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めいみはどっちなの?

これはスポーツとジェンダー・セクシュアリティー研究をされていて実務家でもある野口あやさんと先日食事に行った時に聞かれた質問。

男が好きなのか?それとも女が好きなのか?

と聞かれたのではない。


Xとして活動していくのか?それとも女性として活動していくのか?

という質問だ。


私が好きなのは女性であり、今交際させてもらっている方も女性である。
(いわゆるLGBT)

それは絶対的な事実だ。

けれど、自分をどのように捉えていて、どのように今後活動していきたいのか?

この質問には答えられなかった。

漠然と何かの形で活動をしていきたいと思っていて、その方法について大先輩のあやさんに相談をさせてもらったのだが、活動以前に自分自身について考える必要があると分かった瞬間だった。

私の性自認の歴史

そもそもの話をすると、私は小さい頃は自分のことを男だと信じ、みじんも疑わなかった。おちんちんがなくても、そのうち生えてくるものだと真剣に考えていたのだ。そして小学生になり、おちんちんが生えてこないことを知ってからは、どうやってドラゴンボールを集め神龍に生やしてもらおうかと毎日考えていた。

がしかし、歳を重ねるごとに自分は女だと思い知らされ、世間からも女の子として扱われていくようになった。中学へ上がる際には制服というものも存在し、スカートを履くのも死ぬほど嫌だった。

けれど中学生の時入った女子チームには自分のような子たちが何人もいて安心感を抱いたのを今でも覚えている。男ではないけれど女でもない。だけど男みたいな。
そんな曖昧な立ち位置に慣れて時は過ぎていった。

そして20歳、単身アメリカへ留学。

みんな自分のことをshe(彼女)と呼ぶ。

当時は英語自体分かってなかったのでそのまますんなりsheを受け入れる。笑

向こうでは特に男扱いされることもなく、どちらかというと女扱い?だったかもしれないが特に気にはしなかった。なんとなく言葉でhe/sheって別れちゃってるからしょうがないか!と意味のわからない理論が自分の中で出来上がっていた。笑

そして時は過ぎ28歳。

今まで生きてきた中で手術を本気で考えたことは何度もあった。

最初はそれを出来ない状況にいたはずだったのだが、年月の経過と共に身体にメスを入れることへの倫理的な部分での抵抗にシフトしていった。


なのでつい最近まで、

女でいっか。身体女だし。生物学的に見たら自分女だもんな。

だとか知識人ぶって悟った風でいた。


めいみはどっちなの?

お前は誰だ?
お前は誰で何をしたいんだ?

という意味にもなるこの質問


答えに詰まった時、ある事実にハッとしたのだ。

もしかしたら自分は本当の自分を忘れていたのではないかと。

よくよく考えてみれば、小さい頃の性自認は完璧に男。

成長と共に世間の扱いによって本当の自分を忘れて

挙げ句の果てにはそれにさえ気付いていない。

マイネームを忘れた千と同じである。



めいみやばたん。


そして冒頭部分に戻ってあやさんから聞かれたあの質問。

めいみはどっちなの?


そもそも自分は男と思っていたけどどうでも良くなってる自分もいる。

だけど”ザ・女”という扱いはされたくない。

女性です。と名乗る自分に多少なりとも違和感もある。

そしてそこまでこだわっていない自分もいる。

男扱いされるのは嬉しい。

だけどあえて男の子扱いされるのは白々しいと感じてしまう。


多分それは自分が男にはなれないのを一番分かっているから。

手術をしても完璧な男にはならない。

アニメだとかドラマの世界のような奇跡は起こらない。

お前は千だと言い続けられて千尋という名前を忘れてしまうように

お前は女だというフレームを与えられ続けてきた自分は

いつの間にかその枠組みからの景色を見るようになってしまった。



さて、冒頭の質問に戻ろう

Xとして活動していくのか?それとも女性として活動していくのか?

ここまで書いていて気付いたのは、

自分の活動の形は”女性として”ではないということ


やはり自分はLGBTQ、世間でいうセクシュアルマイノリティーである。

その道の活動をして行こう。

改めて整理ができた。


自分の”性自認”というワードの見方についてはまた別の機会に。



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