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第7回 教員から研究者へ。「教える人」を支える研究で未来を創る(前編)

今井 彩さん(明星大学通信制大学院 博士後期課程在学中)

 その知らせに、通信教育事務室のスタッフは衝撃を受けた――本大学院生の研究が、日本学術振興会 令和6年度『特別研究員奨励賞のDC2※』に採択されたというからだ。日本学術振興会は、文部科学省所管の独立行政法人であり、学術の振興を目的とする我が国唯一の独立した資金配分機関(ファンディングエージェンシー)。『特別研究員奨励賞』は、優れた若手研究者の活動を支援するため初期の研究費を補助しようとするものだ。採択された学生は、明星大学通信制大学院の博士後期課程に在籍する今井彩(いまいあや)さん。奨励賞一覧には、名だたる大学院の名前が並ぶ。その中で通信制大学院に在籍するのは、彼女ただ一人だった。

 ソフトボールの日本代表選手を夢見た少女が、特別支援学校の教員となり、障害者教育の研究者の一歩を踏み出すまでの軌跡をたどりながら、彼女が描く未来とは何かを聞いた。

※DC2は、採択されると博士後期課程2年間の研究費の支援が受けられる。他にPD、DC1がある。

<参考>日本学術振興会Webサイト(https://www.jsps.go.jp/
制度の概要
DC2令和6年度特別研究員採用者一覧(PDF)※今井さんはP8に掲載
※それぞれ日本学術振興会のWebサイト内にリンクしています


教員を支える研究

 『軽度知的障害生徒の進路決定プロセスから検討するキャリア教育のあり方』が、今回、採択された今井さんのテーマだ。特別支援学校の高等部で行われるキャリア支援(就労支援)は、産業現場などで現場実習を行い、生徒と企業の相性を見守りながら就労先を決定していく。教員は生徒の向き不向きを見極め、生徒自らもそれに気づけるように、「ここでやっていける」と自信を持てるように、指導を行う。

 しかし教員たちは日々奮闘しながらも、そこには特別支援学校ならではの指導の難しさが存在する。教員の経験則に頼った指導で生徒に不利益が生じてしまうことや、教員が指導の悩みを抱えたまま解決への手がかりを見いだせない場合も。そうした現場の状況を丁寧に拾い上げ、教員の進路指導力の向上につなげようとするのが、今回採択された今井さんの研究だ。

大学時代の「教える経験」が研究の原点に

 研究の原点は、大学時代の『教える経験』にさかのぼる。ソフトボールの選手として「いつかは実業団に入って活躍したい」と、日々白球を追いかけていた今井さん。大学でもプレーを極めようと進学先を検討していた矢先、国体に向けた外部指導者として秋田を訪れていた田中知美コーチ(現:高橋知美)から「富士大学(岩手県花巻市)で部を新設するから来ないか」とスカウトを受ける。全国の強豪校など他大学も進学先として検討していたが、より多くの試合経験が積める環境での成長を目指し、富士大学へ入学。
大学では自分のプレーを極めることだけでなく、小中学生向けのソフトボール教室などで『教える』多くの機会に恵まれた。『人に何かを教える』というベースを培ったのは、ここでの体験からだ。


大学時代の試合中の様子

 「大学時代の監督やコーチは、選手の性格や体の使い方や癖、今までの経験等あらゆることを加味して、型にはめることなく各々の持ち味やよさを発揮できるように指導してくださいました。私も子どもにソフトボールを教えるときには、それぞれに合った教え方を意識して内容やメニューを工夫したり、子どもの年代の理解度に合わせた言葉を選ぶようにしたりと、自分なりに試行錯誤して『教える』ことと向き合っていたように思います」。

 その経験もあり、ソフトボールを教えられる教員になりたいと中学・高等学校の教諭免許状を取得。国体の強化指定選手に選出されたことから、地元で教員として働きながら国体に向けた練習に取り組みたいと考えたが、目指す教員の採用枠は無く、空きのあった特別支援学校の教員になる。これが大きな転機となった。

2007年「秋田わか杉国体」開会式の様子(今井さん写真中央)

 「それまで教育実習以外で障害のある生徒と接する経験がほぼ無く、未知の世界に飛び込むという感じでした。けれども不安よりも好奇心が勝っていました。特別支援教育は、大学時代繰り返しソフトボールを通して取り組んできた『一人ひとりのニーズに応じた指導で、子どもの可能性や良さを伸ばす』という点で共通していたので飛び込めたのだと思います」。
教科書の内容を教えるだけではなく、一人ひとりがよりよく生きていくための学びをプログラムできる特別支援学校での教員生活に、大きなやりがいと魅力を感じていたという今井さん。同僚の先生方も、彼女の持ち味が活かされるよう見守ってくれていたという。

