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ほろ酔いゲシュタルト 08

Before…

【八】

 あの無数の刺し傷は一度開きかけたものの、無事に完治して今まで通り事務所の運営に戻ることができた。
「まだ治りたてなんだから、無理しちゃだめだよ!」
 アヤの優しい言葉が沁みる。対して、蜷局は少々当たりが強い。
「アマタァ、一度あんな死に体を晒した貴様にとってはあんなもの掠り傷にもならんじャろうが、えェ?」
「まぁな。ただ痛かったのは本当だし、事務所に穴開けたのはほんとに悪いって思ってるよ。飛び降りたアヤと俺の事助けてくれて、ありがとうな。」
 ぷいっと蜷局はそっぽを向き、テーブルの座布団の上で渦を巻いた。
「けッ、仮にもアマタもアヤも恩人じャ。あんなつまらんところで消えられては路頭に迷うッてもんよ。ほれ、来客じャ。」

 鈴の音と共に開かれた扉の向こうにいたのは、体育座りをしている少女だった。見た目はアヤとそう変わらない年頃だ。
「いらっしゃいお嬢さん。そんなとこ座ってないで中に入りなよ。洋菓子と和菓子、どっちが好き?」
 瞳から光を失った少女はぽつりと「シュークリーム」と呟き、似合わない深紅のハイヒールを脱いで入室してくれた。コン介が好んで食べるので、冷蔵庫にはシュークリームのストックはたっぷりある。アヤが紅茶を淹れ、もてなしの準備は整った。
「アタシ、しんだの??」
 少女の話し方からは、コン介から威厳を取り払ったような幼さを感じる。コン介の話し方も間延びしていて幼く聞こえるが、それは彼の奔放さ故に自然とそうなっているのだろう。対し、彼女は途中で成長を諦めたような雰囲気である。
「女ァ、貴様は死んでなどおらぬ。だが死の間際にいる事もまた事実じャ。貴様、服毒自殺でも図ッたか?」
 威嚇するような蜷局に全く怯える様子も無く、「おっきいへびだ!」とはしゃぎながら蜷局を追い掛け始めた。流石の蜷局も驚いたようで必死に逃げている。取り乱す蜷局を見るのは新鮮だ。
「やめんかァ女!アヤ、こやつどうにかせェ!」
 アヤに取り押さえられてお替りのシュークリームを頬張り、少女からやっと事情を聞き取ることができた。
「アタシ、推しぴだーいすきでね、わすれらんなくってね、いなくなっちゃってね、おくすりいーっぱいのんじゃった。おさけといっしょに。おきたらここにいた。きっとアタシしんじゃったんだぁ。」
 傍観していたコン介がしっぽを振りながらぴょんこと少女の頭上に飛び乗った。アヤが悔しそうな表情をしているように見えるのは思い過ごしか。
「んーとね、君はまだ死んでないよ。ただ死ぬ直前だ。病気の匂いがする。何があったの?」
 少女は頭上のコン介をがっちり捕まえ、「ふわっふわだぁ!」といってまたもや暴走し始めた。コン介は満更でもなさそうだが、このままでは埒が明かない。
「君さ、どうして薬たくさん飲んじゃったの?しかもお酒となんて絶対だめだよ。話なら聞くよ。」
 アヤの言葉は文字に起こすと優しげだが、実際はそうでもない。満面の笑顔で怒っている。証拠に、はしゃぎ過ぎたコン介がそそっとアヤの膝元に帰っていく。
「推しぴ、カノジョできちゃったの。アタシすっごくだいすきだったのに。アタシえらばれなかったの。きつねさんのいうとーりだよ。アタシはびょーげんきん。おかねほしくてたくさんセックスした。ばいきんだらけ。」

 気まずい沈黙を破ったのは奥の部屋にある箱だった。珍しく箱がガタガタと揺れたのだ。少女はまるで猫じゃらしを目にした猫のように箱へ駆け寄って開いた。中から取り出されたものは、人体模型の一部と思しき標本の脳味噌と、無数の花だった。
「わーい!にんぎょーあそび!」
 少女は模型の脳に一本ずつ花を刺す。段々と飾られ綺麗な花束のようになっていくが、その大元が脳味噌では美しいとは到底言えない。耐えられない程では無いが、徐々に頭痛が起き、花が刺さるごとにそれは酷くなっていく。
「お兄さん、名前教えてよ。」
 何本目か分からぬ花を突き刺し、冷めた眼で俺の目を見て少女は尋ねる。
「アマタ、という。この蛇・蜷局より頂戴した名だ。俺は一度階段から落ちて、頭を十三回打って死んだ。今はここで生きるか死ぬかの境目を迷う魂を導いている。お嬢さん、さっきと雰囲気変わったね。悩みなら聞くよ。」
「アマタさん、かぁ。アタシの話聞いて。好きな男がいてね。貢いでたんだよ、身体売りまくってさ。汚いオヤジから金ぶん取って、その金で好きだった男に酒でも煙草でも何でも欲しいもの買ってあげた。いつか振り向いてもらえるって思って。女がいるって事も知ってたよ。でも奪い取ってやるって決めてた。でもダメだった。んでオーバードーズしちゃってさ。性病だらけの溝鼠に光は当たらないから。何だかさ、夢中になって活け花してたらだんだん冷静になってきてね。何やってたんだろうなあアタシ。」
「そうか…。とりあえず花を活けるのはもう止めにしてくれないか。古傷が痛んで仕方ないんだ。」

