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「マリー・ド・メディシスの王太子出産」ピーテル・パウル・ルーベンス作【ルーヴル美術館の名品150選】95

作品が語っているメッセージは何か?
世界屈指のコレクションを誇るルーヴル美術館。何万という作品中、絵画に注目、世界的に有名な作品群のうち「意味を読み解く」観点から面白い150の作品を厳選。
人物は?場面は?出典は?意味深なディテールが語っているものは?作品に隠されたメッセージを読み解きます。

*ピーテル・パウル・ルーベンス作 連作「マリー・ド・メディシスの生涯」(1622-1625年)(後半)*

*ピーテル・パウル・ルーベンス作 連作「マリー・ド・メディシスの生涯」、1622-1625年、北方絵画部門、リシュリュー翼 ©2011 Matt Biddulph (CC BY-SA2.0)

【名品88から101】はルーヴル美術館の至宝、ルーベンスの最高傑作。
全24枚の大型絵画からなる一大作品。
ここから写真右側、物語の後半部分を解説する。

左上:©2011 Matt Biddulph (CC BY-SA2.0)
右上:レオナルド・ダ・ヴィンチ作「モナリザ」、1503-1519年頃、0.77×0.53m、イタリア絵画部門、ドゥノン翼
下:©2010 Benh LIEU SONG (CC BY-SA 3.0)

まずは、ここまでの振り返りからはじめよう
ルーベンスの傑作、この連作「マリー・ド・メディシスの生涯」は、「モナリザ」がある「ドゥノン翼」の反対側、ルーヴル美術館の「リシュリュー翼」に展示されており、重要作品が満載の「北方絵画部門」の中で、最大の目玉作品となっている。

全24枚、全て大型の絵画からなる一大作品。
内容は、フランスの王太后マリー・ド・メディシス(1575-1642年)の「栄光の生涯を讃える」というもの。

上:©2010 JPLC (CC BY-SA 3.0)
下中央:©2018 Arthur Weidmann (CC BY-SA 2.0)
下右:©2010 Benh LIEU SONG (CC BY-SA 3.0)

この連作が置かれていたのはこちらの宮殿:マリー・ド・メディシスの離宮であった「リュクサンブール宮」であった。
マリー・ド・メディシスはこの離宮を当時王宮であったルーヴル宮のセーヌ川をはさんだ対岸に建てさせる。
ここには今日、フランスの上院議会が入っている。
連作は、上にご覧いただいている写真の、向かって左の棟(むね)の中にある、大階段を上がった2階部分に置かれていた。
ルーヴル美術館ではもともと飾られていた様子をイメージして、展示スペースが作られている。

ルーベンス作「マリー・ド・メディシスの縁談」、1622-1625年、INV1772、3.94×2.95m、北方絵画部門、リシュリュー翼

連作の主人公マリー・ド・メディシスは、フランス国王アンリ4世(在位:1589-1610年)の王妃
アンリ4世は、フランスの五番目の王朝「ブルボン王朝」の初代の王で、「フランスで最も愛された国王」と言われた人物。

フィリップ・ド・シャンペーニュ作「勝利の女神に冠を授けられるルイ13世」、1635年、INV1135、2.2×1.7m、シュリー翼

マリー・ド・メディシスの夫が、アンリ4世で、息子がルイ13世(在位:1610-1643年)。
連作は、前半が夫アンリ4世の死までを物語り、後半が息子ルイ13世との話という構成になっている。

ルーベンス作「マリー・ド・メディシスの肖像」、1622-1625年、INV1792、2.76×1.49m、リシュリュー翼
ルーベンス作「フランソワ・ド・メディシス1世」、1622-1625年、パリ、ルーヴル美術館、INV1790、2.47×1.16m
「カトリーヌ・ド・メディシス」、1580年頃、パリ、ルーヴル美術館、INV3276、30×25cm

