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友達の輪広がる

昨晩、娘と話していて、娘の口からうれしいことが聞かれました。

娘は小学6年生、数週間後に修学旅行へ行くのですが、クラスで班決めをして日中行動する班と、夜寝室をともにする班が決められたようです。

どのように決められたか聞いたところ、修学旅行実行委員という人たちがいてその人たちが決めたそうです。

日中行動する班は、ベストフレンドとも一緒で他にも仲良しの女子と一緒になれたと言うんです。

小学校6年生のクラスになり、女子のお友達も増えてうれしい、とても楽しいんだ」って言ってきたんです。

私も、とても嬉しい気持ちになりました。それは私が今までずっと心配していた部分、娘の友だちに「女子」が少ないという部分を申し訳ないと思っていました。

娘は幼稚園に入園して、ベストフレンドのYちゃんと知り合うのですが、
Yちゃんはご近所、Yちゃんのママと私がとても仲良くなり、ずっと仲良くさせてもらってるんです。

Yちゃんは3人姉妹の真ん中で、一緒に遊びに行くときは、上のお姉ちゃんが小学生時代までは3人ずっと一緒でした。一人っ子の娘は3姉妹は憧れのようで「うちの3姉妹」という漫画をYoutubeでずっと見ていて、自分は3姉妹のママになるんだって言ってました。

幼稚園の年長でアメリカに引っ越して、アメリカの小学校の中にある、幼稚園から通うようになるのですが、私は2度めの渡米で同じ場所の引っ越しでしたので、すでに現地に住む、日本人のお友達も数人いたので、どこの学区が良いか予めメールで聞いてから、家探しをしました。

せっかく、アメリカに住むという機会なのだから、日本人の少ない学区を選びました。

月〜金曜日まで通っていた、現地校、学年に数人の日本人の子はいたのですが、幼稚園〜2年生まではクラスに日本人の子がいませんでした。

渡米するまで、娘には英語の勉強をさせていませんでしたので、まったく何も話せない状態でのスタート、このことは少し後悔していて、ちょっとした会話くらいは教えておいた方が良かったかもしれません。

渡米数年後に娘が「ママが教えてくれなかったから、世界中の人は日本語を使っていると思っていた、いきなり英語だらけの世界になってしまった時はとても驚いた」と笑って言ってました。

学校の方はとても楽しく通ってくれて、毎朝スクールバスがアパートに来るのですが、娘が先頭でバスに乗車したいと言い、私達親子はいつも、1番くらいにバス停にいました。

アメリカの小学校にも、年に1回、個人面談というものがあります。
そこで私が先生にする質問は「娘には友達はいますか?」というものでした。

特定の人ではないけれど、誰かとは常に一緒にいて遊んでいると」との答えが多かったです。

でも、その遊び相手はずっと男子でした。

小学校2年生のクラスの時は、女子の輪には入れないって娘は言ってました。

私は娘がアメリカの学校に入学してから、アパートの日本人のママさんと一緒に月2回、ランチボランティアというものにずっと参加していました。

子どもたちのランチの時間に学校に行って、子供たちが食べ終わったあとのテーブルを拭く仕事です。娘がクラスメイトと一緒にランチを食べている様子もわかって良かったです。その時は、女の子の友達とも一緒に楽しくランチを食べているように見受けられました。

私、ある日、私が午前中に通っていた英語教室で一緒になり仲良くなった日本人のママさんに授業後の駐車場で聞いてみたことがあったんです。

そのママさんにも、娘より3歳年上の一人っ子の娘さんがいました。
ご主人の仕事でアメリカには来られていて、渡米時期も娘と同じ幼稚園の頃でした。

うちの娘には、女の子の友達がいないのですが、娘さんの今までの交友関係はどうですか?」って聞いてみたんです。

そしたら、「うちの娘も同じ感じだったよ、アメリカの女の子も、幼い頃からお喋りは活発だから、英語が話せないとコミュニケーションがとれないので、男子といるほうが言葉もあまり使わないから楽なんだと思う。英語が話せるようになれば友達の輪も広がると思うよ」って言われたんです。

私、この時、娘をアメリカに連れて来てしまったことは、娘が日本でそのまま生活していたら、できていた女子との交友関係を奪ってしまったのではないかと強く思い後悔しました。

アメリカに家族で引っ越した理由は、娘がパパと一緒に暮らしたいと言いだしたからです。私は、2回めのアメリカ転勤ということもあり、何年の滞在かなんていうのもわからないので、幼稚園の卒園は日本でしたいという、私の希望もあり、娘が幼稚園年中の1年間は娘と二人で日本で暮らしていました。

半年ぶりに、旦那がアメリカから日本に一時帰国した時に、最寄り駅まで私の車の運転で見送りに行った帰りの車中で、私と二人きりになった娘が「パパの元に行き一緒に暮らしたい」と大泣きしてしまい、私もアメリカの引っ越しを決断することになりました。

あの時に、そのまま、日本に残る選択をすれば良かったのかと後悔もしましたが、娘は今でも家族は3人一緒が言いといい、もし、アメリカにまた、今、転勤になったら喜んでついて行く言っています。

娘が小学校3年生の時に、日本に本帰国となると話を聞いた時に、娘は大泣きでした。友達もたくさんできたので、この土地を離れたくないと、私はこの時もとても嬉しかったです。

私もアメリカでの子育て、学校生活は相当なストレスなどもあり、何度日本に帰りたいと思いました。この時の娘の涙と言葉でアメリカで生活できたことを、とても感謝した瞬間でした。

そして、小学校3年生の2学期より、日本の近所の小学校へ転入した娘ですが、偶然にベストフレンドのYちゃんと同じクラスになれて、すぐに楽しく学校に通えるようになりました。

そして、幼稚園が一緒だった子たちも覚えてくれていて、問題もなく学校には通えました。

娘の男子の友達が多い理由の一つに、アメリカで生活していた時から始めているオンラインゲームも関係しているかもしれません。

アメリカでも男子はゲームが大好きで、娘は「スプラトゥーン」「フォートナイト」マインクラフト」「ポケットモンスター」「あつまれどうぶつの森」などをやりますので、その部分でも、友達の輪が広がれたので、ゲームをやっていたことは良かったなんてことも、最近娘から聞いています。

友達の輪は、いつ、どこで広がるかわかりません。

私も1年前に働き出した職場では、私とは年が近い年下の4人とは世間話などできたりで、友達関係的なものを気づけています。そして習い事でも、先日クラフト市という教室を離れてみんなで参加したイベントを通じて、より交流は深まったと思います。

そして、このnoteという場所で、私の記事を読んで、スキボタンやコメントをくださる皆さんとも、友達の輪が広がっています。

そんな、気持ちを胸にうれしい朝を迎えています。

私、数日前に職場での悩み事もあり、noteにも記事にしていますが、自分自身の甘えもあったなって反省しているんです。

あの記事を書いてから、一部の職場の人たちの、私に対する心がけをとても感じられています。そして、私の仕事でのがんばりが足りていなかったことも、その方たちからの仕事ぶりを見て確認できたのです。

そんな、確認ができる自分でいられるのも、ここの私の「秘密基地」のnoteの存在は大きいと思います。コメントを寄せて頂いた皆様には本当に感謝致します。

人の輪、温かさに感謝し、今日、そして明日へと暮らして行きたいです!

Have a heartwarming weekend❤















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