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「努力の天才」でありたい。

こんにちは、hanaです。

私は、「超」がつくほどの負けず嫌いです。
小学校時代からひたすら1位にこだわり続け、1位が取れないと号泣し、全力で悔しがるところがありました。
そのため、小・中・高と勉強を中心に1位を取り続けました。

大学でも土壇場に火事場の馬鹿力を発揮しました。
テスト直前まで力が入らず、そんな自分に悩み、かなり苦しみましたが、大学院の最後の最後は1番をとって卒業できました。

これは、負けず嫌いだったのか?
それとも、超天才だったのか? 

私は、努力の天才を目指したからこそだったのではないかと思っています。

何もしないとクズ人間の私が前へ進めたのはなぜか。

大学でも、部活でも、バイト先でも、職場でも、言われ続けたのは、「超がつくほどの努力家」であるということ。

今回の記事を書くにあたって、自分なりに、努力をしていった過程や理由を考えてみました。
その要因を大別するなら、この4つなのかもしれません。

① 課題観・問題点を理解していた
② できない自分を許容しきらない。
③ とりあえず何でもやれることは試す
④ ある程度の割り切りを持ったこと

とはいえ、「当たり前のことを一生懸命に取り組んだ」のが一番でしょう。

それに、正直なことを言えば、努力家であるという自覚がありません。
学生時代、テストを解いているときは「きっと周りの人は私よりできている」と感じていました。
アルバイト時代も、社会人の今も、お客様の前にいるときは「皆、お客様対応はなぜあんなに上手いのだろう」と感じています。

かつては、何もなければ自分がいかに楽をして生きるかしか考えていませんでしたし、できることならずっと寝ていたい人間…つまりクズ人間でした笑

それに…残念ながら私は才能に恵まれず、単なる天才とは言えません。
そんな私が、なぜ「超がつくほどの努力家」と呼ばれるのでしょうか。
そこで自分なりの答えとして編み出したものが、「努力の天才」なのです。

努力の天才。

努力の天才。
まじめに、愚直に、ひたむきに取り組むこと。

「愚直」という言葉を入れておきながらはっきり申し上げますと、私は愚直という言葉は嫌いです(笑)
というのも、まっすぐ努力することというのは「愚かなこと」ではないと思うからです。

つまり、やり抜かなければいけない時は、その瞬間だけでも集中力を高める。
ということはとてもとても重要なことではないでしょうか。
今流行している言葉を借りるのならば、「全集中」なのかもしれません。


そして、大切なことはそれだけではありません。
「客観視して分析する」ということも一つ重要な要素ナノではないでしょうか。それは、自分の苦手が何なのか、どうしたら解決するのかということを客観的に見ることが出来たからだと思います。

「まずは試してみる」ことこそ最も大事なのではないでしょうか?

つまり、苦手なものを認識し、「どうにかしなきゃ!」と思えることもまた才能です。
認識をすることということが、実は難しいことなのかもしれません。

そこから、努力ができるかどうか。
そして、努力をきちんとできるかどうか。
当たり前のようだけれど、それを継続できるかどうか。
それが努力の天才である、と言えることなのだと思います。

見えていなかったポテンシャルに後で気付かされることもある。

物事、何においても投げ出したくなることはあるでしょう。

きっと、胃が痛くなるほどストレスを感じたり、その嫌なことを夢にまで見てしまったり、極限に達してしまうこともあるでしょう。

それでも、結局、喉元をすぎれば熱さを忘れてしまう。
なんだかんだ、乗り切れてしまった。と思うこともあるでしょう。
あるいは、乗り切った先に自分の見えていなかった自分に出会えることもあるでしょう。

まずは試してみること、そして自分の限界を決めつけないことで、「見えていなかったポテンシャル」に出会えると思います。
人は「私は出来ない」と暗示をかけ続けると限界は早くやってきてしまいます。
そのために必要なことは、精神論的な「自分を信じる」だけではないと思います。そう、「当たり前の基準を上げる」ことが大切です。

努力の天才の先に広がる「私」の可能性。

努力をし続けることは誰でもできることです。
そして、それを神がかったレベル、努力の天才として継続した結果、自分の新たなポテンシャルに出会った時、私達はどうしていけばよいのでしょうか。

そしてそのポテンシャルは、仕事に関連するものとは限らないでしょう。

何より、努力のベクトルは好きなことに向いても良いのです。

焦る必要も、恥じる必要もないでしょう。
仕事において使い物にならない。と決めつけてもいけないでしょう。

そもそも、普段仕事だけをしている自分に満足できるのでしょうか?
仕事の領域でのみ全力を注ぐ自分だけでいいのでしょうか?
他にも羽を広げることはあっていいことではないのでしょうか?

私は、努力の天才だから、仕事でも成功していく!ということを書きたいわけではありません。

こういった経験値の中で、敢えて際限を持たないことも重要なのではないかと思うのです。

目に見えた努力のわかりやすい一例である「スキルアップ」。
とても大切なことです。
それでも、スキルアップは仕事のためだけじゃなくても良いのではないでしょうか。

新しい楽器を始めること。
新しい言語を始めること。
Youtubeでの動画編集にチャレンジすること。
カフェで、コーヒーを飲みながら、街の人とギター片手に歌い、交流する。

仕事に直接関係していなくても、こんなにも豊かな人生はあります。
それが何か新たな輪を生み出し、可能性をもつないでいくのかもしれません。

目的と手段が逆にならない、努力の天才になりたい。
そして、noteに対しても努力を重ねていきたい、と常々思うのです。

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