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人生を変えるには

今朝、満員電車に揺られながら、人生を変える方法についてひらめいた。

それは嘘だ。ひらめいていない。ここのところ、考えてきたことが、まとまってきただけの話である。

というか似たような記事をすでに書いている。思考のループはどこまでも続く。同じ悩みを再利用する癖をやめたい。

結論、時間の使い方を変える、である。

時間の使い途(みち)といってもいいかもしれない。逆説的に言えば、時間の使い方によってわたしの人生は決定づけられるのだ。時間の使い方次第で、人生はいかようにも変わる。

時間に囚われるな。主体的に時間を使うのだ。

わたしには、友達も、恋人も、配偶者もおらず、家族とも半ば絶縁状態でもあるのだが、ここ最近は、再就職もできたせいか、それほど気にならなくなってきた。ときどき、そんな自分を疎ましく思うこともあるのだが、これは自らが望んだ状態であるような気もする。人と深く関わりたくないのは、究極的には、自分のために自分の時間を使いたいのだと思う。言い換えるならば、それは「自由」なのだ。わたしの人生において「自由」は何よりも重要だ。

自分の身の回りの世話をしてくれる人も、別に要らない。自分でできるから。そして、別に誰の世話もしたくない。健康であり続けなければ、この生活は維持できない。本当に健康でいるための努力を怠ってはならない。

ここのところ、発酵食品をとらず、乳酸菌飲料を飲まずにいたら、何だか胃腸の具合が悪いような気がする。

疲れていたのか、太陽の光を浴びたら、腕が真っ赤に腫れあがってしまった。少しかゆくて、うっすら、ヒリヒリと痛む。免疫力が落ちているのだろう。外出前には、日焼け止めをぬって、風呂上りにはちゃんとクリームをぬる。

昨晩は、目が冴えてしまって眠れなかった。理由はわかっている。日中のデスクワークだけでは運動不足なのだ。30分でもいいから集中してウォーキングをしよう。

スマホの使用を控えよう。脱スマホと言いながらも、すぐに手に取ってしまう。どのルートで行けば近道になるのか、お昼はどの店で食べようか、などの情報を調べすぎて、結局、行かないし、食べない、ということになる。おそらく、調べるだけで脳が疲れるのだ。調べないのは無理なので、タイマーを使ったり、時間を限定することを心がけよう。

ちょっと話題は逸れるが、今日、街を歩いていたら、前職の同僚たちを見かけてしまった。気付かれないように、と走って逃げた。彼らは話すことに夢中になっていたので、おそらくわたしには気付いていなかったと思う。金曜の夜だったので、飲み会でもするのだろう。彼らの人生が続き、職場が倒産せず、継続されていることに落胆したものの、「まあ、どうでもいいか」という心持ちにもなった。去った側は、昔のことを考えるが、去られた側は去った人のことなんて、ほとんど考えない。特に職場は。そして、あの職場にわたしの時間を使うのはもったいなかったのだ、と改めて思った。わたしは、わたしにふさわしい場所で、時間を使うのだ。

ここ最近、ベッドに文庫本を置いておき、スマホではなく、本を読むようにしているのだが、脳の調子がよくなったような気がする。ブルーライトを浴びずに済み、目にもやさしいのだ。

どのように時間を使えるのか。「自由」とうまく付き合うのは難しい。暇を持て余すと、「孤独」と「退屈」がやってくる。

心と体の健康を第一にしつつも、その時間で何をするかを吟味していきたい。「〇〇すべきだ」「〇〇しなければならない」と考えると、窮屈になり、自分を縛ることになるので、それはしたくない。自分を追いつめてもろくなことにはならないは経験上、知っている。自分を楽しませるための工夫を続けるのだ。

お金を使うとき、それは商品やサービスに対する「投票」を意味する。便利だったり、おしゃれだったり、おいしかったり、ていねいだったりするモノに我々はお金を払う。わたしはそれをすごく意識している。値段相応かそうでないかを買い物のたびに考える。

翻ると、「時間」は無料だからと、適当に使ってしまっている。でも、実のところ「時間」も決して無料ではなく、有限の財産なのだ。わたしたちは誰も「死ぬとき」のことを知らない。いつ、死ぬかわからない。死にそうなったら、死ぬかもしれないことは把握できるが、自分に残された、自分が所有している時間のことは知らない。だから、享楽的に、野放図に、時間を使い、際限のない、無尽蔵の「資源」であると勘違いしているようなところがある。「時間」の使われ方がATMで記帳できたら、わたしは卒倒してしまうかもしれない。

2022年6月の時間の使い途

・資格試験に向けて勉強をする
・疲れたら、迷わず仮眠をとる
・本を読む
・30分のウォーキングとリングフィット10分
・気分があがらないものは断捨離する
・保湿と日焼け止めの時間を取る
・夜、湯舟に浸かる

何に時間を使うのがよい選択なのか。ある程度はルーティンにして、生活を組み立てる。

劇的に人生を変えるのではなく、いつのまにか変わっていた、というのが理想。考えたところでどうしようもない「悔恨」に囚われる時間や未来に対する「恐怖」を減らすには、動き続けるしかない。それは積極的に休む、という行為も含まれる。だらだらじゃなくて、ちゃんと休む。これって、結構、難しいことだと思う。

「今」の自分を最優先、「未来」の自分には先回りしていたわりを、そして「過去」の自分をねぎらってやりたい。

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