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ほろ酔いゲシュタルト 07

Before…

【七】

 コン介の強大な妖力を含ませた包帯の効き目は凄まじく、数日で傷は塞がり、まだ少し痛みはあるものの完治までそう時間はかからなそうだ。
「コン介ありがとう、もうすぐ傷は治りそうだ。凄いね。」
 コン介はえっへん、と胸を張って九本のしっぽを大きくふりふりしながらアヤの膝元で気持ちよさそうにしている。
「そりゃあね、仮にもがしゃくんと並ぶくらいの力はあるからね。それにこーゆーのは蜷局よりも得意だよ。」
「へッ、その娘が会いたがッていた老爺に会わせてやッたこと、忘れんなよォ九尾。」
 蜷局も負けじと胸を張るような仕草をしているが、きっとこれは拗ねているな。
「まぁまぁ。清さんに会えて、私本当に良かったよ。次会う時はカレー作ってくれるって。」
 アヤのナイスフォローで蜷局は機嫌を良くしたようだ。玄関へゆっくりと這っていった。見計らったように鈴が鳴る。扉の向こうには、全身がびしゃびしゃに濡れたおばあさんが立っていた。アヤが駆け寄る。
「ずぶ濡れじゃないですか!着替えお持ちしますね!中へどうぞ!」
 アヤが案内してくれている間に押し入れから白装束を取り出し、おばあさんに渡す。
「すみません、これしか無くて…。」
「いいんじゃよ、ワシは死んだからな。お似合いじゃよ。」
「そうですか…。とりあえず中でお茶でもしながら話を聞かせて下さい。和菓子と洋菓子、どちらがいいですか?」
 おばあさんは着替えた後も、どこか寂しげだ。
「我儘をひとつ、聞いてはくれんじゃろうか。」
「構いませんよ。ご要望は?」
「ああ、いや、その前にお話をしようかね。頭がぼーっとしてしまう前に。」

 三食団子に煎茶を用意してお茶会が始まった。おばあさんは妖怪コンビが気に入ったようだった。
「狐に蛇、かいな。昔を思い出すねぇ。田舎生まれでね、よく野良狐を見かけたものじゃよ。蛇とはよく遊んでおった。道端で干乾びそうになってる可哀想な子を川へ投げてやったこともあったのぅ。」
 桃色のお団子をひとつゆっくりと食べながら回想に耽るおばあさん。蜷局が珍しく、ぺこりとおばあさんにお礼を言った。
「我が同胞の命を救ッてくれたとは。我輩は蜷局と申す。この蜷局、貴殿の望みを叶えられるよう尽力致す事を約束しよう。貴殿の後悔についても語ッては貰えぬか?」
 おほほ、とおばあさんが昔話を始めてくれた。

「私にゃ一人息子がいた。」
「手厳しく育ててな、よく雷を落として泣かしてしもうたよ。主人は優しくてな。お父さんっ子じゃった。」
「だが若くして主人は先に旅立ってしまった。あの子が十七の時じゃった。ワシは愛の鞭を振るう事は出来ても、愛の飴の与え方については無知極まりなかった。」
「息子は高校を出てすぐに家を飛び出していった。ワシは一人になって、何年経ったじゃろうかね。突然息子が帰ってきたんじゃ。」
「借金をしこたま作ってな。じゃがワシには鞭を振るう方法も思い出せず、ええんじゃよ、今まですまなかったねと言って貯蓄を全部渡して借金を返させた。これしか今までの償いをする方法が分からなったのじゃ。」
「じきに頭がぼーっとすることが増えてきてしまった。」
「息子は仕事にも恵まれず、時折取っ払いの日雇いで少ない日銭を貰っては何とかその日を繋げていた。」
「じゃがな、息子がしでかしてしまった。引っ越しの手伝いに行った時に家具を壊してしまってな。なけなしの残ったお金で弁償したが、そこで人望を失って仕事にありつけなくなってしまったんじゃよ。これは今思い出したことじゃがな。」
「ワシはどんどんものが考えられなくなってなぁ。夜あてもなくふらふらしてしまったり、朝から僅かな食材を全て使って料理を作ろうとしたり、冷凍庫を開けたまんまにして中身を腐らしてしまったりのぅ…。」
「食料も底をつき、家の電気も点かなくなった。夜の川辺の土手道を二人で歩いておった。」
「あの子が言ったんじゃ。もう、生きられないと。その時な、ずーっとろくすっぽ働かなんだ頭が急に考えられるようになったんじゃよ。ワシがここまで迷惑を掛けてあの子を追い込んでしまったと。」
「もう嫌だ、終わりにしたい。あの子の言う事を叶えてやりたかった。ごめんなぁ、と言ってワシは川に飛び込んだ。この老体で泳げるはずも無い。ワシは死んだ。」
「じゃが、残したあの子が心配でな。ここに来てからすごく頭がよく働く。あの子ともう一度、この冴えた頭で話をしたい。」

