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ほろ酔いゲシュタルト 03

Before…

【三】

 事務所と化した廃屋で過ごし始めて三日が経った。客は誰も来ず、ただのんびりと過ごしている。餓者が用意した箱からは、贅沢こそ出来ないが食っていくには十分なお金が必要な時に出てきた。コン介曰く、「妖怪だって食べていかないと妖力が尽きてしまう」ようで、料理は俺とアヤが担当した。俺は元々一人暮らしだったので自炊していたこともあり、蜷局もぶつくさ言いながら食べてくれた。

 四日目の朝、玄関の提灯が垂らしている鈴の音が鳴った。そして入口の引き戸が開いた。そこには、ボロボロの衣服を纏った、俺より幾つか年上であろう男が立っていた。
「いらっしゃい、どうしました?」
 俺が出迎えると、軽い会釈をして無言のまま靴を脱いで中へ入った。アヤが座布団を用意してくれている。
「お兄さん、どうぞこちらへ。私は座敷童のアヤです。こちらは狐のコン介で、この黒い蛇は蜷局。よろしくね。」
「俺はアマタ。いつの間にか死んで、今はここで迷える方を案内している。兄さん、ここへはどうやって?」
 突然その来客は涙を流し始めた。破れた服で目元を拭い、その男は語り始めた。
「となると、僕は死んでしまったのですね…。意識を取り戻した時、私は真っ暗な川の前に立ちすくんでいました。そして思い出しました。あの日は娘の誕生日でした。ケーキを買ったんです。日々仕事に追われて娘の面倒は嫁に任せっきりで、せめて五歳になる誕生日くらいは家族皆で祝ってあげたくて。ただそのケーキ屋を出て、歩きながらスマホでメッセージを送ったのが良くなかった。正直、三十五にもなってはしゃいでたんですよ。周りなんて全然見えてなくて。車道まで歩いていたと気付いたのはトラックに撥ねられた後でした。何もかもが遅かった。後悔した時、ぐしゃぐしゃになったケーキを片手に川の畔にいた。でも向こうに行ったら娘にも、嫁にも会えないような気がして引き返した。そうしたら、ここに立っていた。行く場所も無いので呼び鈴を鳴らしたんです。」
 成程、俺も立ったことがあるあの川か。きっとこの人は死んだ事に気づきながら、後悔に苛まれてここへ辿り着いたのだろう。
「お兄さん、辛かったでしょう。私、お茶を淹れてきます。ちょっと待っててね。」
 アヤがお茶の用意をし、俺と蜷局でその男の対応をする。
「それで男、貴様は何を望んでおるのじャ?その姿で嫁と娘に会ったところで驚かれて終いじャわい。それでも会いたいと願うか?」
 男はずたずたの作業服を袖から裾まで見直し、自嘲の笑みを浮かべる。
「ははっ、そうですよね。こんな汚い服で傷だらけ。幽霊が出た、と騒ぎ立てるに決まっています。会ったところで仕方が無い。ただ祝いのケーキだけは、渡してやりたかったな。お、美味しそうなお茶じゃないか。いただきます。」
 アヤが淹れたお茶を一口飲み、「美味しいなぁ」と呟く男。俺は結婚なんて無縁で、娘も息子も持ったことが無い。だがもし、愛しい我が子を残して死んでしまったならば、死んでも死にきれないというやつだろう。
「分かりました、精一杯の事はしましょう。娘さんに、誕生日祝いのケーキを渡しに行きませんか?」
 男は特に驚くことも無く、諦めきった表情でお茶を飲み干した。
「いえ、いいんです。ケーキは車に轢かれて残っていませんし、死んだ親父が出たらきっと驚かせてしまいますから。」
「そんなことありませんよ!」
 異を唱えたのはアヤだった。強い口調で男に話す。
「私は、今は座敷童って妖怪してますけど、生前はあなたと同じ人間でした。本当の親に捨てられたけど、死ぬ間際にお母さんと会えたんです。そこに私の居場所は無かったし、お母さんを拒絶したけど、会えて嬉しかったのは本当です。親に会えて嬉しくない子どもなんていません!後悔してるからここへ来たのでしょう?なら、すっきりさせてから行くべき道へ行きましょう!」
 俺も続く。
「俺は、いつの間にか死んでいました。生きている間はやりたいことなんて思いつかなかったけど、死んでから死ぬのが怖くなった。あなたは違う。死ぬ事は怖くなくても、生きてる間の後悔が残ってるからここへ来れたのですよ。だから解決しましょう。」
 奥を見ると、蜷局とコン介が箱の近くで待っている。
「おにーさん、こっちこっち。おいでよ。」
 コン介が迎える。「可愛い狐と蛇だ」なんて呟くお兄さんを案内した。
「迷える男、貴様の望みを言ッてみよ。だが男、心の底から思うのじャ。成仏する事が最上の望みならば、貴様は此処で消えて黄泉へと旅立てる。しかしそれ以上の望みがあるのならば、この箱がその願いを叶えるじャろォ。」

