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青い春夜風 28

Before…

【二十八】

 天候にも恵まれ、テント上げや放送機器の準備といった直前の準備が終わり、他の先生方と教え子を迎える為に職員室へ戻る途中だった。自転車で三年の生徒が登校してくる姿が見えていたので、「ちょっと教室見てきます」と伝えて他の先生たちよりひと足先に教室へ向かった。
 昨日の夜、遅くまでかかってしまったが「黒板アート」というものに挑戦した。海賊漫画のワンシーンで、腕に仲間の印をつけて別れを告げる場面をプロジェクターで投影し、色とりどりのチョークで描いた。三年三組がひとつになれるように。
 見かけた通り既に一組も二組も数名の生徒が登校していて、思い思いのひと時を過ごしていた。だが二組の前を通り過ぎた時、聞き捨てならない言葉が聞こえた。
「あいつら夏休み明けからますます調子乗りやがってよ。やってやったぜ。もう一回ぶっ壊してやるよ裏切り者共め。」
 直後、教室から小関と木ノ原が勢いよく駆け出してきた。二人ともただならぬ雰囲気で、特に木ノ原が怒り狂っている。
「森田、林!てめぇらだろこの野郎、汚い真似しやがって!」
「待て二人とも、何があった!落ち着けって!とりあえず教室戻れ!」
 小関も相当頭にきているようで、二人とも完全に冷静さを失っている。
「これで黙ってられませんよ!おいお前ら出てこいコラぁ!いつまでこんなふざけたことしてんだよ!おい林!森田!クソ野郎!」
 力任せに二人を抑えて教室に引っ張り込むと、凄惨な光景が繰り広げられていた。
 昨夜一生懸命描いた黒板アートは無惨にもぐちゃぐちゃに塗り潰されたり、部分部分が消されていたりと滅茶滅茶になっていた。そして光佑の机の上には菊の花が入った花瓶。雅の机には、言葉にするのも憚られるくらい酷い言葉の羅列。当事者である二人は、きっと過去のことを思い出してしまったのだろう。雅の表情にいつもの無垢さはどこにもなく、光佑は拳を握って震えている。

 頭の中がほぼ真っ白になった。辛うじて色が残っている部分は、赤黒く燃えているような感じだ。
 ゆっくりと二組へ行き、森田を呼び出した。
「森田、一組行って林呼んでこい。そして二人で三組の中に来なさい。」
 呼び出しに応じて森田と林が来た。こんな状況だというのに、二人ともへらへらとポケットに手を突っ込んでいる。
「何すか?これから楽しい思い出になる体育祭じゃないですか。俺らに何か用でもあるんすか?」
 林が微塵も悪びれずに言う。
「うわ、酷いっすね。三組にもこんなことする奴いたんだ。確か俺らより先に来てたのは平野と篠っすよ。チャリ停まってましたから。」
 木ノ原と小関の怒号が遠くから聞こえたが、今は自分を制しなければならない。彼らにとって悪夢のようなあの一日を、そしてこの一年半を、無駄にするようなことはしてはならない。
「さっき教室の前を通った時、森田。お前が何かやってやったと話しているのが聞こえた。心当たりは無いのか?少なくとも俺には、うちのクラスにこんな最低な真似をする奴がいるとは思えない。」
 森田の態度は変わらない。
「うわ、依怙贔屓っすか。現実見て下さいよ、俺らがやったって証拠無いじゃないですか。濡れ衣っすよ、濡れ衣。まぁ大人ってこーゆーもんですからね、結局生徒のことなんて知らないんですよ。陰で何やってるかとか、学校出ちゃえば分からないっすよね。元北小の奴らは菊宮の連中嫌いなんですよずっと。知らないですよね?」
 背後から大きな音がした。振り返ると、机を蹴り飛ばした雅と、花瓶を叩きつけて割った光佑が向かってくる。木ノ原、小関もそうだが、一番頭にきているのはきっとこいつらだろう。光佑が拳を振りかぶった。

 赤黒い炎が、脳の隅から隅まで燃やし尽くした瞬間だった。

「やめろ光佑!!!」
 まず言葉が意図せず飛び出し、身体がそれに続いて光佑をカウンター気味に殴り飛ばした。流石に他の生徒も驚いて硬直している。
「うわ、先生犯人知ってたんすね。こいつら表向きは仲良しこよししてるけど、きっとろくに運動できない雅のこと、光佑は実は嫌いだっ」
 減らず口の絶えない森田のことも殴り飛ばした。
「晴野先生、何してるの!!」
 微かに主任の声が聞こえ、相沢先生と副担任に取り押さえられた。それでも暴れようとする身体を制御する心は残っていなかった。
「放せ、放してください!こいつら人の青春踏みにじるようなこと何度もしやがって!許さねぇぞ!何も知らないのは森田、林、それに傍観者のお前らもだ!自分の行動振り返ってみろ!」
 頬に平手打ちをされた。主任からだった。そんなに痛くないのに、一撃で燃え盛っている炎を鎮火させるような何かがあった。
「青春を踏みにじってるのはあなたよ、晴野先生。」
 完全に我に返った。今しがたの自分の行動が、凄まじい速さで走馬灯のように駆け巡った。そうだ、二年前に我慢できなかったのは光佑で、今我慢できなかったのは、俺…。膝から崩れ落ち、込み上げる涙で視界を失った。
 騒ぎは鎮まり、各自教室で待機と指示が出た。副担任に手を引かれ、雅と光佑、木ノ原、小関、林、森田と主任で英語科室へ移動した。俺は蹲って泣くことしかできなかった。

 主任の静かに燃える怒りは膝を抱える俺にも伝わってきた。結局態度を改めた森田と林は、先に登校して三組の鍵も一緒に借り、事前に打ち合わせていたメンバーで落書き等の悪行に臨んだことを白状した。
「二年前の体育祭も、君たちが仕組んだんでしょう?当時同じクラスだった木ノ原くんも一緒になって。大人は何も知らないと思った?」
「そ、それは…。」
 涙でぼやける目を上げ、ハンカチで顔を拭くと、実行犯の三人のうち、木ノ原以外の二人がたじろいでいた。
「晴野先生は、ずっとめげずに雅くんと光佑くんの家庭訪問を続けて、信頼関係を築き上げてきたの。その信頼のお陰で二人は学校に来ることを選んだのよ。晴野先生の情熱は他のクラスメートにも移って、三年三組は元北小と菊宮小の間にあった隔たりが無くなった。君たちがSNSでやってること、今までしてきたこと、二年前の体育祭、三組の皆は間違ってたって認めて打ち解けた。君たちだよ、何も知らないのは!」
 最後は主任まで咆えた。二人と、加わった実行犯は各担任に呼び出されて指導された。俺は校長室に呼び出されて事情聴取を受け、ありのままを話した。体育祭どころではない、という話になった。
「今年の体育祭は、中止とする。」
 校長のひと言が心に重く響いた。生徒を全員下校させ、保護者には即座に体育祭中止の連絡が回った。俺は全職員の前で頭を下げ、午後は休暇を使って帰宅した。

 やらなければいけないことが二つある。

Next…


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