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1人だけを愛する人。1人だけを愛せない人。
「生涯、君だけを愛する。誓うよ。」
と、少女漫画で使い古されたような甘い台詞。現実では、こんなにスウィートな台詞は聞かないが、「恋人は1人」「結婚したら他に好きな人はつくらない」ということは、言うまでもなく常識だ。
恋愛は「タイミング」。それと、加えるなら「勢い」。
好きな人欲しいな~というタイミングで、そのような人が側におり、たまたま相手も同じように思っていて、たまたま一緒にいられる日程が抑えられ、たまたまその意志を伝えられるタイミングに恵まれた時、成立する。
と、私は思っている。
結婚も同様で、結婚したいって思ったタイミングで付き合ってた人がきっと結婚相手になっている。
「運命」とか、そんな胸キュンなカッコいいものではない。
それを言うならば「たまたま」の方がしっくりくるのではと思う。
というと、だいぶ冷めたやつだな?と思われそうだ。これは、選ばれない側にいる私のひねくれた経験のせいかもしれないが。笑
全てはタイミング。いくつものタイミングが成立しなければ恋愛は成立しない。では、タイミングが成立できなかった恋は、してはいけないものなのだろうか?
出会った時、相手には既に彼氏(彼女)がいた。
好きになってしまった。でも、自分は結婚した身だ。
でも、好きだ。
出会うタイミングがそれぞれ違ければ、彼らが結ばれる可能性はおおいにあったはずだ。しかし、タイミングが合わなかったために、この気持ちを恋とすること自体がはばかられる。同じ、誰かを好きなだけなのに。
「一人の人が一人の人のみを愛する。」という考え方が一般的なのは、そういう性分の人が大多数だからだろう。民主主義で大多数の意見が「正解」となる今日において、この理論を法律的に保証したカタチが「結婚」だ。
しかし、「人は誰かを好きになったらその人以外は好きにならない」ということが向いていない(というよりも、できない)人も、一方で存在している。
さらに、1人に絞る人が、途中で絞れない人になる可能性だってあるだろう。
人は経験や状況で変わる。変わるからこそ生きのびることができる。逆に、どうしても変わらない、変えられないこともある。
どちらに自分が当てはまるのか、はたまたそれ以外の選択肢なのか、今自分がそう思っている選択肢かこれからもそうなのか、確証はない。
そう思うと、付き合った後に、結婚した後に、もともと1人絞れない派だけでなく、一人に絞る派が心うつろう可能性は全然あるのでは、と思ったりする。そこから先の行動は、プライドや世間体、それに応じた理性による。
私は不倫賛成派では全くない。恋人にだって浮気されたくない。でも、それは、私の「感情」であって「正義」ではない。と思う。
人を恋する気持ちは自由だ。
付き合えないからって「その人を好きなことをやめなければいけない」なんて必要はない。
好きならば好きでいいじゃないか。
でも、世の中の「結婚」は、1人絞る派の大半の人のためにあるもので、そうじゃない1人絞れない派の人は「結婚」というカタチを取ってはいけない、とも思う。
一人絞る派に、一人絞れない派が合わせようとして、
「一人に絞ります!(結婚)」
と誓うことがいけないことで、一人絞る派も、絞れない人に
「私にあわせて絞って!!結婚して!」
って迫るのも、違う。
大切なのは、自分がどっちなのか、相手にちゃんと伝えること。そして、それが自分と異なった時に、お互いが傷つかない選択を取ること。
「浮気するなんて!ありえない!最低!!」と責め立てることや、「君に魅力がないから、他の人に目移りしちゃったんだ!」と正当化することは、お門違い。怒るなら、「どうしてそういう性分だと先に教えてくれなかったの!」か「なんで今なの、そっちのタイプだと気づいたの!!」ではないだろうか?
想う心は自由。想いに優劣はない。
ただし、行動は慎重に。相手が同じタイプだとは限らないから。
こんな、危険思想を書いている私だが、元は「浮気!?そんなの絶対許さない!!」「誰か一人に絞れないなんてそんなのおかしい!」と本気で思っていた人間である。やはり、人の心は変わるものなのだ。
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