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LGBTQ+

今の時代、LGBTQ +と言えば詳しい知識は無くとも大抵の人は”性別”についての言葉だと想像がつくはずだ。それくらいLGBTQ +というワードは世の中で広まっている。
にも関わらず、それが生活の中での”普通”に溶け込めるまでにはまだまだ難しいように見える。

かく云う自分もこの枠で言うとLGBTQ +の当事者である。


LGBTQ +という言葉、もしくは世界について知りたいという方は、分かりやすく説明をしてくれているサイトを以下に載せるので参考にしてみてほしい。

JOB Rainbow 


つい昨夜、当事者の友人とあるSNSのライブ配信でLGBTQ事情についてのトークをした。計1時間のライブの中で沢山の方々が観に来てくれ、常に70人程相手に自分達の自己紹介、性自認、経験、カミングアウト、恋愛などについて話をしていたのだが、観に来てくれていた人たちはとても温かかった。その中には当事者の方や、当事者ではなくとも理解やサポートを示してくれる(通称アライと呼ばれる)方々、がいて、とてもアットホームな時間を過ごさせていただいたと思っている。


そんな中で、自分のLGBTQ家族事情についても話しをさせていただいた。
(カミングアウトの場面について)


カミングアウトを家族にした時、どんな反応だったかというと”ショックを受けた様子”という言葉が当てはまると思う。それ以来、家族と恋愛について話すことはないし、ある意味タブーのような感じだ。


(勘違いを生むのも嫌なのでここで言わせていただきたいのは、自分は自身の家族の一員であることを誇りに思うし、自分も家族もお互いが大好きだ。また、自分の家庭ではLGBTQ自体に理解もある。また、その人たちを否定することもしないし嫌うこともない。けれど、ただ自分が同性のパートナーを持つということを受け入れるのが難しいのだ)。

それを話した時、観覧者の皆さんは温かい言葉をかけてくれた。もちろん終始温かい言葉をかけてくれたのは言うまでもなく本当に有り難いと思う。


反面、こんなことを話している自分に罪悪感を覚えた。なぜって、この自分が話している状況でみんなが味方になっていてくれている分、無意識のうちに自分の大切な家族にネガティブなイメージを与えてしまっているのではないかと感じたからだ。
人が人に感情移入をする時、移る感情はポジティブなものだけではない。ネガティブな感情も伝染する。例えば、ドラマなどでも大好きな主人公を傷つける、泣かせる、痛めつける相手には苛立ちや不信感、ネガティブな感情を覚えやすい。そんな感じだ。

自分の身の周りにいる皆さん、応援してくださる、いつでも温かく接してくれる方々には感謝をしてもしきれない。また自分も周りのみんなが大好きだ。

だからこそ自分の周りの人たちがお互いに敵対心や不信感を持つ、そんな結果を生み出してしまうような自己表現の仕方は避けたい。

とは言ってもなかなか難しい。人それぞれ感じ方や価値観、物事の受け取り方も全然違うからだ。時には自分が意図していない方向の印象を与えてしまう場合もある。


LGBTQの理解が広まる一方、LGBTQを理解できない、または頭では理解していても受け入れられない人たちは当然いる。けれど、それは悪いことなのか?と言うと、答えはもちろんノーだ。理解することを強要することは出来ないし、また理解を出来ないという人たちに対してネガティブな感情を持つこともナンセンスである(LGBTQを嫌う人たちがいること、世界のどこかで差別があることも承知の上だ)。
自分自身何気ない言葉や態度で傷ついたことも泣いたこともある。


けれど”理解する”という結果は経験や知識を通して得るもの。ステップを通して得るものだ。だからそのステップのどれかが欠けても”理解する”ということには繋がらないし、そのステップが欠けていることに対して責める、というのはまだハイハイしか出来ない赤ん坊に対して走れないことを怒っているようなものだ。


”LGBTQ+の理解が深まればいいな”、”当事者の人たちが悩んだり苦しんだりする必要のない世の中が来ればいいな”、そういったことを自分自身強く願う。けれど、そこを中心にしても物事は解決しない。難しいかもしれないが、当事者がLGBTQ +の理解を当事者以外の人たちに求めるならば、当事者側もその他の人たちについて理解する必要がある。なぜ彼らはこういった考え、発言をし、こういう風な物言いをするんだろう。。答えは意外とシンプルだったりする。


長くなってしまったが、言いたいことはただ一つ。

お互いがお互いをリスペクトし会える関係。それが愛を持って接するということ。
理解なんて出来なくてもこれさえ出来ればみんな幸せ。


ピースアウト




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