「やりたくない」を聞き漏らさない

一人でいる時に心から湧き出てくる「やりたくない」という言葉をちゃんと大事にしてあげないといけない.

「やりたくない」は本心である場合が多い.
心からの本当の声である場合が多い.
今やっていることは「何かが違う」と心=身体が教えてくれているサインだ.

逆に「やりたい」はまやかしである場合が多い.
教育の成果物である近代人は,義務感を標準装備している.内なる教師,親を心に飼っている.
そして義務というのは意欲の唯一の形であると信じ込まされている.
わかりやすく言うと,元々他者から言われた「〜すべき」を自分の心が発する「〜したい」だと信じ込むほどに教育=洗脳されているということだ.
これを泉谷閑示先生は「義務が意欲に偽装している」と表現している.

だから,「やりたい」にはまともに取り合わない方がいい.
そして,「やりたくない」を聞き漏らさないようにする.

だから,いろんな選択肢を自分に問いかけ,嫌なら嫌とはっきり言う癖をつけると良い.
そのためには頭の中にいろいろな選択肢を用意しておく必要がある.
よく言われることだが,自立とは多くのものに依存することだ.
分散しておくことでリスクが減る.
家で寝そべりながらでもできることを,頭の中に何個も用意しておく.
その時に大事なのが,いろんなタイプのものを用意しておくこと.選択肢に振れ幅を持たせておくこと.
そしてそれを自分に順次提案していく.
Aは?ーー嫌.
Bは?ーーやりたくない.
Cは?ーーやだ.
Dは?ーー無理.
Eは?ーーキツイ.
Fは?ーー気分が乗らない.
こんな感じ.

もし心が全ての選択肢を却下してきたとしてもこの行為は,自分が決定権を握っていることを確認することにもつながる.
自律性の感覚というやつ.
「誰かに言われたわけでもないのに何か姿の見えないものにやらされている気分」を薄める効果が期待される.
却下とはいえ主体が自分だから.
「やりたくない」って言っていいんだ,となる.

そして万一.あくまで万一だが,やりたくなさの中にかすかな「やりたさ」を感じたなら,それをやってみる.
ここで大事なのが,嫌な気分が少しでも顔を出したり,やらされている感じが少しでも出てきたら,即刻やめるということ.
そしてまた別のものを心に提案してみる.
それを繰り返す.

これができた時,少し解放された気分になる時がある.
気のせいかもしれないけど,でも方向は間違ってないと思う.

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