 緑色の団子を食べ終えて、冷めたお茶を飲み干すおばあさん。
「ほほっ、ばばぁの昔話に付き合わせて悪かったの。お嬢さん、美味しいお茶にお菓子じゃったよ。ではな。」
 アヤは感極まって泣いている。立ち去ろうとするおばあさんの手を、優しく握って引き留めた。
「申し遅れました。俺はこの事務所の主にして蜷局の使いであり使い主のアマタと申します。おばあさん、行く前に奥の部屋にある箱を開けて下さい。そこにきっと、後悔を払拭できるものがあります。」
 箱を開くと、小さな鍋とタッパーにじゃがいも、玉ねぎ、にんじん、そして見るからに新鮮なお肉が入っていた。
「ほほほっ、そういう事かいな。粋な事務所じゃのう、ありがとうなアマタさん。調理場を借りてもよいじゃろうか?」
 ゆっくりと一同でおばあさんを見守った。じきに空腹を感じさせるような優しく美味しそうな香りが漂い始めた。おばあさんは鍋の中身をタッパーに移して戻ってきた。
「あの子はワシの肉じゃがを大層気に入ってくれててな。感謝するよ。あの子には会えるのかい?」
「えぇ、こちらへ。」

 開かれた扉の出口は橋の上だった。欄干に上る男がいる。
「だめだよ!!!」
 アヤが駆け出し、俺も後に続いたが、アヤが伸ばした手は届かず男は飛び降りてしまった。アヤは迷いなく後を追った。そして、俺も。
 アヤの手が男の足首を掴み、アヤの身体を俺が捕まえた。そして俺の腰回りに蜷局が巻き付き、何とか男が遠くに見えた水面へと沈むことを防げた。蜷局が引き上げてくれたが、まさに呆然自失という言葉が相応しい様子で男は我々を見る。
「こんな化物たちに囲まれるなんて…。僕はこれから死のうと思ったのに。既にもう死んでたんですか?」
「死んでなぞ、なか。」
 真っ先に返事をしたのは蜷局だった。
「なァ、どうせ死ぬならその前に我輩の話を聞けェ。早かれ遅かれ命を投げ捨てるんじャろ?ならその前に会わせたい人間がいる。その方と話をしてから、気が変わらんのなら身投げでも何でも好きにせィ。」
 遅れて、おばあさんがタッパーと割り箸を持ってやってきた。
「お、お袋…?」
 おばあさんはにっこりと微笑み、対照的な厳しい言葉を愛しの息子に返してあげた。
「この馬鹿者!ワシが言えた義理じゃあないが、ワシの恩人に迷惑掛けんでないよ!ワシの所へ来るにはまだ早い。ワシと同じ歳になるまで生きてみんかい、ワシが頑丈に産んだ子なんじゃから。これでも食え。」
 タッパーに入れた肉じゃがからは、できたてのいい香りと湯気が立ち上っている。男は両手を合わせて「いただきます」と言い、あっという間に完食した。その肉じゃがにはきっと、おばあさんがずっと知らなかった愛の飴があったのだろう。男は食べ終える少し前からずっと泣いていた。
「ごめんなぁ、ワシがもう少ししっかりしておったらお前に苦労を掛けんで済んだのに。何なら、昔からこうやってもっと優しくしてあげられたらってさっき思うたよ。ワシの所へはいつでもおいで。だけど一つでもお天道様に背くような真似したら承知せんぞ!」
「えぐ、ふぐっ…。お袋、俺こそすまねぇ。俺だってもっとしっかりしてなきゃいけなかった。久し振りに食ったお袋の肉じゃがだ。お袋はおっかなかったけど、肉じゃがの味はずっと優しかったから大好きだったんだ。もう少し待っててくれ。今度は褒められるようになってから顔出すよ。」

 夜も深まり、男は我々に深々とお礼をして背を向けた。その時、橋の向こうにふらふらと歩く老人がいた。男はこちらをちらっと見てから老人に駆け寄った。
「大丈夫ですか?家はこの辺りですか?」
 その先を見送る前に、おばあさんに連れられて事務所へ戻った。
「蜷局さん、そして皆さん。ありがとうね。あの子と過ごすにはまだ早かったから良かったよ、ほほっ。あっちで待っとるわ。肉じゃが沢山作ったからね、皆も食べておくれ。ではの、お世話になりました。」

 おばあさんが去った後、皆で残った肉じゃがを温め直して食べた。
 俺とアヤは食べていくうちに、あの息子さんと同じように涙が込み上げてしまい、完食するのにとても時間がかかってしまった。優しさに包まれた味がする肉じゃがだった。

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