最近ビビッと来た言葉。【人生は移動距離で決まる】
人生は移動距離で決まる。
最近読んだ本に書かれた一言。
久しぶりに衝撃が走った言葉。
よく、チャレンジしようとかその場を離れる勇気を持とうとか言ってきたが、「人生は移動距離で決まる。」は言いたかったことを端的に表現されていて気持ち良かった。
移動距離で決まるとはどういうことなのか?
移動距離の短い狭い世界
地方のコンビニでたむろしている一般的に不良といわれる子たちはどうだろう。
いつものメンバーでいつもの場所でいつも同じようなことを話している、と思われる。
いつもと同じ生活だと単純に移動距離が決まってくる。
そうなると行動半径がほとんど変わらず、
見える景色も、付き合う人間もほぼ変わらないということになる。
単純に刺激が少なくなり、
感性もにぶり、
新しいインプットの機会が減って、
自身の成長という部分にあまり期待できなくなる。
安定、という部分においては悪いことではないし、
とても大切でもあるのだけれども、
自ら成長を手放すというのはもったいない。
特に若いうちは。
自分を守るため、
正当化するために変化を恐れて、
人と群れて強がって、
狭い、制限された、
偏った世界観の中に身を置いて自分を納得させるのは、
非常にもったいないことだ。
いま、若い世代の選手たちに言いたいことはこれに尽きる。
先輩方からしたら
私自身も若いと言われるのかもしれないが、
その想いを忘れずにいきたいと強く思う。
移動距離が長い世界とは
初めて沖縄を離れて東京に来た時、すごい世界だなと思った。
初めてヨーロッパ(スイス)に行った時、すごい世界だなと思った。
初めて海外リーグでプレイした時、すごい世界だなと思った。
初めて日本代表として試合をした時、すごい世界だなと思った。
初めての体験をし、違いを感じること、
違いを認識することがこれまでの思考半径を広げる。
初めてのことを体験しただけでは、経験にならない。
体験して、感情を持ち思考をめぐらし合わせることで、
初めて経験となる。
馬に乗ったという乗馬体験だけではひとつの思い出になってしまう。
馬に乗ったという体験に、
馬上での振動や馬の毛並み、
まつ毛の長さ、視点の違いなどをその時に感じて考えるからこそ、
その乗馬は経験になる。
最初はうまく乗れなかったけれど、
次第に乗れるようになったという過程そのものが経験にある。
その場を離れる勇気
もっとも簡単に自分に変化をもたらす方法は、環境を変えることだと思う。
簡単に安定を捨てて何でもかんでもやってみよ、というのではない。
一見して飽き性で忍耐がないと思われかねない。
ただ、自分で自分のことを好きにもなれず、
鏡に映っている自分に納得できないのであれば、
それはその環境が合っていないのかもしれない。
私自身、日本の実業団をやめるという決断をしたのは、
トイレだった。
練習前のトイレの鏡に映った自分の顔が
自分でも信じられないほどに暗くてよどんでいて、
とても自分の思い描く自分ではなかった。
「こんな顔してスポーツを好きになろうとか言ってんのか」
「こんな顔をしている自分を応援してくれる人いるのか」
「こんな顔してるくせに子どもたちの前に立てるのか」
「こんな顔を未来の我が子に見せたくはない」
そんな風に考えて、その場を離れるということを決めた。
そのおかげで、それまでになかった世界を見たし、
体感したし、経験したし、つながった。
当時はしんどかったことしかないが、
振り返ったら、その経験のおかげで今がある、と言い切れる。
あのときその場を離れる勇気が少しだけあって、
本当に良かった。
まとめ
狭い世界の中でしか生きていないのであれば、
それが基準になるし、その価値観でしか考えることができない。
自分の行動半径を広げて、
それに伴い思考半径を広げていくことが、
人生を豊かにしていくだろうし、
出会いもたくさん生まれる。
少しだけ寄り道して、
少しだけ遠出して、
少しだけ勇気を出して、
自分のコンフォートゾーンを出て、
【動いて】行きたいと思う。
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