この指導で合っているのだろうか。その答えを求め「学ぶこと」を決意

 「とにかく特別支援学校の子どもたちと過ごす毎日が楽しかった」という今井さんは、採用4年目に高等部の職業学科に配属となる。現研究テーマにつながる生徒のキャリア支援を行う場所だ。ここでは生徒の企業就労100%をめざし、生徒たちが社会の一員として羽ばたけるような教育が求められる。彼女もこれまでと同様に生徒の幸せを願い、情熱をもって指導にあたっていたが、次第に自身の取り組みに疑問を抱くようになる。

 「どうやって生徒を社会に適応させようかとか、社会に求められる基準に生徒を合わせるにはどうしようかと、教員側の考えや価値観を押しつけているのではないかと思い始め、『この指導は的を射ているのだろうか』と、自分の指導に懐疑的になりました。悩みましたが、その答えを求めるためには、“学ぶしかない” と思いました。教育を学び、研究を通して視野を広げ、物事の本質を捉え、自分の疑問を明らかにし専門性を高めたいと考えたのです」。

職業科に所属しているときの授業中の様子

 そんな想いに応えるかのようにチャンスは巡ってきた。秋田大学付属の特別支援学校へ異動した際に、推薦枠で秋田大学教職大学院に入学できることになったのだ。臨床心理士やスクールカウンセラーの経歴を持ち、職業リハビリテーションを専門に障害者の就労支援に関わってきた前原和明(まえばらかずあき)教授の下で指導を受けながら学んだ2年間。自身の研究に加え、教員の業務や学校内の研究部の活動と多忙を極めたが、自分が本当に探究したいものは何か、を考えるターニングポイントになった。

 そこで彼女が見出した答えは、『教育現場の “外側” から教育について考え、より広く世界を捉えられるようになりたい』だった。それを実現すべく、修士課程修了後は明星大学大学院 通信教育部 博士後期課程へ進むことを決意。同時に教員を辞することを決めた。「研究したことをできるだけ多くの人に還元したいと考え、教員を辞めて研究に専念することにしました。明星大学大学院を選んだ決め手は、特別支援教育を専門とする島田博祐(しまだひろすけ)教授の下で研究したかったから。さらに自分の研究に協力してくださるたくさんの方がいる『秋田』の地で研究を続けたかったので、通信教育で学ぶことを選択しました」。通信教育で学ぶ不安は全く無かったという。

教職大学院の卒業式後撮影
指導教員の前原先生と、同じく指導教員で附属特別支援学校の校長だった藤井慶博先生と

研究に専念するためにDC2に応募

 明星大学大学院への入学決定後、日本学術振興会特別研究員奨励賞(以下DC2と記載)の応募準備をスタートする。教員を退くと決め、学業と研究に専念できる環境を整えたいと考えたからだ。「DC2の存在は、いつも応援してくださる大学教員の方から教えていただきました。まずは申請のノウハウ本を徹底的に読みこみ、研究計画書の作成に取り掛かりました。さらに過去・現在・未来の3方向にわたり自身の想いや考え、行動等を整理した自己分析シートを作成。今まで教員生活の中で行ってきた研究実績や受賞した教育論文に加え、秋田県を研究フィールドにする具体的な理由と実績も記載しました」。

 「教員として現場にいるときに積み重ねてきた経験や想い、今もっている問いと、何を明らかにしていきたいのかということを、研究計画に表したことが、『研究の遂行力がある』と評価されたのだと思います。また障害者の研究分野は、定量的な研究が多い中、私の研究は定性的な側面が多く、『新規性』という点もあったのだと思います」。

 応募のための書類作成はさぞや大変だったと思うが、今井さんに言わせれば、それよりも教員時代に遭遇した現場でのさまざまな出来事の方が、遥かに『大変』だったそうだ。そう感じるのは、彼女が常に生徒や保護者と真摯に向き合い、一つひとつ努力を重ねてきたからに他ならない。


①「学振採択に導いてくれた本です」
②・③「現在の研究の分析方法として取り入れているTEAとTEAの要素の1つであるTEMに関する書籍です。このTEAについては、教職大学院時代に前原先生からご紹介いただきました」
④「佐伯先生の『「学び」の構造』は教育におけるバイブルにしています。原点回帰のための本です」



 特別支援学校の教員として重ねてきた経験を、未来に活かそうと研究者へ転身した今井さん。その研究の内容やプロセスはどんなものなのでしょうか。後編では、今井さんの研究内容についてはもちろん、子育てやサッカー協会の活動などプライベートにわたるお話も伺います。