 男は目を瞑り、両手を合わせた。そしてその箱を開くと、箱の中から箱が出てきた。箱の下には、黒いスーツと白いワイシャツ、そしてスーツより更に深い黒のネクタイが入っていた。
「…かかッ、男。貴様は分かりやすいのう。やはり後腐れがあッたんじャあねェか、我輩にはお見通しだァ。」
「口は悪いけど、見た目に反して優しい蛇様だ。少し着替える時間をくれないか。」
 襖を閉め、男が着替え終わって襖が開かれた。ピシッと決まった喪服だ。
「それではご案内します、お客様。提灯、頼むぞ。行先はどちらへ?」
「我が家へ。今はえーと、午前二時半か。きっと娘も家内も寝ています。こっそり冷蔵庫にケーキを置いて、私は行くべき場所へ行きます。」
「あいさぁ!ちょい待ちなあんちゃん、これをこうして…。伝わったぜ。準備はいいかい?」
 あぁ、という返事で事務所の扉は開かれた。そこは外への出口ではなく入口だった。真新しい家の玄関。
「ははっ、逝ってしまう前にもう一度この玄関で靴を脱げるとはね。」
 事務員の四人は行く末を見守っていた。玄関から真っ直ぐ進んだドアを開くと、目の前はリビングのようで、丁度一直線上に冷蔵庫がある。男がケーキをしまおうと冷蔵庫を開いたその時、すぐ横のドアが開いた。

「ママ、トイレ…。怖いよ。」
「はいはい、そろそろ一人で行けるようになってほしいわね…って誰!?空き巣!?」

 どうやら娘さんが起きて、お母さんが一緒にトイレに行く場面に出くわしてしまったようだ。そして、来訪した男のことは二人にも見えているらしい。
「お前か、そして私の愛しい子。」
「あなた…!?どうしてここに?」
「パパ!パパは遠くに行っちゃったんじゃないの?」
「パパはね、遠くへ行く前に忘れ物を置きに来たんだ。ほら、五歳のお誕生日ケーキ。これを渡し忘れててね。トイレ、行ってきな。ギリギリなんだろう?」
 うん!と嬉しそうに頷いてその女の子はトイレへ駆け出して行った。奥さんはまだ怖がっているようだ。
「あなた、これは夢…?お葬式もして、お墓に入ったばかりなのに、どうしてこうやって私の前に…?」
「詳しい事を話している時間は無いが、簡単に言うとケーキ渡せなかった未練が残って途方に暮れていた時、親切な方がここまで連れてきてくれた。俺はもう行く。娘の事は頼む。」
「あなた…っ!」
 夫婦で抱き合った。するとトイレの方から「トイレットペーパーが無いから持ってきてー!」と無邪気な声が聞こえてきた。
「最後まで冷たいのね…。でもありがとう。あの子も喜ぶわ。天国から見守っててちょうだい。いつになるか分からないけど、また一緒に過ごしましょうね。」
「あぁ、その時までさよならだ。遅くにありがとう。」

 事務所に戻った男の表情は清々しく、満足気だ。
「あぁ、優しきこの世の者ではない皆さんのお陰で心残りが無くなったよ。きっといつか家内も、娘もこちらへ来る。その時は向こうで幸せに過ごせるといいなぁ。ありがとうございました。」
「いーのいーの、これが僕たちのお仕事だから。あとはあっちでゆっくり休みなよ。お客様お帰りだよー。みんな集合!」
 次に玄関の扉が開かれた時、俺には見覚えのある川の畔が目の前を流れていた。男は深々と頭を下げ、川を渡って見えなくなった。
「これが俺たちの仕事か…。今回はすっきりした終わり方だったけど、こんなのばっかりだったらいいんだがな。」
 蜷局に語りかけると、「けッ」と言いながら頭を上げて俺と目線を合わせて吐き捨てた。
「あんなの、理想的のど真ん中じャ。あんなちッぽけな魂なぞ幾らでも来るわ。きっとアマタや小童のアヤは知らぬだろう、怨念に支配され彷徨う魂の執念深さを。そん時が来たらなァ、覚悟しとくんじャよォ。」

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