまでに色々頑張らないとな。五十年かぁ。ところでさ、皆は知ってるかい?」
「「「?」」」

「冬の大三角ってのもあるんだよ。オリオン座と、おおいぬ座と、こいぬ座を繋ぐんだ。あのわんこ達、冬にはきっと素敵な星になってるさ。」

Next…


いいなと思ったら応援しよう!