 凄惨な活け花を終えた彼女は、こしあんの団子と煎茶を望んだ。ご機嫌斜めに見えたアヤが隣に座り、お茶を淹れる。
「どうぞ、お団子とお茶。私はあなたと同じくらいの歳で死んだ。この狐とずっと一緒にいたくてさ。コン介っていうんだけどね、私も言うならコン介の事が推し、それ以上かな。愛してるんだ。あなたは死にたい?それとも生きたい?今ならまだ選べるよ。」
 んー、と団子をひとつ食べて少女は言った。
「分かんないな、出来るなら推しぴに会いたいな。それから決めたい。会えたりなんてする?」
 お安い御用!と玄関から提灯が張り切る声がした。少女が扉を開くと、そこは薄明るい一室だった。部屋の中心で、一糸纏わぬ男女のつがいが身体を交えている。
「ははっ、やっぱり。」
 少女は無邪気に笑った。
「きゃあ!誰この女!」
 裸の女性が悲鳴を上げて、手近なバスタオルで身体を隠してトイレであろう部屋へ逃げ込んで鍵を閉めた。
「お、お前…!何でここに?お前にはもう用は無いって言ったろ!今更こんなとこ忍び込んでどうするんだよ!メンヘラ女!」
 きゃはは、と迷える少女は更に笑う。扉の向こうから見守る俺たちだが気は抜けない。以前のメッタ刺し事件が脳裏を過る。
「アタシがそこにいたかったなぁ。推しぴのぜーんぶほしかったなー。きったないオヤジじゃなくてさ、推しぴのがほしかった。でももーいいや。さめた。推しぴからも、夢からも。じゃーね。」
 少女は裸の男の頬を思いっ切りひっぱたいて事務所へ戻ってきた。
「アマタさん、アヤちゃん。ありがとね。何だかすっきりしたよ。あいつのこと頭ん中お花畑野郎だって思ってたけどさ、逆だったね。アタシがお花畑女だった。もし出来るなら、もう少し生きられるかな?」
 蜷局が人間に化けた。
「それを決めるのは貴様じャ。生きるも死ぬも好きにせィ。アヤが淹れた茶があるじャろォ、残すなよ。飲み干して扉を再び開けよ。女ァ、貴様が真に望む世界が其処にあるわァ。」
 お茶を飲み干して「ご馳走様でした」と挨拶し、開かれた扉の先にはゴミや脱ぎ捨てた衣類で散らかる部屋があった。あちこちにビニール袋や酒缶が散乱し、注視すると薬が入っていたと思われるゴミもそこかしこに落ちている。
「アタシの、部屋だ。こうやってみると汚いね。もっかい頑張ってみるよ。」
 アヤが手を差し出した。コン介を捕まえられた時の怒気は既に消え失せたようだ。
「あなたが望んだんだから、もう投げ出さないでね。次会った時は紅茶でも緑茶でもいいからさ、またゆっくりお茶会しようよ。」
「うん、ありがと。なるべく時間空けられるようにするね。アタシ頑張るからさ。ここから見守ってて。アマタさんもありがと。蜷局さんも感謝してる。人に化けるとイケメンだね。あとコン介さん、抱き心地良かったよ。今度は病気の匂いなんてさせないからさ、またいつか一緒にお菓子食べようね。」

 彼女はそっと扉を閉めた。最愛に裏切られてしまった彼女は、これからどうやって生きていくのだろうか。数時間後にまたこの場所で会うなんてことは、或いは川の向こうに行ってしまうということは無いだろうか…。
「心配要らぬ、あの平手打ちで女の心は幾分か晴れた。壁は高く多いじャろうが、アヤとの約束を蔑ろにする様子は見えぬ。かかッ、歳が近いが故に分かり合えたのかのゥ。」
 慌てて逃げ回っていた時とは逆に、追い詰めるような表情で語る蜷局。
「アヤにもひとり、友達がいたんだよ。ぶつかり合って打ち解けた大切な友達がね。もーしばらくは会えないだろうけど、アヤは後悔したくないんだ。アヤとあの子はもー友達だよ。次会う時はいつになるかなぁ。今度はケーキにしよーね!」
 アヤを見透かしたコン介が、九本のしっぽを扇子のように開いて語る。

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