マリー・ド・メディシスの系譜がこちら。
マリー・ド・メディシスは、イタリアの名家メディチ家の出身。
フィレンツェ・ルネサンスの立役者として有名なのが、メディチ家の本家筋。
メディチ家はまず共和国フィレンツェの「事実上の支配者」となり、そしてフィレンツェとその周辺「トスカナ地方」を領地とする、貴族「トスカナ大公」となった。
初代トスカナ大公がコジモ1世(在位:1569-1574年)で、コジモ1世はメディチ家の分家の系統から出ている。
マリー・ド・メディシスの父はコジモ1世の息子で、第二代トスカナ大公(在位:1574-1587年)。

マリー・ド・メディシスは、メディチ家が輩出した二人目のフランス王妃。
一人目はカトリーヌ・ド・メディシス(1519-1589年)。
この人は「偉大なるロレンツォ(ロレンツォ・イル・マニフィコ)」の孫にあたり、アンリ4世の前の王朝のアンリ2世(在位:1547-1559年)に嫁いだ。

さて貴族としては歴史の浅いメディチ家と、長い歴史を誇るフランス王家では、家柄の格が全然違う。
「一族からフランス王妃を輩出する」ということは、メディチ家にとっては家柄の格を大きく引き上げる、極めて重要なことであった。

連作は、矢印の方向に進む。
前回は、連作の折り返し地点にあたる、連作最大のクライマックス、正面の場面までをご覧いただいた【名品95】。
ここから右側の場面を見ていく。

◆前半:マリー・ド・メディシスの誕生、結婚、夫の死まで◆

では、振り返りをしよう。
ここまではこれらの場面に焦点を当てた
一枚目が、「マリー・ド・メディシスの肖像」【名品88】。
マリー・ド・メディシスを、女神とフランスの擬人像の姿で描く。

続いてが、「マリー・ド・メディシスの誕生」【名品89】。
出産の女神が、フィレンツェの擬人像に、赤ん坊のマリー・ド・メディシスを渡す。

次が「マリー・ド・メディシスの教育」【名品90】。
少女時代のマリー・ド・メディシスが、神々から様々な才能を与えられる。

次が「マリー・ド・メディシスの縁談」【名品91】。
マリー・ド・メディシスの肖像画がフランス国王アンリ4世に示される。

続いてが「マリー・ド・メディシスのフランス入国」【名品92】。
船でイタリアを発ったマリー・ド・メディシスが、南フランス、マルセイユに上陸する。

次が「王との対面」【名品93】。
マリー・ド・メディシスは夫アンリ4世と、南フランス、リヨンの地で始めて対面する。
ここでは、王とマリー・ド・メディシスは、神々の王と王妃になぞらえられる。

そして次が「王の死とマリー・ド・メディシスの摂政就任」【名品94】。
左半分が、アンリ4世が神々に天に上げられるところを描き、右半分が、マリー・ド・メディシスが幼い王の摂政として国の政治の実権を委ねられるところを描く。

ここまでが、夫アンリ4世との関係。
後半は、息子ルイ13世との関係。
では、後半部分を見ていくことにしよう 。

■ルーベンス作「マリー・ド・メディシスの王太子出産」(1622-1625年)

「マリー・ド・メディシスの王太子出産」、1622-1625年、INV1776、3.94×2.95m、北方絵画部門、リシュリュー翼

その前に少し遡り、こちらの場面から、ご紹介をすることにしよう。
こちらは厳密には前回までの範囲である、前半部分の一枚。
こちらはマリー・ド・メディシスが、後半第二の主役であるルイ13世を出産したという場面。
マリー・ド・メディシスの、視線の先にいる赤ん坊が後のフランス国王ルイ13世。

フランスに実に40年ぶりに生まれた「生まれながらの王位継承者」。
世の中に安定がもたらされる、ということ。
花かごに、この後生まれる子供たち。
主人公がたくさん子供を産み、
王妃の務めを立派に果たしたことが示されます
 。

◆王太子出産◆

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